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マルティン・ルターについて、後で述べますが、彼は全諸国を教会から切断し、カトリックの聖職位階秩序を広範囲にわたって破壊することになった精神的かつ政治的騒乱にヨーロッパを投げ込みました。ルターは間違った救いの教理と間違った秘蹟の教理を作り上げたのです。ルター以後、続々と出てきた全ての革命家たちはヨーロッパと全世界を無秩序に投げ込むのですが、ルターの教会に対する反乱は、その革命家たちのお手本となったのです。五百年たった今、この様な革命家たちは、ルターを教会の預言者とか博士にまつり上げたがっています。でもそれは不可能です。彼は聖人ではないからです。
ところが、カトリック文書集(La Documentation catholique)や、教区の文書を読むと、バチカンに公に認められたカトリックとルター派(ルーテル派とも言う)の合同委員会の筆になる次のような声明が載っていました。[La Documentation catholique, 3 juillet 1983, n. 1085, pp.696-697]曰く、
「第二バチカン公会議の見解のうちに、私たちはルターの要望したものが受け入れられているのを見ることが出来る。
例えば、教会を「神の民」として叙述すること(これは新教会法の中のメインテーマであって、聖職位階的ではもはやなくなった、民主主義的な教会の見方です)、
全ての受洗者が司祭職を持つのを強調すること、
信教の自由への人権を支持する教え、である。
ルターの時代にルターが要求した他のことは、今日の教会の神学と実践においてかなえられていると言える。例えば、典礼に於いて俗語を使うこと、両形色で聖体拝領すること、聖体祭儀の神学とその執行の刷新がそうである。」
このことはうまく言い当てています。ルターは自分のことをミサと教皇の確固不動な不倶戴天の敵と宣言しましたが、今教会は彼の要求をかなえているのです!
ルターは、「私はあらゆる売春宿、殺人、窃盗、姦淫も、この忌まわしいミサほど悪いものではないと宣言する」と冒涜しましたが、教会はこの冒涜者の要求したものを受け入れたのです。
この様な途方もないようなルターの復帰を見ると、そこから私たちには一つの結論しか導き出すことが出来ません。つまり、私たちはこの様なことを許した第二バチカン公会議を排斥するか、あるいは、十六世紀以来プロテスタント主義を異端的で離教的だと排斥してきたトリエント公会議と全ての教皇たちを排斥するか、のどちらかに一つです。
ところが、カトリック文書集(La Documentation catholique)や、教区の文書を読むと、バチカンに公に認められたカトリックとルター派(ルーテル派とも言う)の合同委員会の筆になる次のような声明が載っていました。[La Documentation catholique, 3 juillet 1983, n. 1085, pp.696-697]曰く、
「第二バチカン公会議の見解のうちに、私たちはルターの要望したものが受け入れられているのを見ることが出来る。
例えば、教会を「神の民」として叙述すること(これは新教会法の中のメインテーマであって、聖職位階的ではもはやなくなった、民主主義的な教会の見方です)、
全ての受洗者が司祭職を持つのを強調すること、
信教の自由への人権を支持する教え、である。
ルターの時代にルターが要求した他のことは、今日の教会の神学と実践においてかなえられていると言える。例えば、典礼に於いて俗語を使うこと、両形色で聖体拝領すること、聖体祭儀の神学とその執行の刷新がそうである。」
このことはうまく言い当てています。ルターは自分のことをミサと教皇の確固不動な不倶戴天の敵と宣言しましたが、今教会は彼の要求をかなえているのです!
ルターは、「私はあらゆる売春宿、殺人、窃盗、姦淫も、この忌まわしいミサほど悪いものではないと宣言する」と冒涜しましたが、教会はこの冒涜者の要求したものを受け入れたのです。
この様な途方もないようなルターの復帰を見ると、そこから私たちには一つの結論しか導き出すことが出来ません。つまり、私たちはこの様なことを許した第二バチカン公会議を排斥するか、あるいは、十六世紀以来プロテスタント主義を異端的で離教的だと排斥してきたトリエント公会議と全ての教皇たちを排斥するか、のどちらかに一つです。