聖ピオ十世会 Society of Saint Pius X

キリストは勝利し給う、キリストは統治し給う、キリストは命じ給う

『諸宗教の市』と「諸宗教の議会」:3

2017-05-31 22:58:02 | エキュメニズム関連
『諸宗教の市』と「諸宗教の議会」:3

 この『諸宗教の市』はカラフルで、アメリカ人好みのパレードのスタイルで、シカゴではあまり問題にも成らなかったかも知れません。しかしクライン神父とシャルボネル神父とが万国博覧会の折りにパリで諸宗教の世界議会を組織立てようという提案をしたとき、レオ13世が『カトリックは彼らの会議から遠ざかるのが賢明である』と言い、彼らはそれを放棄しなければならなかったほどの大きなスキャンダルがおきました。しかし、事態は熱気を帯びていました。シャルボネル神父は『諸宗教の精神的一致(Union morale des religions)』というのを提唱しました。彼はRevue de Paris誌の1895年9月1日号にこう書いています。

 「人々を分裂させる教義上のすべての特殊な違いについて沈黙を守るという契約を結ぶだろう。それは、心を一致させるものによる、すべての信仰のうちにある道徳を高めてくれる力による、共通の行動の契約である。それは、昔の幻想を打ち捨てること、人々を教義の細かい違いに縛り付けた『言い掛かり』をつける長い伝統と離別することであり、新しい時代の到来を告げるものである。この諸宗教の最高の一致のための時は来た。」 

 これは1717年のフリーメーソン創立憲章の中の考えと全く同じものでした。この憲章によるとフリーメーソン会員は「すべての人にその個人的意見の選択の自由を残しつつすべての人々の同意する宗教のみに縛られる。それによって、フリーメーソンはそれなくして永遠に分裂し続けるであろう人々の中で、真の兄弟愛を創るセンターとなり手段となるだろう。」こうして、既に19世紀の終わりにはフリーメーソンの考えが聖職者と信者の一部の中に目に見えて浸透していったのです。

 ルミール(Lemire)神父や、ノデ(Naudet)神父などのような有名な近代主義者たちは、このシャルボネルの提案に拍手喝采を送りました。ノデ神父が編集長を務めていたル・モンド紙は「それは宗教が良いということをすべての宗教によって断言させることである。それは第一に神々ではなくて、すべての宗教が多かれ少なかれ完全にもっている神の観念があらわになるであろう。」

 しかし、アルチュール・ロトはこう答えています。

 「いろいろな宗教を目前にして信仰のない者に、天主の御国にまで考えは到底及ばない。さらにそれは他の多くの人々の信仰を失わせる。いつの時代もそうであった。ローマ人たちは異邦の民の神々を知るようになるに従って、自分たちの神々への信仰を失って言った。まず、彼らは自分たちに信じさせるために、また自分の臣民たちに信じさせるために、異邦の神々もローマの神々と同一の神々だとした。次に、彼らは結局如何なる神々も信じなくなってしまった。この交ぜ合わさりの為に不信心にしなってしまったのである。

 パリにおいても同じことが起こるであろう。同じ目的のために統合し、合同の行事の中に解け合った多数の諸宗教の光景のために、人々は懐疑の念を増すだけとなるであろう。かくも多くの宗教を目前にして人々は『すべての宗教はどれも良いものだ』とか『宗教はどれでもかまわない』と容易に信じてしまうだろう。かくも多くの神々を見て『これらのすべては全くどれもこれも価値のないものだろうか』と考えるか或いは『このうちにひとつ本物があるのだろうか』と自問するようになるだろう。」

 ラムネーという異端者の時のように、人はキリスト教はようやく19世紀の末に始まったばかりであるかのような印象を受けていました。そして、『道を離れてしまった人々の心を勝ち取るために』教義については沈黙を守らなければならないかのような印象をもっていました。

 レオ13世は『共和制参加運動Ralliement』は良くない結果をもたらしてしまったと思い始めていましたので、フリーメーソンの地下活動に特に注意を払い、絶えずそれを告発し、こう知らせました。「この沈黙の契約は反乱者たちを教会に呼び寄せるどころか、カトリック信者らを教会から離れさせてしまうだろう」と。


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