【White Christmas】
この時期になると、必ず街のどこかでかかっている曲ですね。
皆さんも良くご存知の曲だと思います。
作詞作曲は、前述のアーヴィング・バーリン。歌はビング・クロスビー。
この曲は、最初、ミュージカル2大スター ビング・クロスビーとフレッド・アステアが共演したミュージカル映画「スウィングホテル」(1942)の挿入歌の1曲として大ヒット。その後、1954年に、ビング・クロスビー、ダニー・ケイの共演で、映画「ホワイトクリスマス」が作成され、この曲が主題歌となり、再び大ヒットしました。
作曲者のアーヴィング・バーリンは、1888生まれ。ロシア(現ベラルーシ)のテムンで生まれました。幼いときにアメリカへ移住。幼いころから家計を助けるために旅芸人、給仕兼歌手として働いていました。
見よう見まねで作曲を試み、1911年に「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」を発表、大ヒット。ソングライターとしての名声を確立しました。 遊んで暮らせるほどの富を築きましたが、1929年の大恐慌で破産。「おかげで好きな仕事に戻れた」と作曲を続け、「ホワイト・クリスマス」などのヒット曲を立て続けに世へ送り出して、アメリカ一のポピュラーソングの作曲家となりました。「オールウェーズ」「ブルー・スカイズ」等の名曲を作り、ブロードウェイのレビューを次々に手がけ、映画音楽も数多く書いています。「アニーよ銃をとれ」も彼の作品の一つです。
ジェローム・カーンから「バーリンはアメリカの作曲家ではなく、彼自身がアメリカの音楽なのだ」と言われ、又、アメリカのシューベルトとまで謳われました。ジョージ・ガーシュウイン、リチャード・ロジャース、コール・ポーターとならんで、ブロードウエイミュージカルの作曲家の四天王のひとりと称された彼は、生涯で1500曲以上の作詞、作曲を行なっています。1989年に101歳の長寿を全うしました。
彼は音楽教育を受けておらず、音符も読めなかったそうです。そのせいか、「キーを変えるための特製のペダルの付いた独特なピアノを使用していた」とか「楽譜が読めなかった」とか「バーリン自身はとんでもない音痴で(だみ声だったかも)、その曲の作者であるという免罪符がなければ他人が聞けたモノではなかった」などという噂があったそうです。
ビング・クロスビーは、1904年アメリカ生まれ。高校時代に音楽に興味をしめしバンドを結成。大学では司法を専攻するが、歌手としての夢を捨てきれずジャズ・バンドを結成。大学中退。その後、ポール・ホワイトマンに認められて、「ホワイトマン楽団」に加入し、活躍。31年にはCBSラジオで『ビング・クロスビー・ショー』が放送され、彼の甘い歌声は全米の視聴者を魅了して20週間にわたって放送されるヒット番組となりました。彼に目をつけたパナマウント社と契約。映画界でも大きな成功を収め、『ミシシッピ』(35)など彼の歌を中心にしたミュージカル映画が続々と製作されました。その後、ミュージカル・スターから演技派俳優への見事な転身を果たし、アカデミー主演男優賞を獲得しました。『アラスカ珍道中』(46)『ブルー・スカイ』(46)『皇帝円舞曲』(48)『喝采』『駅馬車』(66)など大ヒット映画に次々出演しました。芸能生活50周年を記念するコンサート・ツアーの最中、スペインのマドリッド郊外で趣味のゴルフを楽しんでいたところ、心臓発作で亡くなりました。享年73歳。
最も売れた彼のレコードはクリスマス・ソングの定番「サイレント・ナイト」だそうですが、これは宗教音楽と認められたために、全ての収入はクロスビーではなく慈善事業に寄付されたそうです。また、人気テレビ・ドラマ『刑事コロンボ』のコロンボ役をオファーされたが、都合がつかずに出演は実現せず、代わってピーター・フォークが抜擢されるなどの裏話もありますね。
最初に「White Christmas」が登場した映画「スウィングホテル」のあらすじは、
「歌手ジムは芸人仲間のライラと婚約していたが、彼女はジムを裏切って彼の友人のダンサー、テッドと結婚。傷心のジムは都会を離れてコテージ「ホリディ・イン」を開業する。彼は芸人志望の女性リンダと出会い二人の間にほのかな恋が芽生える。しかし、ライラに逃げられてホリディ・インにやってきたテッドもリンダに恋してしまい、2人はリンダをめぐって新たな恋愛合戦を開始する。」
というもの。
主題歌となった映画「White Christmas」のあらすじは、
「第二次世界大戦後、恩人のデイヴィスとコンビ組んで大きな成功を収めた人気歌手のウォレス。戦友の姉妹と知り合った二人はバーモントでクリスマス休暇を取るが、彼らが泊まった山荘ホテルのオーナーは戦時中の恩師ウェイバリー将軍だった。雪が降らずに山荘の経営が悪化していることを知った二人は、お客を集めるために山荘でのショウを企画する。」
というもの。
「White Christmas」の歌詞ですが、
I'm dreaming of a white Christmas
Just like the ones I used to know
Where the treetops glisten
and children listen
To hear sleigh bells in the snow
I'm dreaming of a white Christmas
With every Christmas card I write
May your days be merry and bright
And may all your Christmases be white
I'm dreaming of a white Christmas
With every Christmas card I write
May your days be merry and bright
And may all your Christmases be white
私は夢見ています ホワイト・クリスマス
私がむかし経験したような クリスマス
樹冠が きらきら輝いて
子供たちが耳を澄ませて
そりの鈴の音を聞く 雪の世界
私は夢見ています ホワイト・クリスマス
1枚1枚クリスマスカードを書きながら
あなたが楽しく明るく過ごしますように
あなたのクリスマスが銀世界でありますように
・・・明るく暖かい夢のこもった歌詞ですね。
今回は、アップテンポな編曲でおおくりします。
この時期になると、必ず街のどこかでかかっている曲ですね。
皆さんも良くご存知の曲だと思います。
作詞作曲は、前述のアーヴィング・バーリン。歌はビング・クロスビー。
この曲は、最初、ミュージカル2大スター ビング・クロスビーとフレッド・アステアが共演したミュージカル映画「スウィングホテル」(1942)の挿入歌の1曲として大ヒット。その後、1954年に、ビング・クロスビー、ダニー・ケイの共演で、映画「ホワイトクリスマス」が作成され、この曲が主題歌となり、再び大ヒットしました。
作曲者のアーヴィング・バーリンは、1888生まれ。ロシア(現ベラルーシ)のテムンで生まれました。幼いときにアメリカへ移住。幼いころから家計を助けるために旅芸人、給仕兼歌手として働いていました。
見よう見まねで作曲を試み、1911年に「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」を発表、大ヒット。ソングライターとしての名声を確立しました。 遊んで暮らせるほどの富を築きましたが、1929年の大恐慌で破産。「おかげで好きな仕事に戻れた」と作曲を続け、「ホワイト・クリスマス」などのヒット曲を立て続けに世へ送り出して、アメリカ一のポピュラーソングの作曲家となりました。「オールウェーズ」「ブルー・スカイズ」等の名曲を作り、ブロードウェイのレビューを次々に手がけ、映画音楽も数多く書いています。「アニーよ銃をとれ」も彼の作品の一つです。
ジェローム・カーンから「バーリンはアメリカの作曲家ではなく、彼自身がアメリカの音楽なのだ」と言われ、又、アメリカのシューベルトとまで謳われました。ジョージ・ガーシュウイン、リチャード・ロジャース、コール・ポーターとならんで、ブロードウエイミュージカルの作曲家の四天王のひとりと称された彼は、生涯で1500曲以上の作詞、作曲を行なっています。1989年に101歳の長寿を全うしました。
彼は音楽教育を受けておらず、音符も読めなかったそうです。そのせいか、「キーを変えるための特製のペダルの付いた独特なピアノを使用していた」とか「楽譜が読めなかった」とか「バーリン自身はとんでもない音痴で(だみ声だったかも)、その曲の作者であるという免罪符がなければ他人が聞けたモノではなかった」などという噂があったそうです。
ビング・クロスビーは、1904年アメリカ生まれ。高校時代に音楽に興味をしめしバンドを結成。大学では司法を専攻するが、歌手としての夢を捨てきれずジャズ・バンドを結成。大学中退。その後、ポール・ホワイトマンに認められて、「ホワイトマン楽団」に加入し、活躍。31年にはCBSラジオで『ビング・クロスビー・ショー』が放送され、彼の甘い歌声は全米の視聴者を魅了して20週間にわたって放送されるヒット番組となりました。彼に目をつけたパナマウント社と契約。映画界でも大きな成功を収め、『ミシシッピ』(35)など彼の歌を中心にしたミュージカル映画が続々と製作されました。その後、ミュージカル・スターから演技派俳優への見事な転身を果たし、アカデミー主演男優賞を獲得しました。『アラスカ珍道中』(46)『ブルー・スカイ』(46)『皇帝円舞曲』(48)『喝采』『駅馬車』(66)など大ヒット映画に次々出演しました。芸能生活50周年を記念するコンサート・ツアーの最中、スペインのマドリッド郊外で趣味のゴルフを楽しんでいたところ、心臓発作で亡くなりました。享年73歳。
最も売れた彼のレコードはクリスマス・ソングの定番「サイレント・ナイト」だそうですが、これは宗教音楽と認められたために、全ての収入はクロスビーではなく慈善事業に寄付されたそうです。また、人気テレビ・ドラマ『刑事コロンボ』のコロンボ役をオファーされたが、都合がつかずに出演は実現せず、代わってピーター・フォークが抜擢されるなどの裏話もありますね。
最初に「White Christmas」が登場した映画「スウィングホテル」のあらすじは、
「歌手ジムは芸人仲間のライラと婚約していたが、彼女はジムを裏切って彼の友人のダンサー、テッドと結婚。傷心のジムは都会を離れてコテージ「ホリディ・イン」を開業する。彼は芸人志望の女性リンダと出会い二人の間にほのかな恋が芽生える。しかし、ライラに逃げられてホリディ・インにやってきたテッドもリンダに恋してしまい、2人はリンダをめぐって新たな恋愛合戦を開始する。」
というもの。
主題歌となった映画「White Christmas」のあらすじは、
「第二次世界大戦後、恩人のデイヴィスとコンビ組んで大きな成功を収めた人気歌手のウォレス。戦友の姉妹と知り合った二人はバーモントでクリスマス休暇を取るが、彼らが泊まった山荘ホテルのオーナーは戦時中の恩師ウェイバリー将軍だった。雪が降らずに山荘の経営が悪化していることを知った二人は、お客を集めるために山荘でのショウを企画する。」
というもの。
「White Christmas」の歌詞ですが、
I'm dreaming of a white Christmas
Just like the ones I used to know
Where the treetops glisten
and children listen
To hear sleigh bells in the snow
I'm dreaming of a white Christmas
With every Christmas card I write
May your days be merry and bright
And may all your Christmases be white
I'm dreaming of a white Christmas
With every Christmas card I write
May your days be merry and bright
And may all your Christmases be white
私は夢見ています ホワイト・クリスマス
私がむかし経験したような クリスマス
樹冠が きらきら輝いて
子供たちが耳を澄ませて
そりの鈴の音を聞く 雪の世界
私は夢見ています ホワイト・クリスマス
1枚1枚クリスマスカードを書きながら
あなたが楽しく明るく過ごしますように
あなたのクリスマスが銀世界でありますように
・・・明るく暖かい夢のこもった歌詞ですね。
今回は、アップテンポな編曲でおおくりします。
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