大集経 菩薩念仏三昧分 巻第七
菩薩念仏三昧分 思惟三昧品 第十一の一
『過去未来の諸の世尊と 現在の一切の偏見者とを念じ
冥心空寂にして慈悲を行ぜば 諸佛を観んと欲するに艱難無し。
往昔の諸仏は大威光もて 世間を憐愍して等しく楽を與ふ
彼の人中の分陀利 調御丈夫・功徳の満せざるを念ぜよ。
更に下生及び入胎とを 住胎と尊母と皆具足するを念ぜよ
彼の生家と衆々の妙相とを思せば、 当に等覚を見るべきこと、難しと為さず。
亦諸の好と勝れたる荘厳と 及び彼の本願もて先に行じたる所と
微言の妙義の初・中・後とを念ぜよ 彼れ皆善逝の解脱身なり。
解脱の門と及び供養と 正勤と彼の四の神足とに住し
應に諸根の具満せる者を念ずべし 力と菩提分とも亦復然り。
應に諸解脱の尊を念ぜんに 久しからず当に勝れたる寂地に至るべし
一切世間利益の念と 善法の功徳は思量し難し。
妙色と及び清浄の心と 復世尊の衆の妙分とを思え
金剛身體には百福の相あり 当に知るべし、如来は諸念満つるを。
何等の法中にか如来と名ずけん 正しく当に無邉の處を観察すべし
諸佛は色に非ず復受に非ず 彼の想行に非ず、識心にも非ず。
是の如き等の法は如来に非ざれど 正見の智人は亦應に體あるべし
亦彼を離れたる、是れ如来にして 応供善逝は但だ名有るのみに非ず。
諸佛は眼に非ず、耳・鼻に非ず 舌・身・意及び法等に非ず
亦彼を離れたるを如来と為し 正覚の荘厳は惟名のみに非ず。
唯大名有るのみにては眞の佛無き 名を離れて何處にか實なる者有らん
智人若し盡く和合するを知らば 当に等覚を取らんこと實は難きに非ず。
若し諸陰を以て如来と為さば 彼の諸の衆生は皆陰有れば
衆生即ち應に是れ諸佛なるべし 陰は平等に斯れ共有なるを以てなり。
色を以て等しいは諸佛とは為さず 亦陰を離れたるを如来とは名ずけず
無量數のあいだ正思惟して 不思議の智乃ち成就したり。
身は草木及び石壁の如し 菩提は色無く寂にして生無し
亦頑身と及び草木と無し 云何ぞ身もて菩提を證すと説かん。
是の心は相無く復形無し 菩提は心に非ず亦状無し
身に非ず心に非ずして能く證するを得 亦證無きに非ざること思議し難し。
即ち最勝の寂静地と為す 外道は中に於いて皆荒迷す
若し此の法に於いて正勤を求めば 必ず当に速に是の三昧を得べし』と。