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エネルギーワーカー・アーラの気づきを記載してます(*^_^*)
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うるさい日本国民たちよ、私は戦いが好きだ。しかし、

2017-04-17 21:52:06 | 精神世界ライフなのほほん記録
スピリチュアルセラピストのアーラです。

難解で、超長文シリーズの精神世界ライフののほほんワールドです。

超、長文なので、覚悟してください。





今日は、安保法案やその反対デモに関しての、私の意見を載せてみます。





あなたは、戦いが好きですか?





安保法案は、徴兵制度だとか、また戦争に行くことになるとか、

本当に、いちいち過剰に捕らえる、日本人たちは少なくない。

そういう反対デモを見てれば見てるほど、

なんだか、中国や韓国のデモに見えてくるよ。

そういう過剰な反対デモ意識が、本当に徴兵制度や戦争を引き起こす現実世界に導かれることを、彼らは知らないのだろうか。







安保法案を理解する限り、あくまで、可能性の世界としか感じられない。

確かにこの日本が、今から鉄砲担いで、殺されないように人を殺してきます。
って現実を突きつけられたら、本当に、我々はデモをする意味は、必要不可欠になってくるだろうと感じている。

原子爆弾の脅威を知っている我々は、戦争に負けて、アメリカにビビッてしまったから、

気がつけば、銃も刀も持てない社会になり、やがて、それは人を殺すことは悪いことだと、戦は戦犯だという罪意識とその守護された社会に導かれてしまっている。

それは、私たち日本人たちにとっては、武器を持たない平和を悟るための国としては、輝かせれば、良い国と言えるだろう。

けれど、確かに、中国だって朝鮮だってロシアだってアメリカだって、

みんな自分の国で一生懸命だ。

いつミサイルが飛んでくるか分からない状況でもある。

ここらへんは、ヨーロッパの軍政を勉強しなければ、中々簡単には意見は言いにくいんじゃないかっと思っている。

アメリカに好き勝手されたからって不満が高まれば、
このような、武器を保持する規制を緩和するような、自立していくような法案が生まれても、いいのではっと感じるときがある。
この法案によると、

徴兵制度は、自衛隊で大量に退職が出て、自衛隊が成り立たなくなった可能性のときだ。





だけどね、


この国や自分の家族を諦めている若者や、

子供なんて作りたくない!って思っている若者たちや

こんなくそみたいな会社で、一生過ごしたくないな

ハリウッド映画や戦争映画、戦争ゲームってすげぇな~・・・ああ明日から仕事だ・・・。

日本の男は、世界に言われているほど弱いし、俺みたいな男に、女は寄ってこないし・・・

というような、ストレス大国の日本にとって、日本のために戦ってくれたら輝かしき兵隊に成れるって言われたら、案外、予想外の方向として、希望を失った若者たちは喜ぶものも少なくないのではないだろうかっと思うときがある。



なぜ、このようなことを言えるかと言うと、

第二次世界大戦に、死んでいく前の若者たちのあの輝きは、本当に忘れられない輝きを持ち、

日本のためっと死んでいったのが一つの要因である。



そして、元々は、刀という武器を持つことで、誇りを持てる高き身分の時代が1000年以上も長く存在し、

今でも、そんな時代劇やテレビドラマが、戦いが美化され、国民に愛されている。

武器を持ち、誇る男の強さ

戦う男の強さ

そして、その強さを共に学んできた女の強さ

そういう隠された覚醒のDNAを、日本人たちは持っているということ。

日本の男たちは、そうやってかっこつけたいのでは・・・。そこから始まる目覚めた男の人格は、人一倍以上の輝きを発するものも出てきたりして。

戦争時代の悲惨な時代に捕らえられるはずの世界が、実際に、若者たちの写真や生き残った今の老人たちが、そう輝いているように物語っている時があるからだ。

ところが、日本が戦争に負けて、武器を取り上げられてからの時代は、

その根性は仕事に向けられ、過労死や一気飲みという切腹が多発する時代もあったようで

しかし、仕事のし過ぎもよくなければ、武器も持てないこの時代・・・一体、数千年の闘争心たるDNA・・・このエナジーは、どこに向ければいいのだろうか?

ネット書き込みやテレビゲーム?漫画アニメ?ハラスメントを訴えること?女に叩かれることをひたすら耐えることか?それとも、上司や取引先に頭を下げること?今の時代、国を変えようなんて40年前以上くらいの過激派グループになるのもだるいし、ださいし・・・

きっとそれは、存在してはならない自然と抑え付けられた世界として、諦めた世界へと導かれていくのではないだろうか?



話を変えて、

武器大国であるアメリカは、本当に誇り高きポジティブな人格へと成長させている。

海兵隊になるあれくれものたちのほとんどは、

国のために、

銃を撃ってみたい、悪いやつを撃って、国のため正しいことをしたい

というきっかけの者たちが多いのが当たり前のような社会。

戦争に負け、長年銃や刀を持っていない日本人たちには、悪意に感じられるかもしれない。

残念ながら、それが正義という誇りになっているのだ。

そして、それは世界に認められている象徴として、人生の成長になってしまっているのだ

武器を持たなくなった日本人たちには、絶対的にあり得ない世界と言えるかも知れない。


なぜ、私がここまでまわりくどく、戦争や武器に関して、肯定的に話すかというと、
私は、そこらの人間と同じように、戦うことが自然と好きだからだ。といっても、実際に、人が死んで悲しみを生むようなことは、私だって望んでいない。

けれど、私は小さいころから映画が好きで、やはり武器や戦闘には自然と魅力的に感じるようになっていた。
だから、子供のころにグアムに行ったとき、銃をがんがんを撃ってきた思い出がある。
散弾銃から40口径以上のマグナムなど。

しかし、大人になって精神世界のエナジーワークを学び始めてから、
ロサンゼルスに短期滞在してた時には、銃社会の恐ろしさを身にしみたことがある。

ロサンゼルスの都会から離れたちょっと貧相な街に入ってしまったとき、
鉄格子だらけの家や、スプレーでいたずら書きされて汚くなっている町並みを見たとき、
背筋に寒気を感じたことがある。

ピストルを持ったタンクトップの青年が、おじいさんと何かを話していた。

他には、警察官が、腰に抱えた銃を抑えながら、中年男性に職務質問みたいのをしていたのを見てしまった。

武器を持っていい国では、警察官だって国民に銃を向けることができる。

あの光景を目にしたとき、そんな恐ろしい誤解が起きたときの妄想をてしまったのだ。
いざ、現実を見て、考えてしまうと、本当に帰れないほどの恐ろしい世界にしてしまうわけだと感じた。

実際に武器を持つ誇らしさやその経験は、それなりの自己の強い精神へと成長させていかなければならない。


それでも、我々武器を持たない日本人たちでさえ、戦争映画やSFやアクションといった戦いの物語や、激動の時代、とにかく武器を持った世界に自然と引かれてしまうのはなぜだろうか。


それは、簡単、

人間の脳は、生死に関わる世界や、そういう刺激のある物語やゲーム、またノンフィクションの物語には、かなりの快楽を与える脳波になるからだ。

だから、そういう刺激や過激や生死の危機に関わるものは、人間にとって必要な日常になってしまっている。

そこに、実際に鉄砲を担いで、撃ってみたい・・・・そして、その行いは国のため自分のため正しい行いであるといわれた上で、その現実を本気で必要とする人間には、案外必要になってくるかどうかという意識で、戦争意識は決まってくるだろう。





アメリカ大国は、一人一人が責任を持たなければならない生き方である。

それはつまり、全てがビジネスに関わってくること。

詐欺になろうが、人殺しで悪いことだろうが、ビジネスで勢力があれば、何も問題のない大国であること。

逆に、裁判で個人が勝てば、どんな勢力を持っていても、それが壊滅するくらいの懲罰を与えることができる、

本当に英雄主義大国なのである。(個人の重責が問われる国)



それに比べれば、日本人たちは、国や政治家を捨てる余裕があるくらい、家族に支えられた国と言えるだろう。

アメリカに対して不満を持って守ってくれることをやめたいなら、とことん自立する法案を作って、若者たちに意気を高める国づくり、真の愛国心へと目覚めていく可能性だってある。

第二次世界大戦で敗北した我々は、

戦争といったら、戦犯の意識が強すぎてそこで止まってしまうせいか、

戦争=悪い、辛い、残酷、ひどい、悲しい・・・というマイナスな事ばかりで終わる。

しかし、私たちは、ついこの前まで・・・刀を持つことが、誇らしい文化だったことを忘れないように・・・。

それは、あだ討ちだって当たり前の世界だった。

きっとうるさい親と決着を着けて黙らせたいっていう本心を持つ人は、案外たくさんいるかも?昔から親子のトラブルは重罪まで発展するくらい耐えないからね!



そして、何よりも私が戦いが好きだっと感じさせる理由が、

日本は、戦争で世界に誇り、世界レベルで物凄く輝いた時代があったこと。

それが、日露戦争や日清戦争、第一次世界大戦の時代。

日本は、本当に美しく輝かしい国だったと見える。

坂本竜馬ではなく、司馬遼太郎の『坂の上の雲』やそのときの輝いた時代の話を、もっと国民に分かりやすくテレビや映画にしないのはなぜだろうかっと思ってしまうことがある。


○1942年・第二次世界大戦・・日本の領土・・・今でも海外から誇る声がある。



もし、あれだけの国々が現在まで日本の統治だったら、

私たちは、もっともっと大きく広大な問題や学びを抱えて、大きな日本大国を繁栄していただろう。

世界に誇られ、世界に恐れられ、アメリカと張り合える、素晴らしいビジネス大国になれたかもしれなかったのだ。

おまけに日本の技術、日本のエナジー、日本の経済やビジネスの豊富さは、世界にあり得ないくらいの繁栄さと、どの国にも叶わない信頼性だった。

もしそうなっていたら、スピリチュアルブームは、全て日本から発せられ、アジアに大ブームとして届けることができただろう。

インドネシアの残酷すぎる障害者の隔離問題だって、日本がうまく管理できてたかもしれないし、

韓国だって、本当は歴史的朋友の国であった真実を認め合い、親しく仲良くできたかもしれない。




ところが、世界でも最もエナジーが強い島・・・ハワイ州を攻撃したのは、(真珠湾攻撃)

浮かれに浮かれた大いなる日本の過ちであり、それは愚かな地獄への切符だったと強く感じている。



これが、第二次世界大戦という、日本を地獄の陥落へ導くきっかけとなった。

太陽神・天照大神が大日本帝国に怒り始めたのは、このハワイを攻撃し始めたからだと私は感じている。



アメリカは特にマッカーサーは、本当に優しい存在だと感じている。

歴史的重要な宝の都である京都を破壊することはしなかったし、(きっとアメリカ人たちが金にしたかったのかもしれないが。)

戦争に負けても、ここはアメリカの日本州とならなければ、アメリカで起きている差別や残酷な犯罪でさえ、永遠に起きていく国になることはなかったからだ。




現代に私の心を戻して、

しかし、武器を持たない社会で、平和に生かされてきた私は、また戦う世界は望んでいない。

戦わない国として、真の平和精神へと、国民を導くならば、とことんアメリカや中国の圧力をうまく退いて、うまく嘘ついて、世界平和の象徴である国民に育て上げること。



ヨーロッパのように、うそつき大国になってもかまわないと思う。

真の平和に導けるのであればね。

日本は、そのくらい大嘘ついても、ヨーロッパのように誇れる国だと言える宝の持ち腐れだともいえるからだ



しかし、ビジネスのために戦いが必要な国にしていくのならば、それは刀を持っていた時代や、日本が最も輝いた時代へと、とことん意識を高めていくといいと思うと感じている。

もちろん、日本がもし核兵器をもってもいいんじゃない?

という肯定意見やシュミレーションだって、たくさんあって良いと思う。

なぜなら、日本だって、核爆弾を落とされる前に、核爆弾をアメリカに落とそうという計画があったわけで・・・。

もし、先手として日本がアメリカに核爆弾を落としていたら、その戦争・・・いや、核を落とされた歴史はどうなっていたのだろうか?


唯一、核を落とされた国だからって、いつまでも被害者ぶってる場合ではないと感じるときがあると言いたい。

我々日本国だって、核をアメリカに落とそうとしていたのだから。





広島に出張ワークで滞在したとき、

その核の恐ろしさは、博物館で、ワーカーたちと共に目にした。

広島のお客様たちから、その原爆に関しての話を現地の人間の意見として聞かされた。

はだしのゲンだって、本で何度も、読んだ。



あってはならない兵器だと思わされた。



だからこそ、

日本人だから、唯一の被害国だからって、

感傷ぶったり被害ぶってる場合ではないと感じている時がある。





ドイツ軍だって、罪無き人々に相当、恐ろしいことをしてきたと思うし、

最も最悪な国だったと思われている。

しかし、それでもドイツ軍の尋常じゃない頭の良い将校たちや科学者、技術者たちは、

アメリカ軍と戦えたことを、共に誇っていたし、アメリカ軍も、その将校たちを誇っていた。


そして、今でも世界に誇られているようで、ノルマンディーなどの恐ろしい戦場の跡やクレーター、装甲車などは名誉の記念として存在してあった。

戦争時代によっては、人々の死には、物凄く輝いた栄光であると、伺えるところがたくさんあり、それは現代にも受け継がれてるようにも、精神世界で深く感じさせるところがいっぱいあるということだ。

しかし、今の現代では、時に自分が生きている意味を見失うくらい、辛く、苦しい現実世界を持つ若者は、多いのではないだろうか?

そこに必死に生きよう!生き延びて幸せになろうっという希望の光は、ぼけているようにしか、私は感じられないときが深く深くあるのです。

身近で、ちょっとしたことなど、ちくちくいやらしい不満ばかりが、自然と強く蓄積していき、いつの間にか、人の光はぼけてしまって、輝きがとてつもなくくすんでしまった、サラリーマンや日本男児、そして、家を支えるかけがえの無い女たちまで、光は失いつつあると感じている。

なにを信じたらいいのだろうか?なににこの蓄積して詰まりに詰まったエナジーを放出したらいいのだろうか・・・・と思いきや、それは悪いことと決め付けられた社会、日本と言う諦められた国・・・そんな詰まりに詰まることが当たり前になった社会・・・そんな現代。




私から見た安部総理という人は、自分の受け継がれてきた一族や家族の想いが強いせいか、それで憲法を改正したから、自己満足という形で、自分の一族を想いを果たしたと、人生や一族の目的を達成したと、勝手に強く実感したかったのが、ただただ強かったのかもしれないと・・そう感じてくることが多いです。


さて、

日本人どもは、数千年の戦うDNAを封印され、溜まりにたまりまくっていると、私は、感じるときがある。

武器のない平和をところん貫き通すなら、とことん経済国として、平和を貫き通してほしい

そして、真の平和を悟ってほしい。

しかし、戦争で経済的にも歴史的にも、自国を守るしかないなら、それなりのとことんとして自立した、守られた国にしていってほしいのだ。


さぁ、国は、どういう方向へ進めていくのでしょうか?

これは、国民を洗脳するとかしないとかというありきたりの陰謀ごっこの問題ではない。未来をどうしていきたいかという問題だ。




洗脳とか宗教とか、それらが金集めだとか、それが悪い・・・というような考えしか持てない一部の若者ほど、国を捨てたさ迷う国民はいないと思う。








これが、私の戦争に対する意見。

戦うことが嫌いならば、疲れることならば、その戦いをしなければいい話だ。



人間が、快楽や希望のように戦いや命の危機を求める理由は、

数億年前から戦い続けてできてきた、DNAの作り方から始まっていることに、結構誰も気づいていなかったりする。



人と喧嘩したり、

愛するものや愛する人と会うために、努力したり、頑張ったりすること、

子孫を繁栄するために、懸命に素敵な女の子との出会いを求めたり、

素晴らしい子供を産むために、もっともっと綺麗に美しくなって栄養を溜めて、備えて、最高の男がやってくることを待ったり、

それは、大自然の流れであり、生命の自然の流れであり、

それは、『戦っている』という考え方を取り入れていないだけであって。

本当は、私たちは、無意識に戦い続けているのだ。

だからこそ、この癒しの世界には、戦いは必要としないのだ。

快楽で疲れきった自分を休ませる、唯一の癒しと真実の時間が必要だからだ。




今日はこの辺で。




ここまで読んでくれて、ありがとうございました。






愛と感謝を込めて

良い光を。







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