ただのShizyu-看護師が不妊→里親→特別養子縁組を経験したら?

40歳にして本格的な不妊治療、なんやかんやで特別養子縁組まで。ぶっちぎりの息子くんから育てられたり、育てたりの毎日。

シンダノダロウ

2022-05-15 10:03:52 | 日記
その頃は、心療内科こそ、いかなかったものの、うつ病に間違いなかった。
ボーーっと過ごし、ときにはシクシクと、ときには大声で泣き、ココロもカラダも疲れるが、眠れない。

しかし、歳は刻々ととっていき、子宮は衰えていく。
次の移植はもう、待ってはくれず、大事に貯めていた最後の卵も身体に戻したが、育てることはできなかった。

そして、もう、次へすすむ気力は霞ほども残ってはいなかった。

今考えると、このときの私は、一度死んだのだろうと思っている。


シンゾウ

2022-05-15 08:25:08 | 日記
「あ、心臓が動いていますね。」エコーでよく見ると、ピクピクと小さな心臓が動いている。

間違いなく、生きている。

ずっと続くと思っていた。
でも、それは叶わなかった。それがあの子の運命だった…

運命だったのか?本当に?私のエゴであの子の運命を決めてしまったのではないのか!

カラダをもやもやした黒いものが包むように、そこからもう出られないような、また、出たくないような…そんな感覚に陥っていた。



シアワセとキョウフ

2022-05-15 02:07:35 | 日記
ここにたどり着くまでには、自己注射や漢方薬を含めた内服、健康サプリメントなど、日々の努力を積み重ね、採卵から始まり、受精・分裂を待ち、子宮内膜を厚くする経過を辿ってきた。

そしていよいよ、受精卵を子宮へ戻すとき。

キツネ医院では、使い捨てのガウンに着換え、カーテンで仕切られたベッドに横になって待つ。
順番が来たら、手術室へ移動し、医師が受精卵を刺すような痛みとともに子宮へ戻していく。

採卵のときも痛いが、こちらもなかなかの痛みだ。
だけど、このときのことを思い出すと未だに泣きそうになる。それは、痛みを思い出すからではなく、この瞬間から母と子の繋がりができる喜びが大きすぎるから。
そして、分裂していた細胞がその動きを止めてしまうのではないか、着床しないのではないかという恐怖に潰されそうになるから。

それでも、この日だけは大事に大事に、ゆっくりと自宅へ帰る。そして、意味はないことは知りながらも、腰から下を高くして、着床するように祈らずにはいられないのである。




ハンシンハンギ

2022-05-15 02:04:09 | 日記
無事に術後を終え、再度、着床チャレンジ。

すると、な…なんと!3度目、妊娠チェッカーには、うーーーっすら陽性反応。

んー、ないかな?あるかな?…あるかな?あるかな?

半信半疑で、イノシシ医院へ。

「妊娠してますよ。おめでとうございます。」

わ。妊娠できた…けど、これからドゥなんの?

うれしいけど、妊娠継続の難しさについての情報も、イヤというほど知っていた。

ただ、ひとまずこの喜びを、この子を守りたい。それだけを祈っていた。

ナンジャソラ

2022-05-15 01:57:42 | 日記
キツネ医院では、子宮筋腫や腺腫の手術までして着床を試みた。

結果、できなかった。

私は諦めきれず、キツネ医院よりさらに遠いところにあるイノシシ医院へ通うこととなる。

このイノシシ医院の先生から、内診後、「子宮筋腫をもう一度、タカ病院で診てもらいなさい。」と言われた。

…え?前回の手術から半年しか経ってないけどなに?

タカ病院での結果は、「筋腫がかなり残ってるので、このままでは着床は難しいと思う。妊娠を望むならもう一度手術したほうがいいかもよ。」

…いやいやいやいや、半年前に開腹して手術したのに、かなり残ってるってなに?

私は先生に遠回しに、「ここだけの話なのですが。前のキツネ医院の先生にはお世話になったので、言うことはしませんが。こんなことってあるんですかね?。」と聞いてみた。

先生は、「まぁ、正直、驚きはしましたね。でも、うちでしっかり治せますから安心して!。」

なんじゃそら。

今思い返せば、入院していたのは2〜3人で、手術をやっているような医院ではなかった。

そもそも、子宮筋腫の手術には別の病院を勧められたが、天下のキツネ医院に任せたほうがいいのではないかと思い、お願いすると、確かに「デキナクハナイガ。」と言われた。

麻酔も下手だったし、術後の痛みも強かった。

もう一回…

なんじゃそら。