聖ピオ十世会 Society of Saint Pius X

キリストは勝利し給う、キリストは統治し給う、キリストは命じ給う

『諸宗教の市』と「諸宗教の議会」:4

2017-05-31 22:59:07 | エキュメニズム関連
 背教した司祭ヤサント(Hyacinthe)は1900年の万博で諸宗教の議会を開かせるために猛烈に弁護した独りでした。アルチュール・ロトはこう書いています。

 「ヤサント神父は、いろいろな聖職者、いろいろな信仰者の間にすべてを糸つに集める超宗教が将来できるであろうとあらゆる機会を使って断言している。更には自分は今からその超宗教の司祭である、と言っている。これこそ彼の背教である。ホラント(Holland)牧師やヤシント神父が、ユダヤのラビ、イスラムのムフティー(コーランの解釈をする僧侶)やデルヴィッシュ(イスラムの僧侶)、インドのファキール(托鉢僧)、またその他の淫祠邪教の偽りの神々の僧侶たちと一緒になって1900年の万博のアトラクションに宗教の議会と演劇を催そうと組織作りをするのは許される。しかしカトリック教会はこの種の如何なる展覧会にも加わってはならない。カトリック教会こそがイエズス・キリストの教会である。カトリック教会はその天主なる創立者によって今あるごとくあるのである。カトリック教会のみが宗教真理の唯一の保管場所である。カトリック教会は他の宗教から受けたり取ったりするものは全く無いのみならず、彼らに与えるべきものを全て持っているのである。教義に関することに対して教会は如何なる黙認も妥協も認めない。教会の道徳は福音の道徳それ自体である。

 カトリック教会は、他の如何なる宗教に対しても、教会が天主ご自身によって創立された所に由来する優越性を持ってしか姿を現すことができない。カトリック教会は無であるか、全てであるかのどちらかである。」(La Verite , 26 septembre 1895)

 パリ枢機卿大司教はこの『諸宗教の市』を禁止しました。しかしシャルボネル神父はこう不平を書きます。「多くのラムネーたち、ラコルデールたち、モンタランベールたちの声はもみ消された。しかし今日一人の『英国のマニング』、一人の『米国のアイルランド』、一人の『ローマのレオ』はいにしえの捨て去られたリベラルな福音を復活させようと望んだ。つまり多くの人々の福音を。」

 シャルボネルは一人残され、自説を曲げようとせず、終に司祭を辞めてしまいました。

 前世紀末の革新派たちのアイデアは、教会を「世俗・現代の中に」溶け込ませることでした。米国のアイルランド大司教猊下(Mgr Ireland)は、こう書いています。

 「教会と世俗!この二つを親密に結び合わせよ、そうすれば二つの心は一致して鼓動を打つだろう。人類の神は世俗において、超自然の啓示の神は教会においてはたらかれる。この二つ両方とも、はたらかれるのは一つの同じ神である。」アイルランド大司教猊下によると、この世俗は民主主義に行き着くので(注:勿論、カトリック教会に反する勢力や、フリーメーソンの闇の活躍による革命の結果として)教会は民主主義に加担参加しなければならないと言いました。

 革新派はついに教会は「理解した」と言いました。レオ13世はフランス・カトリック信者に『共和制参加運動Ralliement』を押し付け、アイルランド大司教は「フランス国民に対する(レオ13世の)栄えある回勅は長い間人々が望んでいた平和の口づけを教会から民主主義にもたらした!」しかし、このミネソタ州のセイント・ポールの大司教は少し懐疑主義で有名なエミール・ゾラと似ていました。アイルランド大司教はフランスの民主主義の召命を疑うのです。そして、2年後にはアメリカ合衆国こそその召命を持つとこのように宣言するのです。

 「わたしは合衆国共和国に天主からの使命が授けられたと信ずる。この使命は、その模範と道徳的影響力によって、人類の自由と人権の世界的君臨のために世界を準備することである。アメリカは自分だけのために生きない。人類の運命はアメリカの手にゆだねられた。如何なるモンロー・ドクトリンもアメリカの民主主義を太平洋・大西洋の海岸に押し止どめ得ない。」しかし彼の考えはレオ13世によって排斥されました。

 既にこのアメリカ人大司教は、今世紀中のアメリカ政治を特徴付けることとなる汎民主主義的帝国主義を自分のものとするです。教会と、(カトリック教会から排斥されたはずの)フランス革命の考えを世界中に押し付ける使命があるとするこの帝国主義とを結び付けるという考えは、それ自体全く驚くべきことでした。しかし時代は人々の考えが少しずつ道を外れて行く時代でした。


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