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新型ウィルス流行のため生命の危機を感じるようになって「言霊」を意識することが多くなった。
言霊ってスピリチュアルなもので科学的根拠はない。
当たるも八卦当たらぬも八卦の占いと同じ。
「言霊」の例でよく挙がるのは
喧嘩の勢いで「○○なんか死んじゃえばいいのに」なんて言ったら、本当に死んでしまった…というもの。
「言葉」が殺したなんてありえない
ただの偶然。
でもそうなってしまった時
言った人の後悔と、精神へのダメージは計り知れない。
だから、単に戒めとして、「言霊の力だ」と諭しているだけ。
最近話題になった「100日後に死ぬワニ」の中に、主人公のワニが
「俺が死んだらこれあげるよ」
と、親友のネズミ君に言って
「冗談でもそんなことは言っちゃいけない」
と、たしなめられるエピソードがある。
なぜ「そんなことは言っちゃいけない」とたしなめたのか?
<1>冗談でもそんなこと言ってたら、本当になっちゃうから。(言霊信者)
<2>縁起が悪いから。(これも「言葉」が「死」を呼んでくるかも知れないと恐れているということですよね。)
<3>単に「死」という、悲しい感情の伴う一大事を、軽々しくジョークにするべきじゃないから。(命への冒涜をたしなめた)
<4>「俺が死んだら」という仮定が、いくら冗談でも、親友のネズミ君を悲しませることに気付いていない鈍感さをたしなめた。
作者の意図は分からないが、私は「言霊」という言葉を思い出したのだ。
自分の死や人の死を語る時は慎重にならなくては…
ネット用語では「フラグが立った」というやつだ
(「私なら出来る!」「絶対こうなってやる~!」なんてポジティブな言葉は、今まで100万回も唱えたけど、全然実現していないけどね!ホントに、単なる偶然なんだけどね!)
もう一つ、言霊を意識した、最近のコロナ関連の出来事:
新型ウィルス流行の影響で、仕事はお休みになり、自宅待機がいつ終わるか分からない状態になった時、何をして過ごそう?!と考えた挙げ句
「今こそ、『死ぬまでに弾けるようになりたい曲』を練習する時では!?」なんて思いついたのだ。
私はよく「死ぬまでに弾けるようになりたい」とか
「死ぬまでに一度は行ってみたい」とか
よく言っていた。
それが実現出来たら、素晴らしいことのようで
一方、「これでもう思い残すことなく、未練無く死ぬことが出来る。」という意味のようで
「いつでも死ぬ準備は出来ています。」と言うみたいで
とたんに、そんなことを口にするのが怖くなったのだ。
それで、「死ぬまでに弾けるようになりたい曲」は永遠に未完のまま置いておくことにした。
そして、突然感じたこの恐怖、不安は、今、非常に「死」を身近に感じているということなのだと気付いた。
同時に、叶えたい夢を未完のままにしておくということは、願掛けのようなもので、私がいかに「生きること」に執着しているかの現れなのだとも分かった。
正直に白状すると、私は今まで結構、「これまでの人生に満足している」とか「あまり長生きしすぎると不安」とか、よく口にしてきた。
ワニ君のマンガだとフラグが立ってしまう
なんだか今の新型ウィルスの流行は私に「長生きするのは不安って言ってたよね?じゃあ、どうぞ」と、言っているようだ。
ああ、もう、猛省。前言撤回。もう二度と言いません。
今、生かされている幸運がいかに尊いものか分かっていなかった。不遜な態度であった。
思うに、そういうネガティブな言葉を言ってしまうのって、本心の逆というか、「どうせ私なんて~」と言っておいて、最悪なことが起きた時のための心の準備をしているというか...
本心では、まだまだ生きることに執着があるんだな。
両親に会いたい。兄弟にも会いたい。同僚に会いたい。友達に会いたい。
また来年も桜を見たい。誕生日を祝って、母の日、父の日、バレンタインやホワイトデーには贈り物を贈りたい。
東京の中にさえ、まだ見たことのない素晴らしい景色はたくさんある。ましてや日本中、ましてや世界中、まだまだ行ってみたい所は山のようにある。
生きることに執着がないかのような、達観しているかのような言葉を発するのは、もうやめよう。
不運にも亡くなられた多くの人の命に対する冒涜だ。
本当に運良く、偶然にも与えられた命は大切にする。
そして、私だけじゃない、どんなに年寄りで何も出来なくても、両親の命は私にとっては大切なもの。それから、今生きている人達の命の中に、「無駄な命」なんて一つもない。
また来年、桜を見たい。
来年は桜の木の下で大勢の人が、命の蘇りの季節を祝っていますように。
日本人だけでなく、世界中の人が。
それは訪れた人たちに、自然との一体感を感じさせ
大自然の中、謙虚な気持ちにさせる
そして沢山の歌や詩や絵やマンガや映画などに
新しいインスピレーションを与えるだろう。
自宅待機中なので長文書いてみた。
あのワニの漫画はうちの奥さんもはまっていて、いまいち何が面白いかわからなかったけど(^_^;)、vicさんの考察で深い話だったんだなあと思いました。
けっこう漫画や映画は、人(キャラクター)が死なない方がむしろ少数派な感じがしますけど、そういうものが娯楽として消費されるのは、むしろリアルが安全平和だからで、これがすごいバイオレンスなものを敬遠しだしたら(みんなサザエさんみたいなコンテンツだけになったら)、いよいよやばいぞっていう気がします。
『ズートピア』なんかは、リアルのアメリカの人種差別が今、本当に深刻なんだなあとか思っちゃったもんなあ。
コロナ騒動で今年は映画全然観てませんよ。「パラサイト」と「ジョジョラビット」だけ。
あとはひたすら家でU-Nextの映画観てます。
言霊とか、ジンクスとか、縁起とが、いつになく気になってしまうというのは、やはり精神的に不安なんだろうな、と思います。いつもだったら「そんなの迷信、迷信!」ってはねつけられるけど、全世界的に終末映画みたいな展開になってくると、「人間の傲慢さに対する罰なのか~???」とまで思ってしまいます。
ワニのマンガは、話題になってきた終わり頃にまとめて読んだだけです。
私はネタバレされるのが大嫌いなのですが、結末が分かっているにもかかわらず(或いは分かっているから)こんなに楽しめるのか!と意外でした。
志村けんが「ついさっきまでTV出てたのに!」あっという間に亡くなってしまったりして、命ってあっという間に無くなるものなんだな、と、思っていた頃だったから、ワニのマンガはタイムリーで、「自分の命も案外、突然終わったりして...」と日々の暮らしを見直すチャンスになりました。
>(みんなサザエさんみたいなコンテンツだけになったら)、いよいよやばいぞっていう気がします。
311の後、CMがみんなACの「ぽぽぽぽ~ん♪」ばかりになったときみたいにね。
あの時はどんなコマーシャルも不謹慎だ!と言われたり、残酷なシーンが出るドラマなんかは自粛されてましたよね。