スピリチュアルセラピストのアーラです。
長文の精神世界ライフなのほほん記録です☆
最近は、くれよんしんちゃんより、劇場版ドラえもんに隠れてはまっているマイブームです。
とくに、ここ最近は、初代のドラえもん声優たちの劇場版を10作品くらい観賞したところです。
初代のあののび~~んとしたドラえもんの声に、ストーリーもその流れものび~~んと感じてしまい、最初は眠くなってしまうのが事実でした。
とくに、あるネットのランキングで1位と2位を獲得している
ドラえもんのび太の海底鬼岩城(2位)
ドラえもんのび太と雲の王国(1位)
・・・まぁまぁ面白かったです。これぞ、ドラえもんの映画ってやつですか。
ただ感動の注目のシーンは、ドラえもんが、自分の責任で、町につっこむシーンは確かに目が覚めました。
クレヨンしんちゃんで言う映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』と良い評価とのぶつかり合いになるかな。
昭和時代やバブル時代に戻りたがる、時代に取り残された人間たちといっていいのだろうか・・・。
私が、この作品たちよりも個人的に凄く面白かった映画は、『ドラえもんのび太の秘密道具博物館』
新しい声優たちの最近の映画ですね。
ドラえもんの道具を本気で知り尽くしてマニアックに創り上げて、探偵のラインで物語の視点を見れる、期待しなくても、わくわくしてくる作品です。
ありきたりの展開やありきたりの犯人だったとしても、
最後の終わり方は、90年代くらいのあのジブリっぽいラストシーンも一瞬感じられ、終盤のなんとなくな展開が過ぎっても、飽きない映画だったと感じられます。
子供よりもちょっと大人の人たちが、十分楽しめる作品だと思います。
映画として、誰が見ても、普通に面白かったのは、『のび太の日本誕生』です。
この映画は、迫力があって、案外面白かったですが、この映画から始まったせいか、
ドラえもんという映画は、大体、歴史を変えてしまう『時空犯罪者』が黒幕になっている展開が多いように感じるときがあります。
『のび太の日本誕生』は、その中でも最も面白かったものと言えるでしょう。
ドラえもんの映画の中で、最も純にロマンを感じて面白かった映画は、
この映画に出てくる宇宙人たちは、身体も持たない変な小さな小さな物体だけで、びりびりの電磁波で、人間の身体を乗っ取るというかなり恐ろしい敵です。
想像力を働かせる方には、恐怖を感じさせ、オカルト・陰謀系にぴぴっとアンテナが反応してしまいそうな、面白い一作です。
映画ドラえもんは、ムー文明やアトランティス文明などの話を用いたり、オカルト系や陰謀系に響きそうな正体をアニメらしく、そしてドラえもんらしく、楽しく、ファンタジックに、そして時に得体の知れない敵が出てきたり、恐怖を感じさせてくれたりする映画でもあります。
そんな中でも、ロマンあって、そして時に都合よく化学的な宇宙的な根拠あっての、ロマンチックなストーリーが、この『のび太の銀河超特急(エクスプレス)』
そして、スピリチュアル魔女系、ニューエイジ系、いきすぎた精神世界系に、もっとも感動と興奮を奮い立たすのは、この作品
『ドラえもんのび太の魔界大冒険』
もしもボックスで、魔法の国に変えてしまったら、魔王と対決することになっていくというシンプルな話に見えて、
この物語には、最近のハリウッドのリブート映画なみのストーリーの面白さと感動が、じっくり詰まっています。
って思ってしまいました。
当時、私がスピリチュアルスクールやミステリースクールにいたとき、そこで魔術やワーク、ヒーリング、セラピストを学んでいる連中、
そしてそこに通っていた、三流女優たちや五流声優たちが、かなりこの映画が話題となってブームになっていました。
何よりも、本物の魔術的なシンボルらしいものを扱っていたり、カバラのシンボルのようなものを扱っていたりして、あいつらにとっては、憧れになる良い光となったのではないでしょうか??
私個人としては、
私流で、ドラえもんを精神世界から分析すると、
ドラえもんという映画は、ドラえもんという不思議なポッケでなんでも叶えてくれる道具を持っているからこそ、
安心して、それぞれの人格や癖を持った登場人物たちがその人格や癖が守られながら、冒険し、登場人物たちを成長(アセンション)させていってくれる
本当に安心感を感じさせてくれて、楽しめる映画なのです。
これが、どういう意味かというと、例えば、宇宙空間に出れば、人というものはあっという間に流されたりして、死んだりしてしまうのですが、
でもドラえもんの道具があれば、自由に何のリスクも不安もなく普通の気持ちで目的を叶えることができるのです。
しかし、もしこの道具がなかったらと考えると、のびたくんたちは死んでしまう強烈な世界を歩んでいることになります。
ここが、暗黙に強烈に存在する精神的な最初のロマンの例えの一つです。(この場合は、刺激となってしまうかもしれませんが)
ほんやくこんにゃくなんて、本当に便利です。
これらのドラえもんのほっこりした強い安心感は、のびたくんやしずかちゃん、ジャイアン、すねおたちに無意識な仲間意識よりも強い絆意識・・・それよりも強い愛の意識を作りやすいのです。
その意識レベルを例えると、映画の中で安心感の中枢となっているドラえもんという意識レベルの強さは、
おそらく、彼らが経験していることは、尋常じゃないリーダーシップを発揮するくらいの覚醒が起き、人格的にも、エナジー的にも大きな大きな変容が起きていくはずです。
ここでは、それはアニメだからだよ!
クレヨンしんちゃんだって、映画終わった後、全然成長してないじゃない・・。
っていうのは置いておいて。
少なくとも、少しは影響が行くはずです。
これには、人間のパーソナルの低レベルさ、限界を現しているとも感じます。
すねおは、いつまでも、ママに甘えなきゃ生きて行けないし、やっぱり優越感教育が必要とされてくるだろうし、(自分の意思で回避することもなく)
ジャイアンは、やっぱり人を率いて、それまで唯一自分にしかないっと思われる力(暴力)で人を率いて、野球を始めるだろうし、
しずかちゃんは、いつもの狭い乙女のパーソナルに純粋に戻っていくし、
のびたは、またジャイアンやすねおにいじめられ、『自分には何もない』っという劣等感の日常に戻っていくという日常を創ることができる。
彼らは、アニメだから変わらないのではなく、
変わる気がなく、日常に戻るから変われない真実が隠れているのです。
ソウルエンライトメントの高度な叡智で見えてくるのです。
彼らが、こんな大冒険をして、パーソナルが変容せず、壊れないのは当然のこと。
日常生活で言う、仕事やサラリーマンのパーソナルと同じです。
組織に生きる人間は、上からやれっとアメとムチを見せられると、その時間内であれば、侵害でもない限り基本、なんでもできてしまうものです。
自宅に帰ったら、本当の真の自分が現れていきます。
映画ドラえもんと、短編ドラえもんの切り替わり具合は、こういったところでしょうか。
やっぱり、ルパンやコナンのような、短編と映画版が、互いに多少でも影響しあうような作品(続編も含む)のほうが、精神世界的には、多少なりのリアリズム的な要素を感じさせられ、面白いと思います。
そうすると、より強い精神世界の分析が見れていくからです。
今日は、この辺で☆
『映画・ドラえもんを精神世界から分析 ~スピリチュアル分析で、おススメ映画 その②~』
に続く
愛と感謝を込めて
良い輝きを~☆
長文の精神世界ライフなのほほん記録です☆
最近は、くれよんしんちゃんより、劇場版ドラえもんに隠れてはまっているマイブームです。
とくに、ここ最近は、初代のドラえもん声優たちの劇場版を10作品くらい観賞したところです。
初代のあののび~~んとしたドラえもんの声に、ストーリーもその流れものび~~んと感じてしまい、最初は眠くなってしまうのが事実でした。
とくに、あるネットのランキングで1位と2位を獲得している
ドラえもんのび太の海底鬼岩城(2位)
ドラえもんのび太と雲の王国(1位)
・・・まぁまぁ面白かったです。これぞ、ドラえもんの映画ってやつですか。
ただ感動の注目のシーンは、ドラえもんが、自分の責任で、町につっこむシーンは確かに目が覚めました。
クレヨンしんちゃんで言う映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』と良い評価とのぶつかり合いになるかな。
昭和時代やバブル時代に戻りたがる、時代に取り残された人間たちといっていいのだろうか・・・。
私が、この作品たちよりも個人的に凄く面白かった映画は、『ドラえもんのび太の秘密道具博物館』
新しい声優たちの最近の映画ですね。
ドラえもんの道具を本気で知り尽くしてマニアックに創り上げて、探偵のラインで物語の視点を見れる、期待しなくても、わくわくしてくる作品です。
ありきたりの展開やありきたりの犯人だったとしても、
最後の終わり方は、90年代くらいのあのジブリっぽいラストシーンも一瞬感じられ、終盤のなんとなくな展開が過ぎっても、飽きない映画だったと感じられます。
子供よりもちょっと大人の人たちが、十分楽しめる作品だと思います。
映画として、誰が見ても、普通に面白かったのは、『のび太の日本誕生』です。
この映画は、迫力があって、案外面白かったですが、この映画から始まったせいか、
ドラえもんという映画は、大体、歴史を変えてしまう『時空犯罪者』が黒幕になっている展開が多いように感じるときがあります。
『のび太の日本誕生』は、その中でも最も面白かったものと言えるでしょう。
ドラえもんの映画の中で、最も純にロマンを感じて面白かった映画は、
『のび太の銀河超特急(エクスプレス)』
この映画に出てくる宇宙人たちは、身体も持たない変な小さな小さな物体だけで、びりびりの電磁波で、人間の身体を乗っ取るというかなり恐ろしい敵です。
想像力を働かせる方には、恐怖を感じさせ、オカルト・陰謀系にぴぴっとアンテナが反応してしまいそうな、面白い一作です。
映画ドラえもんは、ムー文明やアトランティス文明などの話を用いたり、オカルト系や陰謀系に響きそうな正体をアニメらしく、そしてドラえもんらしく、楽しく、ファンタジックに、そして時に得体の知れない敵が出てきたり、恐怖を感じさせてくれたりする映画でもあります。
そんな中でも、ロマンあって、そして時に都合よく化学的な宇宙的な根拠あっての、ロマンチックなストーリーが、この『のび太の銀河超特急(エクスプレス)』
そして、スピリチュアル魔女系、ニューエイジ系、いきすぎた精神世界系に、もっとも感動と興奮を奮い立たすのは、この作品
『ドラえもんのび太の魔界大冒険』
もしもボックスで、魔法の国に変えてしまったら、魔王と対決することになっていくというシンプルな話に見えて、
この物語には、最近のハリウッドのリブート映画なみのストーリーの面白さと感動が、じっくり詰まっています。
藤子不二雄・・・素晴らしい!!
って思ってしまいました。
当時、私がスピリチュアルスクールやミステリースクールにいたとき、そこで魔術やワーク、ヒーリング、セラピストを学んでいる連中、
そしてそこに通っていた、三流女優たちや五流声優たちが、かなりこの映画が話題となってブームになっていました。
何よりも、本物の魔術的なシンボルらしいものを扱っていたり、カバラのシンボルのようなものを扱っていたりして、あいつらにとっては、憧れになる良い光となったのではないでしょうか??
魔術系、ニューエイジ系、神秘系、不思議系のワーカー、セラピストを目指す方には、ぜひお勧めしておきたい作品です。
私個人としては、
とにかくハラハラどきどきで、恐怖度の高いからこそ面白い映画!
魔王が強すぎて(というより強そうすぎて?)怖い!!あっさりと終わらせてくれず、ハリウッド的なちょい曲げて曲げて曲げて、そこから納得した真実にたどり着いて、さらなる感動に出会い、魔王をやっつけるしっくりくる作品と言えるでしょう。
私流で、ドラえもんを精神世界から分析すると、
ドラえもんという映画は、ドラえもんという不思議なポッケでなんでも叶えてくれる道具を持っているからこそ、
安心して、それぞれの人格や癖を持った登場人物たちがその人格や癖が守られながら、冒険し、登場人物たちを成長(アセンション)させていってくれる
本当に安心感を感じさせてくれて、楽しめる映画なのです。
四次元空間や捻じ曲がった謎の異空間に入っても、後ろにはドラえもんというバックがいてくれるから、なにが起きても大丈夫だ!っというほっこり安心できる存在があるからこそ、暗黙に強烈な境目が存在します。これが、ドラえもんの映画の特徴的な最初の精神的ロマン世界の始まりなのです。
これが、どういう意味かというと、例えば、宇宙空間に出れば、人というものはあっという間に流されたりして、死んだりしてしまうのですが、
でもドラえもんの道具があれば、自由に何のリスクも不安もなく普通の気持ちで目的を叶えることができるのです。
しかし、もしこの道具がなかったらと考えると、のびたくんたちは死んでしまう強烈な世界を歩んでいることになります。
ここが、暗黙に強烈に存在する精神的な最初のロマンの例えの一つです。(この場合は、刺激となってしまうかもしれませんが)
このような利便性の点を持つ道具が、本当は途方にくれた絶望的な精神世界の回避や人生的な落ち込みや精神的なトラウマなどを、回避し、物語の中では、絶望シーンや人生の落ち込みを極めて少なくしてくれています。
ほんやくこんにゃくなんて、本当に便利です。
これがないと、のびたくんたちは殺されていたかもしれませんし、とにかくなにされるかわからない恐怖を悟ることもなくコミュニケーションが通じ、逆にそのお陰で愉快に仲間にまでなってくれるのだから・・・まさしくその愉快は、バックにいるドラえもんのほっこりした安心感から生まれているのです。
これらのドラえもんのほっこりした強い安心感は、のびたくんやしずかちゃん、ジャイアン、すねおたちに無意識な仲間意識よりも強い絆意識・・・それよりも強い愛の意識を作りやすいのです。
その意識レベルを例えると、映画の中で安心感の中枢となっているドラえもんという意識レベルの強さは、
パパとママがいて、兄弟がいて、みんな深く愛し合っていて、仲良くて、幸せな家庭で、そんなしっかりした守られた家があり、その家そのものが、宇宙空間や四次元空間や、別の星やパラレルワールドで冒険しているようなものなのです。
その家で過ごせば、強い強い愛に満たされ、尋常じゃない勇気と希望、愛が生まれて、どんな危険な宇宙でも、どんな未知の敵にでも挑めるパワー、その精神世界を創り上げることができるのです!!
ドラえもんと行動するということは、自分の生命まで包んでくれる大きな大きな大きな大黒柱のお家と一緒に行動している意識世界なのです。(疲れたらそのおうちで休めるしね)
それでも、のびたも、ジャイアンも、すねおも、しずかちゃんも、成長しない真実・・・
おそらく、彼らが経験していることは、尋常じゃないリーダーシップを発揮するくらいの覚醒が起き、人格的にも、エナジー的にも大きな大きな変容が起きていくはずです。
ドラえもんにばかり頼るわけにはいかない!!っという尋常じゃない人生レベルに響く強さです。
ここでは、それはアニメだからだよ!
クレヨンしんちゃんだって、映画終わった後、全然成長してないじゃない・・。
っていうのは置いておいて。
少なくとも、少しは影響が行くはずです。
これには、人間のパーソナルの低レベルさ、限界を現しているとも感じます。
どんなに人間がアセンションしても、どんなに人間がスピリチュアルの世界で、私は神のレベルになった!と言っても、
すねおは、いつまでも、ママに甘えなきゃ生きて行けないし、やっぱり優越感教育が必要とされてくるだろうし、(自分の意思で回避することもなく)
ジャイアンは、やっぱり人を率いて、それまで唯一自分にしかないっと思われる力(暴力)で人を率いて、野球を始めるだろうし、
しずかちゃんは、いつもの狭い乙女のパーソナルに純粋に戻っていくし、
のびたは、またジャイアンやすねおにいじめられ、『自分には何もない』っという劣等感の日常に戻っていくという日常を創ることができる。
地球には、男と女しかない、日本は義務教育という日常があり、アセンションした人間は、人生という道がある限り、いつだって『欲』に溺れることができるし、いつだって足を踏み外して、ふわふわと夢を追いかけるだろうし、
アセンションしても、いつだって『自分は変われない』っと人生に宣言できてしまうのです。
彼らは、アニメだから変わらないのではなく、
変わる気がなく、日常に戻るから変われない真実が隠れているのです。
人は、環境や人間関係で、パーソナルやスピリチュアルエナジーを変えていくことができるが、魂に繋がる真のパーソナルは、決して本人自身が変わると決めていかない限り、決して変わることはできないという真実が、
ソウルエンライトメントの高度な叡智で見えてくるのです。
彼らが、こんな大冒険をして、パーソナルが変容せず、壊れないのは当然のこと。
日常生活で言う、仕事やサラリーマンのパーソナルと同じです。
組織に生きる人間は、上からやれっとアメとムチを見せられると、その時間内であれば、侵害でもない限り基本、なんでもできてしまうものです。
自宅に帰ったら、本当の真の自分が現れていきます。
映画ドラえもんと、短編ドラえもんの切り替わり具合は、こういったところでしょうか。
やっぱり、ルパンやコナンのような、短編と映画版が、互いに多少でも影響しあうような作品(続編も含む)のほうが、精神世界的には、多少なりのリアリズム的な要素を感じさせられ、面白いと思います。
そうすると、より強い精神世界の分析が見れていくからです。
今日は、この辺で☆
『映画・ドラえもんを精神世界から分析 ~スピリチュアル分析で、おススメ映画 その②~』
に続く
愛と感謝を込めて
良い輝きを~☆