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ヒマワリの花が好きになったのは、息子が7歳の、今から8年前。
昨年の3月7日に他界した義母と一緒に北海道旅行をしてからだ。
羽田から約1時間半の快適な飛行で、女満別空港に降り立ち、網走刑務所方面や知床半島のウトロに行った。
知床五湖をとり囲む、自然の美しさ、素晴らしさ、雄大さに、しばし立ち尽くしていた。
さらにはノシャップ岬、足寄(歌手の松山千春で有名です)、屈斜路湖(当時、クッシー騒ぎもありました)そして美幌峠からみえたコバルトブルーの屈斜路湖の眺めは、最高でした。また富良野の富田ファームで、四方を色どる草花に感動しきりでした。
北の大地<北海道>の道東をレンタカーで駆け抜けた快適な3泊4日の旅でした。
そんな中で、ふと通り過ぎた場所に広大なヒマワリ畑が!忽然とあらわれました!!<智恵文>という場所の、ヒマワリ畑でした。智恵文という文字が、智恵(知恵)を授ける文(学校)というような感じで、私の脳裏に、強く焼付けられました……。
そしてそれが、当時、<賢脳イキイキ倶楽部>などと名乗っていた教室の総称を<ひまわり共育ねっと>と変えるキッカケになりました。
そんな義母との思い出が強く、義母がなくなった2006年から、ヒマワリの種を、義父と義母の家の庭に蒔くようになったのです。
30代からリューマチを患い、左足が人工の骨となって、ビッコをひいていた義父には、庭のサツキの手入れや草花と触れ合うのが唯一の楽しみでした。
そして2006年の夏に、見事に咲いたヒマワリを眺めては、目を潤ませていたような気がします。台風が来て、背丈が大きくなったヒマワリが、なぎ倒されていたのを目の当たりにして、一番、嘆き、悲しんでいたのは義父だったのかもしれません。
今年、2008年3月に義母の1周忌を行いました。
しかしその法要の数日前、サツキに水遣りをしていた義父が、ホースに足を引っ掛けて、庭で倒れてしまいました。
その頃は、義父宅には、一人になった義父と、我が家の受験生でもあった中学3年生の一人息子が同居していました。
私と家内は、自宅の一部が<たますく~る狛江教室>になっていることもあって、生活
の基盤を、7割が自宅、3割が義父宅のような感じでした。
家内の場合は6割、4割だったかもしれません。
したがって突然の義父の転倒には驚きました。
それ以前から、貧血気味だったこともあったのでしょう。この時は、ホースに足を引っ掛けてと、義父は言っていたのですが、真実はわかりません……。
今となっては……。
たまたま転倒した庭が、隣接する他家の畑だったため、畑仕事をしていた、そのお家の人から、私の自宅に連絡があり、義父宅へ6時近くに駆けつけたのが思い起こされます。
そして6月の下旬の義父宅での転倒。
どれくらいの間、ひとり、助けを求めながら、倒れていたのかは、わかりませんが、早朝に義父宅へ息子のお弁当を作りに行った家内が発見。
自宅のベッドの中でまどろんでいた、私に、緊急の電話連絡。
とにかく不自由な左足を支えていた、右足がつけなくなり、ひとりで立つこともできない。義父の股関
節を手術した西東京の病院(自宅から小1時間かかるのですが、股関節の手術の名医T先生がいらっし
ゃいます。)に行って、骨折しているかどうかでも診てもらいたいという、義父の願いもあり、診察、
治療、リハビリと経過は順調でした。
ところがお盆までには帰ると元気だった義父が、お盆前に急変。義母が迎えに来たのではという親戚の
方もいるくらい、不思議な急変でした。
そしてお盆が過ぎ、一命をとりとめたものの、9月中旬から意識のない植物人間状態となり、10月の
2日に亡くなりました。最後は集中治療室の義父が横たわるベッドを子供3人とその連れ合い、さらに
長男の息子と我が家の息子の8人が、最後の最期を看取りました。深夜の2時42分でした。
私にとっても、心拍というか呼吸の状態を表すメーターの波が、一直線になるのを、現実に目の前にし
た、つらい、とっても辛い別れとなりました……。
義父が他界してしまうなんて予期もしていなかった8月初頭に、家内が、義母の弟で庭師をしている方
と、義父のお庭にヒマワリの種を蒔きました。ヒマワリがたくさん芽を出したよって家内が喜んで私に
話してくれました。今年、蒔いた種は、台風が来ても大丈夫なように、ミニ・ヒマワリの種にしました
。
ところが、毎年、義父が庭の手入れやサツキの手入れ、そして雑草の除草をお願いしている義父の義兄
弟の叔父さんに、ヒマワリの種を蒔いたことを話していなかったので、その叔父さんが、たくさんの芽
をだしたばかりの、ヒマワリの上から、除草剤のシャワーを……。
当然、ヒマワリの芽は全滅でした。しかし、しかし驚いたことに義父が亡くなった10月2日に、たっ
たひとつの芽が出てきたのです。家内とヒマワリかな?でも、あれだけ強い除草剤をかけたんだから、
そんなことは……と話ながらも、一縷の望みを、この新芽に託していたのは事実かもしれません。
そしてその芽が成長し、なんと義父の四十九日の法要の朝に、見事に、満開状態の一輪の花を咲かせた
のです。そしてそのヒマワリが、今も、枯れることなく、しおれることなく成長しています。元気にし
ています。不思議なことは、右の一枚の葉っぱだけは、虫に食われておらず、左の葉っぱは壊滅状態。
普段、花のお世話なんかしない、私が、その憎き虫たちを退治するために、殺虫剤を買って、そのヒマ
ワリの生長を助けてあげたのです。この私が……。
まるで義父が、唯一、大丈夫だった右足で立っているかのように、今も、この奇跡のヒマワリが咲いて
います。11月19日(水)の四十九日の法要から、25日間が経過しようとしています。まるでその
ヒマワリの姿は、笑顔で義父が踊っているようにもみえるんです。
そして義父が倒れて入院している時に、習志野台の教室にも奇跡の芽が……。なんと<向日葵(ひまり
)>という名前の、小学1年生の子が、私を、励ますかのように入学して来てくれたんです……。
<ヒマワリの花言葉>
ただあなただけを、みつめている。
崇愛、敬愛……。
ありがとう。この世のすべての存在に感謝します!
それでは…♪♪♪(スゴイ長文になってしまいました!!)
ひまわり共育ねっと
http://www.soroban.com/juku/ikiiki.htm
堀田 真市