聖ピオ十世会 Society of Saint Pius X

キリストは勝利し給う、キリストは統治し給う、キリストは命じ給う

私たちの宗教は変えられようとしている!

2017-06-12 06:21:41 | 公開書簡
教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

ルフェーブル大司教の公開書簡その2

私たちの宗教は変えられようとしている!



 この話を始める前に、そのことにもう一度戻らなくてもいいように、まずある誤解を晴らしておかねばなりません。私は或る運動の首謀者でもなければ、或る独自の教会の長でもありません。私はひっきりなしに「聖伝主義者のリーダー」だと書き立てますが、そんなものではありません。さらにある人々は「ルフェーブル派」などと呼ばれるようにさえなりました。あたかも何かの党とか学派であるかのようです。これは言葉の乱用です。

 私には宗教に関して個人的な独自の教理がありません。私は全生涯を通して、ローマのフランス神学校の机で勉強したことを守っているだけです。つまり、最後の使徒の死をもって啓示が閉じられたことが示されるのですが、最後の使徒の死から教導職が何世紀にもわたって伝えてきた通りのカトリックの教義を堅持してきたのです。

 そこには、ジャーナリストたちが感じる、またジャーナリストを通して現代の世論がセンセーショナルなことを求める欲求を満足させるようなふさわしいネタなどないはずなのです。しかし、1976年の8月29日には、フランス全土は私がリール市でミサを捧げようとしていると知って大騒ぎをしました。一司教がミサの聖なるいけにえを捧げる、このことに何の特別なことがあったのでしょうか?私はマイクの山の前で説教しなければなりませんでした。私の一言一言は、衝撃的な宣言であるかのように受けとめられたのです。他のどの司教でも言うことが出来た以上の何を私が言っていたというのでしょうか。

 はい、ここに謎を解く鍵があるのです。他の司教達はここ数年もはや同じことを言わなくなってしまっていたのです。例えば、あなたは私たちの主イエズス・キリストの社会的統治についてしばしば聞いたことがありますか?

 私の個人的な体験には、私は次から次へと驚かされます。これらの司教達は、その大部分がローマの同級生でした。彼らは同じように養成を受けたのです。それなのにほら見て下さい、突然私はひとりぼっちに残されました。彼らが変わったのです。彼らはかつて学んだことを放棄したのです。私は新しいことを何も発明しませんでした。私はそのままを続けていたのです。ガロンヌ枢機卿はある日こう私にいいさえしたのです。「ローマのフランス神学校では私たちは騙されたのだよ」と。騙された?何について騙されたのでしょうか?彼は公会議の前には次のような使徒信経を自分の公教要理の子どもたちに何千何万回と唱えさせたのではなかったでしょうか。「真理の源なる天主、主は誤りなき御者にましますがゆえに、我は主が公教会に垂れてわれらに諭し給える教えをことごとく信じ奉る」と。

 これらの司教達が全てどうしてその様に変質することが出来たのでしょうか。私はそれへの一つの説明をしてみます。彼らはフランスにいて、ゆっくりと汚染されるがままになっていたのです。私はアフリカにいて守られました。私は公会議のちょうど開かれる年にフランスに戻りました。悪は既に既成事実となっていました。第二バチカン公会議は破壊的な激流を引き留めていた水門を開けただけだったのです。

 あっという間に、第四総会の閉会の以前でさえ、それは壊滅状態でした。全ては、ほとんど全ては奪い取られようとしていました。まず初めに祈りがそうでした。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。