小学校6年の時初めて車の運転を母さんに教えてもらった。クラッチの使い方が難しく車を壊してしまった・・・でも怒られなかった。一番怒られたのは、空き地でタイヤに火をつけ燃やしていたらどこかのおばちゃんが学校に通報した時だ、すごい剣幕で怒られ墓場に置き去りにされ捨てられそうになった。
中学校の頃は俺も一人で生きる術を少しずつ身につけていった、自分の居場所を作る為に、母さんの家族に認めてもらうために勉強と部活を頑張った、それが母さんに対しての親孝行とも思っていた。いい感じで自分の存在を認めてもらえるようになったが、相変わらず母さんは働いていた、同じところに住んでいるのに次第に疎遠になっていった・・・気がする。
高専に入学が決まり、それに合せて母さんの弟の家に2人で居候する事になった。が、しかし叔父との折り合いは最悪で1ヶ月もしないで俺は家出した・・・2週間くらいフラフラしてると、母さんから2人で暮らそうと言われそりゃいいや思い素直に帰った。ただすぐに叔母も一緒に暮らす事になったけど・・・。それから1年くらいしてかな、母さんが10年近く勤めた会社辞めるとか言い出して、俺に本気で相談してきた・・・自分でラーメン屋をやりたいって、俺はすぐやれよって言った。今まで自分のやりたい事を我慢してきたんだから、応援するからやれよって・・母さんはすぐ仕事を辞めて、1週間たった1週間知り合いのラーメン屋で修行して開業した。スゲー母さんだよホント、そしてある意味それでちゃんとやっちゃうんだから。俺は別な意味で嬉しかった、16歳位かな、物心ついてから初めて三度母さんの飯を食えたから・・・ラーメン食い放題だしね。俺はともかく友達の栄治、幸治、重徳、喜孝、大輔・・・みんなにも世話になったって最後まで言ってたよ母さんは・・・3年で体壊して辞めたんだけどね。でも俺がバイクで事故った保険金で確か開業資金他の借金はチャラなはずだから・・・ある意味親孝行だな俺は・・・でもこれだけなんだよな思いでは、他には・・。そうだ!一緒に映画E.T見たな、母さんは途中から寝てたけど・・・ごめんな母さん生きてる間になんも親孝行できなくて、俺が今からできる親孝行は忘れない事と、俺自身が幸せになる事と、そして精一杯Bluesを捧げることくらいかな・・・。
最後に母さんって言うか、母ちゃんありがとな産んでくれて!
母さんへBluesを捧げる~I give the blues to mother of heaven~<完>
中学校の頃は俺も一人で生きる術を少しずつ身につけていった、自分の居場所を作る為に、母さんの家族に認めてもらうために勉強と部活を頑張った、それが母さんに対しての親孝行とも思っていた。いい感じで自分の存在を認めてもらえるようになったが、相変わらず母さんは働いていた、同じところに住んでいるのに次第に疎遠になっていった・・・気がする。
高専に入学が決まり、それに合せて母さんの弟の家に2人で居候する事になった。が、しかし叔父との折り合いは最悪で1ヶ月もしないで俺は家出した・・・2週間くらいフラフラしてると、母さんから2人で暮らそうと言われそりゃいいや思い素直に帰った。ただすぐに叔母も一緒に暮らす事になったけど・・・。それから1年くらいしてかな、母さんが10年近く勤めた会社辞めるとか言い出して、俺に本気で相談してきた・・・自分でラーメン屋をやりたいって、俺はすぐやれよって言った。今まで自分のやりたい事を我慢してきたんだから、応援するからやれよって・・母さんはすぐ仕事を辞めて、1週間たった1週間知り合いのラーメン屋で修行して開業した。スゲー母さんだよホント、そしてある意味それでちゃんとやっちゃうんだから。俺は別な意味で嬉しかった、16歳位かな、物心ついてから初めて三度母さんの飯を食えたから・・・ラーメン食い放題だしね。俺はともかく友達の栄治、幸治、重徳、喜孝、大輔・・・みんなにも世話になったって最後まで言ってたよ母さんは・・・3年で体壊して辞めたんだけどね。でも俺がバイクで事故った保険金で確か開業資金他の借金はチャラなはずだから・・・ある意味親孝行だな俺は・・・でもこれだけなんだよな思いでは、他には・・。そうだ!一緒に映画E.T見たな、母さんは途中から寝てたけど・・・ごめんな母さん生きてる間になんも親孝行できなくて、俺が今からできる親孝行は忘れない事と、俺自身が幸せになる事と、そして精一杯Bluesを捧げることくらいかな・・・。
最後に母さんって言うか、母ちゃんありがとな産んでくれて!
母さんへBluesを捧げる~I give the blues to mother of heaven~<完>