聖ピオ十世会日本 秋田巡礼 SSPXJAPAN PILGRIMAGE TO AKITA

愛する兄弟姉妹の皆様を秋田巡礼にご招待いたします。
このサイトを謹んで秋田の聖母マリア様に奉献いたします。

2014年第八回聖ピオ十世会公式秋田巡礼の意向 [全文]

2012年01月25日 | 2014年第八回聖ピオ十世会秋田巡礼
聖ピオ十世会日本での第八回公式秋田巡礼へのお招き

第八回公式秋田巡礼の意向

アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、来る2014年5月に予定されている秋田の巡礼に、愛する兄弟姉妹の皆様をご招待申し上げます。

秋田巡礼をなさる愛する兄弟姉妹の皆様

2014年は、私たちにとって特別の年であります。何故なら、ちょうどロザリオが聖母マリア様によって聖ドミニコに与えられて、800周年でもあるからです。さらに今年は日本が聖母の汚れなき御心に公式に奉献されて170周年だからです。
御摂理により、今年は1月1日から聖ピオ十世会総長のフェレー司教様の呼びかけにより、第五次ロザリオの十字軍が起動しました(6月8日まで)。聖ピオ十世会アジア管区では、管区長の指導の下、2014年(1月1日から12月31日まで)を、ロザリオの聖なる年として過ごすこととなっています。
また今回の巡礼は、アジア管区長クチュール神父様やポーランドからコヴァルスキ神父様、またカトリック・ファミリー・ニュースのジョン・ヴェナリさんも参加され、世界各国からの巡礼者の皆さんと共により有意義な時を過ごそうと思っています。

そこでこの秋田巡礼をよりよく行うために、二つのことを提案したいと思います。


一つは、この巡礼をロザリオの巡礼とすることです。
「その時わたしたちに残る武器は、ロザリオと、おん子の残された印だけです。毎日ロザリオの祈りを唱えてください。ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために祈ってください。」(秋田の聖母)
「ロザリオの祈りをたくさん唱えてください。迫っている災難から助けることができるのは、わたしだけです。わたしに寄りすがる者は、助けられるでしょう。」(秋田の聖母)


ロザリオ800周年を記念して、この巡礼の間、巡礼者たちが唱えるロザリオの数が、皆で合わせて800環になることを望んでいます。
聖母マリア様の御影の周りにバラのシールを毎日貼っていこうと思います。バラの花の輪が年輪のように、聖母マリア様の御姿の周りを取り囲んで増えていくなど、シールを貼る場所に印をしておいて、ひと目で今何環かとわかるようにします。巡礼中の皆で唱えるロザリオはもちろん、個人で唱えるロザリオ、巡礼参加の往路復路も加算してもらえれば、800環達成は可能であると期待しています。

もう一つは、日本が聖母の汚れなき御心に捧げられたことを重んじて感謝する巡礼とすることです。

安田神父様は次のように書いています。

【引用開始】
殉教の血にいろどられた二九五年を経て、ようやくフランスの外国宣教会の一員フォカード師が、日本の再布教を志して渡来した。一八四四年五月一日、琉球の那覇港に到着した彼は、軍艦内の病室でミサを捧げ、感謝の祈りにつづいて“聖母の汚れなきみ心”にこの新布教地を奉献して祈った。この祈りを、少し長いが、浦川和三郎師著の「切支丹の復活」(前篇)から左に引用紹介しておきたい。

「ああマリアの至聖なる御心、全ての心の中にも至って麗しく、いと清く、いと気高き御心よ、善良と柔和と憐れみと愛とのつきぬ泉なる御心、全ての徳の驚くべき至聖所にして、いと優しき鑑なる御心よ、ただイエズスの神聖なる聖心にのみ劣る御心よ、初めて宣教すべきをいとも不肖なれども我に委託されたかの琉球の島々を、この時、我にある限り、また我に属する限り、御身の特別なる御保護のもとに奉献し、置き、宣言し、聖別し奉る。とりわけ、布教が開始され確立し、それがたとえ幾ばかりかであれ、空しき偶像礼拝よりキリスト教信仰に移ったかの島々の住民らのために、たとえごく小さき聖堂にても建設したならば、いかなる遅れもなく、使徒聖座によって、この国全てが、公にまた公式に、特別の御保護の下に置かれるように全てをなすことを宣誓し奉る。
ああ慈悲深き御心よ、神聖なるイエズスの聖心の前に於ていとも力ある御心よ、何人たりともその祈祷の空しかりしことなき御心よ、卑しき我が祈願を軽んじ給はず、みじめなる我が心を一層善に改心せしめ、かくも暗黒に取り囲まれたるこの心の悪を払い給え。謙遜、賢明、上智、剛勇の精神を、かくも多くの困難と、かくも多くの危険との中において、我が為に勝ち取り給え。願わくは、御身の御取り次ぎによりて、全能にして憐れみ深き天主、聖父と聖子と聖霊が、この賤しき道具を使い給うことをかたじけのうさせ給え。そは「強い者を辱しめるため、有る者を空しくするため(コリント前1:27-28)」なり。幾世紀前より暗闇と死と陰に座るこの民を聖なる福音の光と永遠の生命とについに改心させ、導き、辿り着かしめ給え。アメン。」

 その後日本の政治の流れも変わり、鎖国の長い眠りも破られ、切支丹迫害の血なまぐさい歴史も一応幕をおろした。しかし、迫害が止んだからといって、日本のキリスト教化がたちまち進展するものでもなかった。むしろ遅々として、布教の効果は一向にあがらないのが実情であった。
 やがて、日本民族にとって有史以来最大の惨事ともいうべき大東亜戦争が起こり、ついに広島・長崎の大いなる犠牲をもって終局を迎えたが、一九四五年のその記念すべき日が、八月十五日という聖母被昇天の祭日であった。このことは、終戦当時九万そこそこのカトリック信者に、神の摂理による暗合を思わせ、聖母とのゆかりをあらためて想起させるものであった。
 このとき、日本の司教団は一致して、先に述べたフォカード師の範にならい、「聖母の汚れなき聖心に日本を捧げる」ことを決議し、信者たちにもその信心がすすめられたのであった。
 ところで、一九七五年一月四日、聖母像から三回も涙が流された日に、天使から姉妹笹川に告げられた言葉の中に「聖母の汚れなきみ心に日本を献げられたことを喜んで、聖母は日本を愛しておられます。しかし、この信心が重んじられていないことは、聖母のお悲しみです」との指摘がある。
 昔から、神のおん母、人類に賜った母、聖マリアを愛し尊ぶ聖母信心は、教会の伝統から言っても聖書に照らしてみても、もっとも正統な、いつの時代にも重んずべきものであった。先の切支丹たちも聖母への信心によって、苛酷な迫害に堪え、殉教をとげる力を与えられていたのであった。そのように、聖母はいつも日本を愛し、日本民族を心にかけてこられた。その聖母が、なぜ今涙を流されるのであろうか。
「聖母の汚れなき御心に日本を献ぐる祈」は、今でも“公教会祈祷文”の二四一ページに、そのまま記載されている。しかし、もし誰かが、天使のような眼力をもって、現在の日本のカトリック教会をくまなく見わたしたとしたら、どこかでこの祈りが唱えられているのを発見できるであろうか。口に出して唱えぬまでも、この心を忠実に保って聖母信心にはげんでいる教会を、いくつか見いだせるであろうか。
【引用終わり】

フォルカード神父が日本を聖母の汚れなき御心に奉献すると、状況が急速に変わり、踏み絵は中止され、カトリック教会の活動に門戸が開かれ、30年後にはキリスト教禁止の高札は撤去されるようになっています。次をご覧ください。

 1830年11月27日、フランスのパリのバック通り(Rue de Bac)にある愛徳姉妹会の聖カタリナ・ラブレ修道女(1806 - 1876)に童貞聖マリアが現れ、不思議のメダイを与えました。
 1836年12月3日、やはり同じフランスのパリにある「勝利の聖母」の教会の主任司祭シャルル・デジュネット神父(1778 – 1860)は、ミサ聖祭を捧げている時「あなたの小教区を私の汚れなき御心に奉献しなさい」とのインスピレーションを受け、12月11日に小教区教会を聖母の汚れなき御心に奉献しました。その直後、奇跡的な恵みを受け、聖母の汚れなき御心への信心の中心地となりました。
 1844年5月1日、フォルカード神父(当時28歳)は那覇港で日本を聖母の汚れなき御心に奉献します。その後フォルカード神父は琉球に2年とどまります。その後1846年7月29日長崎に来港しますが、上陸することは出来ませんでした。
1846年に、フォルカードを初代教区長として日本使徒座代理区が設立され、フォルカード師は司教に聖別されます。
 1847年10月22日、フランスのディーニヤ村のレオン・ロバン(Robin)神父は、フォルカード司教の書簡(祈って、祈って、祈って下さい)に感銘して日本改宗のための祈り会を創設し、司教の認可を受けました。会則は、宣教師が日本に入ることができるように、そして日本人がいつの日にかキリスト教を信じるように、毎日祈ること。村民550人のうち最初450人が会員に登録し、3年後に会員は1800人になっています。1862年の横浜天主堂創立の頃には会員が3000人を超えました。
 1856年2月11日から、フランスのルルドで無原罪の聖母が聖ベルナデッタに出現します(全18回)。聖母マリアは、自分の名前を聞かれて「私は無原罪の御孕りです」と答えました。(2月11日という日付は、『日本書紀』によると、日本を統一した神倭伊波古命(カムヤマト イワレビコノミコト)が初代天皇の神武天皇として即位したとされる日(辛酉年春正月庚辰朔 現在の暦に直すと紀元前660年2月11日)で、大和の橿原〔かしはら〕の宮で即位したとされます。日本の建国記念の日になっています。)

1857年 ジラール師(Girard)は、日本使徒座代理区長代理に任命されます。
1858年2月 長崎奉行荒尾石見の守、絵踏みの中止
1858年10月9日 日仏修好通商条約が結ばれ、日本入国が可能になった。メルメ・カション(Mermet-Cachon)は函館に赴き、ジラール師は、仏総領事によって政府通訳官兼領事館付司祭として、江戸を経て横浜に拠点を構えます。
 1862年1月12日に横浜開港後の日本で初めてキリスト教会が建設され、イエズス・キリストの聖心に奉献されました。当時はまだ禁教でしたが、横浜の外国人居留地内では教会建設は許されたからです。横浜に天主堂が出来たこの日を日本におけるキリスト教再建の日とし、その100年後の1962年に天主堂跡地(天主堂は1906年に、現在の山手カトリック教会がある場所に移転)に記念碑が建てられました。
1862年6月8日、ローマで日本二十六聖人列聖式が行われ、フォルカード司教はフランスのヌヴェールの司教(1861 - 73)として、フランス政府の反対を押し切って列聖式に列席しています。
 1865年3月17日、イサベリナ杉本ゆりら長崎浦上村の潜伏キリシタンたちの発見があります。
1866年、プティジャンは再宣教後初の日本司教となります。
1867年 フォルカード司教は、ヌヴェールの司教として、ベルナデッタの修練者としての誓願に立ち会います。
1873年(明治7年)キリスト教禁令高札が撤去されます。

さて、ファティマの聖母マリア様も聖母の汚れなき御心への奉献がどれほど力強いものであるかをポルトガルなどをモデルに示してくれています。
 1931年5月13日、ポルトガルの司教様たちは、ファティマに集まった三十万人の信徒たちを前に、ポルトガルを聖母の汚れなき御心に奉献しました。この結果、ポルトガルは三重の奇跡を体験します。
 第一には霊的善です。奉献の直後から司祭の召命が突然増加し、十年後には修道者らの数が四倍に増えます。カトリック信仰の広大な刷新が生じました。1942年にポルトガルの司教様たちが共同の司牧書簡を発布しますがそこには「25年前に目をつぶって、現在目を開いてみたとすると、誰であってもポルトガルであるとは思わないだろう。それほど大きな変化が、ファティマの聖母マリアの御出現の慎ましい目に見えない要素によって生じている。本当に、聖母は、ポルトガルを救うことを望んでおられる。」
 第二には、カトリックの社会原理に従った政治的・社会的改革です。サラザール大統領が安定した政権を保ちました。

最後に、ポルトガルは、スペインの市民戦争から免れ、また第二次世界大戦にも巻き込まれませんでした。ポルトガルは、1938年5月13日に、スペインの市民戦争に巻き込まれずにすんだことを、聖母マリアにその保護を感謝し、聖母の汚れなき御心への奉献を更新しました。
1939年3月19日付けでシスター・ルチアはイエズス会のアパリシオ神父(Fr Aparicio S.J.)に次のように書いています。
「世界平和か世界戦争かは、聖母の汚れなき御心への信心の実行とこの聖心への奉献とに掛かっています。これが理由で、私がこれをそれほどまでに大きく広げたいと願っています、また、特にこれが天主様と私たちの愛する天の母の御旨だからです。」
スペインのトゥイにいたシスター・ルチアは、1940年12月2日付けで、ピオ十二世にこう書き送りました。
「教皇聖下、(...)私たちの主は、ポルトガルの高位聖職者たちによってこの国が聖母の汚れなき御心に奉献されたために、この戦争中に私たちの国に特別の保護を約束してくださいました。これはもしも他の国々も聖母の汚れなき御心に奉献されたのならその他の国々にも与えられていただろうお恵みの証拠としてです。」

従って、日本は、聖母の汚れなき御心に奉献されていたために、特別の恵みを頂いてきたのです。終戦後、日本の司教様たちは、聖母の汚れなき御心への奉献を更新し、日本はさらにお恵みを頂いています。私たちは今まで受けたお恵みを感謝しなければなりません。
私たちが聖母の汚れなき御心への信心を忘れることなく続けるために、聖母の汚れなき御心に奉献されていることを記憶し続け、感謝しつづけるために、この巡礼で特別にその恵みを感謝しましょう。

今回の巡礼では、聖母の汚れなき御心に捧げる聖歌大会も考えています。私たちの愛と感謝とを込めて聖母の汚れなき御心を聖歌によって賛美したいと思っています。バスでたくさん聖歌を歌ってお捧げするほかに、特別に時間をとって、聖母マリア様の聖歌などをたくさん歌おうと思います。巡礼者でいくつかのチームを作って、聖母マリア様の聖歌を1曲ずつ歌っての聖歌コンテストも考えています。

今年はまた、聖ピオ十世教皇様が帰天されて100周年です。昨年秋田巡礼をなされたダニエルス神父様は、今年で叙階25周年です。クチュール神父様がアジア管区長として仕事をなさる18年目のそして最後の年と言うことも知らされました。
私たちの800環のロザリオの祈りをクチュール神父様とダニエルス神父様との意向のためにもお捧げし、霊的花束としたいと思います。

秋田巡礼の愛する兄弟姉妹の皆様に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【参考資料】
1844年5月1日に、フォルカード神父様が那覇港でフランスの船艦の上でした奉献の祈りのラテン語原文

ラテン語原文
« O cor Mariae sanctissimum, cor omnium cordium ornatissimum, purissimum, nobilissimum ; cor bonitatis, mansuetudinis, miscricordiae, et amoris fons perennis ; cor omnium virtutum miran-dum sanctuarium et suavissimum exemplar ; soli divino cordi Jesu cor inferius ; insulas illas Lieu-Kieu, (Riu-Kiu), primum evangelisandas mihi licet indignissimo commissas. tunc temporis, quantum in me est, et ad me pertinet, sub spe-ciali patrocinio tuo offero, pono, dico, consecro; insuper vovens me, ubi aliquot tantummodo et earum incolis ab inani idolorum cultu ad chris-tianam fidem transierint ubi sacellum etiam minimum aedificatum fuerit, vere incoeptâ stabil-itâque missione, omnia sine ullâ mora acturum esse, ut a Sancta Sede Apostolica, sub eodem speciali patrocinio totum regnum istud aperte et, authentice ponatur.
« O cor piissimum, apud divinum cor Jesu cor potentissimum, cor quod nullus inanibus precibus unquam exoravit, humillimas deprecationes meas ne aspernare, miserrimum cor meum ad me-lius converte, mentis istius tôt tenebris circumfusae caliginem discute, spiritum humilitatis, prudentiae, sapientiae et fortitudinis inter tantas difficultates tantaque pericula mihi obtinere dignare : Teque mediante, omnipotens et misericors Deus, Pater Filius, et Spiritus Sanctus, vili isto instrumenta uti non dedignetur, ut confundat fortia, ut ea quae sunt destruat; populumque istum a tôt saeculis in tenebris et umbra mortis sedentem ad sancti Evangelii lumen aeternamque vitam demum convertat, dirigat, perducat. Amen.

英語訳
"Oh, most holy Heart of Mary, most ornate of all hearts, most pure, most noble; heart everlasting fountain of goodness, of meekness, of mercy and of love; admirable sanctuary of all virtues, and most sweet model; Heart inferior only to the Divine Heart of Jesus; that Ryu-kyu islands, en-trusted to me though very unworthy, as first to be evangelized at the present time, thus, as far as it is my capacity, and as much as it belongs to me, I offer, I place, I say, I consecrate them under Thy special patronage. Especially, I promise, if, even only for few islanders, who converted from their vain cult of idols to the Christian faith, where a very small chapel would have been con-structed, with the mission being started and established, I shall do all without any delay, so that this entire kingdom [of Japan] may be placed publicly and officially under [Thy] same patronage by the Holy Apostolic See."
"Oh, most merciful Heart, most powerful Heart towards the Divine Heart of Jesus, Heart which no one ever prayed in vain, despise not my most humble prayers, convert my most miserable heart to better disposition. Dissipate the evil of this mind so surrounded by darkness. Deign to obtain for me the spirit of humility, of prudence, of wisdom, and of fortitude among such difficulties and such dangers."
"And through Thy mediation, may the Almighty and merciful God, Father, Son and Holy Ghost, not disdain to use this vile instrument so that "He may confound the strong", "that He might bring to nought things that are" (1 Cor 1:27-28); and may God, at last, convert, guide, lead this people sitting in the darkness and the shadow of death from long centuries, to the light of holy Gospel and the life everlasting. Amen."

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【参考】秋田の聖母のメッセージ

第一のメッセージ 1973年7月6日(初金曜日)
「わたしの娘よ、わたしの修練女よ。すべてを捨てて、よく従ってくれました。耳の不自由は苦しいですか。きっと治りますよ。忍耐してください。最後の試練ですよ。手の傷は痛みますか。人々の償いのために祈ってください。ここの一人一人が、わたしのかけがえのない娘です。聖体奉仕会の祈りを心して祈っていますか。さあ、一緒に唱えましょう」
「教皇、司教、司祭のためにたくさん祈ってください。あなたは、洗礼を受けてから今日まで、教皇、司教、司祭のために祈りを忘れないで、よく唱えてくれましたね。これからもたくさん、たくさん唱えてください。今日のことをあなたの長上に話して、長上のおっしゃるままに従ってください。あなたの長上は、いま熱心に祈りを求めていますよ」


第二のメッセージ  1973年8月3日(初金曜日)

「わたしの娘よ、わたしの修練女よ。主を愛し奉っていますか。主をお愛しするなら、わたしの話を聞きなさい。
これは大事なことです。そしてあなたの長上に告げなさい。
世の多くの人々は、主を悲しませております。わたしは主を慰める者を望んでおります。天のおん父のお怒りをやわらげるために、罪びとや忘恩者に代わって苦しみ、貧しさをもってこれを償う霊魂を、おん子とともに望んでおります。
おん父がこの世に対して怒りたもうておられることを知らせるために、おん父は全人類の上に、大いなる罰を下そうとしておられます。
おん子とともに、何度もそのお怒りをやわらげるよう努めました。おん子の十字架の苦しみ、おん血を示して、おん父をお慰めする至愛なる霊魂、その犠牲者となる集まりをささげて、お引きとめしてきました。
 祈り、苦行、貧しさ、勇気ある犠牲的行為は、おん父のお怒りをやわらげることができます。あなたの会にも、わたしはそれを望んでおります。貧しさを尊び、貧しさの中にあって、多くの人々の忘恩、侮辱の償いのために、改心して祈ってください。聖体奉仕会の祈りを心して祈り、実践して、贖罪のために捧げてください。各自の能力、持ち場を大切にして、そのすべてをもって捧げるように。
 在俗であっても祈りが必要です。もはやすでに、祈ろうとする霊魂が集められております。かたちにこだわらず、熱心をもってひたすら聖主をお慰めするために祈ってください」

 (ちょっと間をおいて)
「あなたが心の中で思っていることは、まことか?まことに捨て石になる覚悟がありますか。主の浄配になろうとしているわたしの修練女よ。花嫁がその花婿にふさわしい者となるために、三つの釘で十字架につけられる心をもって誓願を立てなさい。清貧、貞潔、従順の三つの釘です。その中でも基は従順です。全き服従をもって、あなたの長上に従いなさい。あなたの長上は、よき理解者となって、導いてくれるでしょうから」

第3のメッセージ 1973年10月13日(土曜日)
「愛するわたしの娘よ、これからわたしの話すことをよく聞きなさい。そして、あなたの長上に告げなさい」
(少し間をおいて)
「前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、おん父は、全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。そのときおん父は、大洪水よりも重い、いままでにない罰を下されるに違いありません。火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう。よい人も悪い人と共に、司祭も信者とともに死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。その時わたしたちに残る武器は、ロザリオと、おん子の残された印だけです。毎日ロザリオの祈りを唱えてください。ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために祈ってください。
悪魔の働きが、教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。わたしを敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協する者でいっぱいになり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。特に悪魔は、おん父に捧げられた霊魂に働きかけております。たくさんの霊魂が失われることがわたしの悲しみです。これ以上罪が続くなら、もはや罪のゆるしはなくなるでしょう。
勇気をもって、あなたの長上に告げてください。あなたの長上は、祈りと贖罪の業に励まねばならないことを、一人ひとりに伝えて、熱心に祈ることを命じるでしょうから」
「まだ何か聞きたいですか。あなたに声を通して伝えるのは今日が最後ですよ。これからはあなたに遣わされている者と、あなたの長上に従いなさい。ロザリオの祈りをたくさん唱えてください。迫っている災難から助けることができるのは、わたしだけです。わたしに寄りすがる者は、助けられるでしょう」



1973年7月6日(初金曜日)
"나의 딸이여, 나의 修練女여, 모든 것을 버리고 잘 순종해 주었구나. 귀의 부자유는 괴로우냐? 꼭 나을 것이니 인내해다오. 마지막 시련이니라. 손의 상처는 아프냐. 사람들의 보속을 위해 기도해다오. 이곳의 한 사람 한 사람이 둘도 없는 내 딸이니라. 성체봉사회의 기도를 진심으로 바치고 있느냐. 자, 함께 기도하자꾸나."
"교황, 주교, 사제를 위해 많이 기도해다오. 너는 영세하고 나서 오늘날까지 교황, 주교, 사제를 위해 잊지 않고 기도를 잘 해 주었구나. 이 시간 이후에도 많이 많이 기도해다오. 오늘 있은 일을 너의 장상에게 말하고 그가 이르는 대로 순종해다오. 너의 장상은 지금 열심히 기도를 구하고 있느니라."


1973年8月3日(初金曜日)
"나의 딸이여, 나의 修練女여, 주님을 사랑하며 받들어 모시고 있느냐. 주님을 사랑하거든 나의 말을 들어다오.
이것은 중대한 일이다. 그리고 너의 장상에게 알려다오.
세상의 많은 사람들은 주님을 슬프게 하고 있다. 나는 주님을 위로해 드릴 자를 바라고 있다. 천주 성부의 진노하심을 풀어 드리기 위해 죄인이나 배은자들을 대신해서 고통을 받으며 가난으로써 이를 보속할 영혼을 천주 성자와 함께 바라고 있다. 성부께서는 이세상에 대해서 진노하고 계심을 알리기 위해, 전 인류 위에 큰 벌을 내리려 하고 계시다.
성자와 함께 몇 번이나 그 노여움을 풀어 드리려고 노력하고 있다. 성자의 십자가의 고통과 성혈을 보이며 성부를 위로해 드리는 지극히 사랑하는 영혼, 그 희생이 될 모임을 바쳐서 성부의 진노를 풀어 드리러 왔느니라.
기도, 고행, 가난함, 용기 있는 희생적 행위는 성부의 진노를 풀어 드릴 수 있다. 너의 修道会에도 나는 그것을 원하고 있다. 가난함을 존중하고 가난한 중에서도 많은 사람들의 배은과 모욕의 보속을 위해 회개하고 바쳐다오.
'성체봉사회의 기도'를 정성껏 하여, 속죄를 위해 바쳐다오. 각자의 능력, 맡은 직분을 소중히 여겨 그 모든 것을 바치도록 해 다오.
재속자라 해도 기도가 필요하다. 이미 기도하려는 영혼이 모이고 있다. 방법에 구애받지 말고 열심을 가지고 오로지 천주 성부를 위로해 드리기 위하여 기도해 다오.
네가 마음 속으로 생각하고 있는 것은 진실인가? 참으로 버린 돌이 될 각오가 있는 것인가? 주의 정배가 되려는 나의 修練女이여. 신부가 그 신랑에게 합당한 자가 되기 위해, 세 개의 못으로 십자가에 못박힐 각오로써 서원을 세워다오. 그 중에서도 기본이 되는 것은 순명이니라. 완전한 복종으로써 너의 장상을 따르거라. 너의 장상은 좋은 이해자가 되어 인도해 줄 것이다."


1973年10月13日(土曜日)
"사랑하는 나의 딸아, 이제부터 내가 말하는 것을 잘 들어다오. 그리고 그대의 장상에게 알려다오.
전에도 말하였듯이 만일 사람들이 회개하지 아니하면 성부께서는 온 인류 위에 큰 벌을 내리려고 하신다. 그때 성부께서는 대홍수보다도 더 무서운, 이제까지 없었던 벌을 내리실 것이 틀림없다. 불이 하늘에서 내리고 그 재앙으로 많은 사람들이 죽을 것이다. 선한 사람도 악한 사람과 함께, 사제도 신자와 함께 죽을 것이다. 살아 남은 사람들에게는 죽은 사람들을 부러워할 정도의 고난이 있을 것이다. 그때 우리에게 남겨진 무기는 묵주기도와 성자께서 남기신 성사뿐이다. 매일 묵주기도를 해 다오. 주교, 사제를 위해서 묵주기도를 해 다오.
악마의 세력이 교회 내부에까지 들어오고, 추기경은 추기경과, 주교는 주교와 대립할 것이다. 나를 공경하는 사제들은 동료들에게 경멸을 받고 공격을 받을 것이다. 제단이나 교회가 황폐해지고, 교회는 타협하는 자로 가득 찰 것이며, 악마의 유혹으로 많은 사제와 수도자가 그만둘 것이다. 특히, 악마는 성부께 봉헌된 영혼들에게 방해 활동을 하고 있다. 많은 영혼을 잃게 되는 것이 나의 슬픔이다. 더 이상 죄가 계속된다면 죄에 대한 용서는 없게 되리라. 용기를 가지고 네 장상에게 알려다오. 너의 장상은 기도와 보속하는 일에 힘쓰지 않으면 안 된다는 것을 한 사람 또 한 사람에게 전해서 열심히 기도할 것을 명할 것이다."
"뭔가 더 묻고 싶은가요. 너에게 음성으로 전하는 것은 오늘로 마지막이다. 앞으로는 너에게 보내 준 분과 너의 장상에게 순종해다오. 로사리오 기도를 많이 해다오. 절박한 재난으로부터 구조할 수 있는 것은 나뿐이다. 내게 다가와 의지하는 자는 구조될 것이다."


ルフェーブル大司教様の映画【日本語版】が完成しました。


この映画のダビングのために日本語訳を作り、録音してくださった声優の方々や、字幕を作ってくださった方々、すべての関係者の方々に感謝します。