アヴェ・マリア・インマクラータ!
親愛なる巡礼者の皆様、
私たちには聖母が必要です。聖母の御要求に従う必要があります。私たちは聖母を知り、時の終わりにおける最後の戦いで、聖母がどのような素晴らしい戦略をするかを黙想する必要があります。
私たちは聖母の御出現100周年というこの特別な年に、聖母がファチマで私たちに与えて下さった計り知れない宝物を再発見しなければなりません。しかしそれ以上に、私たちは聖母にお願いして、私たちの霊魂と精神と心とに触れていただくようにしなければなりません。それは、私たちが聖母の最も深い秘密の奥底へと、聖母の最も親密な至聖所である、聖母の汚れなき御心の中に入り込むことができるためです。
しかし、どうすればこのことが起こるでしょうか?
私たちの努力にもかかわらず、私たちは聖母の最も深い神秘を見い出そうと遠くに行くことができない、ということを良く理解してのではないでしょうか?
さらにひどいことには、たとえ私たちが聖母について知っていても、「聖母とは誰か?」というとこと知っている極めて少数の特権的な者の一人として属していたとしても、私たちは聖母の御要求を満たすには遙かに遠く離れているからです。もし私たちがそれらを果たしたとしても、私たちは非常にいい加減に、気を散らして、無関心な心で、一貫性もなく行っています。
私たちの霊魂のこんな二重の惨めさ、つまり聖母の偉大さと重大さとを理解できない私たちの精神の惨めさと、聖母の望みを叶えることも聖母のご要求を実現させることも出来ない私たちの意志の惨めさとをみて、私たちは一体誰の所に行くべきでしょうか?
私たちには、たった一つしかチャンスがありません。聖母の元に行くことです。それは聖母が私たちの目を開き、私たちの精神と心とを開けて下さるためです。これがおそらく秋田における聖母の御出現の理由なのかもしれません。現代に生きる人々が、聖母が現実に一体誰なのか、聖母が現実に何をおっしゃったのか、聖母が何を言いしておられたのか、何をお望みなのか、と理解することが出来るために。
秋田の聖母の奇跡的な御像は、私たちがファチマの本当の使徒となり、インマクラータの騎士、終末における聖母の忠実な兵士になるために、聖母が私たちに与えることを望んだ、私たちの霊魂の状態の目に見える形のようです。
ではこの霊魂の状態とは何でしょうか?それは、謙虚、単純、清貧、心からの完全な祈り、いとも高き天主を観想する、聖母の失われた子供たちであるあわれな罪人たちのための憐れみ深い悲しみ、などです。
秋田に行くことは、ファチマから私たちを遠ざけることはありません。その反対です。秋田では、聖母は私たちの心を準備し、聖母を発見するための最良の霊魂の状態で私たちを満たします。
ファチマでは、聖母は唯一の真理に回心するために、善意のすべての人々にご自分の神秘を明らかにされます。
しかし、秋田はファチマの素晴らしい霊的準備であるだけでなく、その結論であり結果でもあります。
秋田では、私たちは聖母に従うことを学び、聖母の汚れなき御心から光出る光線で世界に浸透します。私たちは、ファチマのメッセージを世界に、具体的にはアジアに、もっと具体的には日本にもたらします。すると私たちは何を見るでしょうか? 聖母自身が、ご自分の使徒たちを歓迎し、私たちの使命の成功を保証するために私たちを秋田でお待ちでいらっしゃいます。
秋田で祈り、私たちは、すべての巡礼者に、特に日本からの巡礼者の方々に、ご自分の汚れなき御心を開いて下さるよう、聖母に懇願します。聖母とともに、聖母を通して、多くの霊魂たちが天国の母親に引き寄せられ、救われますように。
従って、聖母からこれらの聖寵を受けるために、秋田に来てください。
日本において、そして日本の人々のために、私たちの天の母の失われた子供たちの多くの間で、ファチマの使徒日本となってください。
カール・シュテーリン神父(聖ピオ十世会アジア管区長)
アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、
聖ピオ十世会日本は、毎年も、恒例の公式秋田巡礼を5月3日から5日まで行います。今回で十一回目ですが、今年はファチマ百周年をふさわしく祝うという意向で、多くの兄弟姉妹の皆様を秋田巡礼にご招待いたします。
今年は一月から、アメリカとヨーロッパで、また日本でも、遠藤周作の「沈黙」の映画化として、マーティン・スコセッシ監督の「沈黙─サイレンス─」が公開されましたが、史実によれば、400年前、拷問を受けたフェレイラ神父が弱さによって背教したとき、多くの同僚やカトリック信徒の方々が祈りと犠牲を捧げてその償いを果たそうとしました。
100年前のファチマのメッセージも、償いの要求でした。まず、天使が送られてこう言います。「あなたがたができるすべてのことを犠牲とし、それを天主に背く罪の償いの行いとして、また罪人の回心を嘆願して天主に捧げなさい。あなたがたはこのようにして自分たちの国に平和をもたらすでしょう。私はあなたがたの国の守護の天使、ポルトガルの天使です。特に主があなたがたにお与えになる苦しみを従順に受け入れ、忍びなさい。」
天使は子供たちに償いの聖体拝領をさせてこうも言います。「恩知らずの人々によって恐ろしく冒涜されたイエズス・キリストの御身体と御血を受け、飲みなさい。彼らの罪を償い、あなたたちの天主を慰めなさい。」
ファチマの聖母も同じことを子供たちに願います。
「あなたたちは、天主に背く罪の償いと罪人たちの回心への嘆願の行いとして、喜んであなた自身を天主に捧げ、天主があなたにお与えになるすべての苦しみを耐えますか?」(1917年5月13日)
「罪人たちのために犠牲をしなさい。たくさんこう言いなさい。特に何か犠牲をするときにこう言いなさい。“イエズスよ、これは御身を愛するため、罪人たちの回心のため、そしてマリアの汚れ無き御心に対して犯される罪を償うためです”、と。」(1917年7月13日)
「ロザリオの聖母を崇敬するために、世界が平和を得、戦争の終わりを勝ち取るためにロザリオを毎日唱え続けることを望みます。なぜなら、そのお方(ロザリオの聖母)だけがあなたたちを助けることが出来るからです。」(1917年7月13日)
さて、カトリック教会は、第二バチカン公会議以後、肉体的な拷問のない沈黙の背教に直面しています。多くの司祭、修道者が聖職を放棄してしまうのを目撃しました。御聖体に対する尊敬と礼拝とがますます失われているのを見ています。最近では、婚姻に関する教義に関して、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するのを見ています。フェレイラ神父の転びの償いのために、聖フランシスコ・ザベリオがマストリッリ神父に送られたように、教会内にある、沈黙の背教を償うために、ファチマの聖母が私たちに祈りと償いを呼びかけています。
秋田の聖母も、同じ内容をこだまさせて特に日本の私たちに響かせています。
「人々の償いのために祈ってください。(…)教皇、司教、司祭のためにたくさん祈ってください。」(1973年7月6日)
「世の多くの人々は、主を悲しませております。わたしは主を慰める者を望んでおります。天のおん父のお怒りをやわらげるために、罪びとや忘恩者に代わって苦しみ、貧しさをもってこれを償う霊魂を、おん子とともに望んでおります。(…)貧しさを尊び、貧しさの中にあって、多くの人々の忘恩、侮辱の償いのために、改心して祈ってください。(…)在俗であっても祈りが必要です。もはやすでに、祈ろうとする霊魂が集められております。かたちにこだわらず、熱心をもってひたすら聖主をお慰めするために祈ってください。」(1973年8月3日)
「毎日ロザリオの祈りを唱えてください。ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために祈ってください。(…)悪魔の働きが、教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。わたしを敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協する者でいっぱいになり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。特に悪魔は、おん父に捧げられた霊魂に働きかけております。たくさんの霊魂が失われることがわたしの悲しみです。これ以上罪が続くなら、もはや罪のゆるしはなくなるでしょう。勇気をもって、あなたの長上に告げてください。あなたの長上は、祈りと贖罪の業に励まねばならないことを、一人ひとりに伝えて、熱心に祈ることを命じるでしょうから(…)ロザリオの祈りをたくさん唱えてください。迫っている災難から助けることができるのは、わたしだけです。わたしに寄りすがる者は、助けられるでしょう」(1973年10月13日)
時は来ました。日本のために、カトリック教会のために、荒らされた祭壇や教会の復興のために、祈りと贖罪の業に励むために、私たちの祈りと犠牲を、この巡礼を通して御捧げいたしましょう。
今から100年前の1917年6月13日、聖母マリアはファチマでこう言われています。
「イエズスはこの世界に私の汚れなき御心への信心を打ち立てることを望んでおられます。この信心を実行する人に私は救いを約束します。これらの人々の霊魂は天主の玉座を飾るために私によっておかれた花のように、天主にとって愛おしい者となるでしょう。」
その一ヶ月後、7月13日、聖母はファティマでこうも言われました。
「あなたがたはかわいそうな罪人たちが行く地獄を見ました。彼らを救うために、天主は世界の中に私の汚れなき御心に対する信心を打ち立てることを望んでおられます。私があなたがたに言うことがなされるならば、多くの霊魂が救われ、平和が来るでしょう。戦争は終わるでしょう。
しかし、人々が天主に背くことを止めないならば、ピオ十一世の御代の間にもっとひどい戦争が起こるでしょう。(…)天主は戦争、飢饉、教会と教皇への迫害によって世界をその罪のために罰しようとしておられるのです。
このこと(戦争、飢饉、教会と教皇への迫害)を避けるために、私は私の汚れなき御心へのロシアの奉献と、初土曜日の償いの聖体拝領を求めるために来るでしょう。
もし私の要求が顧みられるならば、ロシアは回心し、平和が来るでしょう。
もしそうでないならば、ロシアは戦争と教会の迫害を引き起こしながら、その誤謬を世界中に広めるでしょう。善い人々は殉教し、教皇は多く苦しみを受け、多くの民族が絶滅するでしょう。」
シスター・ルチアは、1943年5月27日にグルサの司教に聖母の汚れなき御心への信心についてこう書いています。
「イエズスとマリアの聖心はこの崇敬を望み愛しておられます。何故なら二つの聖心はこの崇敬を自分たちへと霊魂を引き寄せるために使われるからです。御心の全ての望みは正に、霊魂を救うこと、多くの霊魂、全ての霊魂を救うこと、これです。
私たちの主は数日前に私にこう仰いました。『私は聖母の汚れなき御心への崇敬と信心とが広がるのを極めて熱烈に望んでいる。何故ならこの汚れなき御心は霊魂たちを私に引き寄せる愛する心であり、私の光と私の愛の光線を地上に照らし出すかまど、私の憐れみの活ける水を地上に湧き上がらせる決してつきることのない泉であるからだ』と。」
さて日本で大東亜戦争が広島・長崎の大いなる犠牲をもって終局を迎えたのが、1945年8月15日。日本の司教団は一致して「聖母の汚れなき聖心に日本を捧げる」ことを決議し、信者たちにも聖母の汚れなき御心への信心がすすめました。
しかし、その30年後の1975年1月4日、天使はシスター笹川に「聖母の汚れなきみ心に日本を献げられたことを喜んで、聖母は日本を愛しておられます。しかし、この信心が重んじられていないことは、聖母のお悲しみです」と伝えました。
その後40年が経ちましたが、聖母の汚れなき御心への信心は日本ではどうなっているでしょうか?
日本に住む霊魂たちを救うために、天主は聖母の汚れなき御心に対する信心を打ち立てることを望んでおられます。しかも、日本は既に聖母の汚れなき御心に奉献されているにもかかわらず、この信心は重んじられていません。
ファチマ100周年こそ、この聖母の汚れなき御心への信心をもり立てる良き機会です。その信心の大切さを理解するためにも、愛する兄弟姉妹の皆様を秋田巡礼にご招待いたします。
聖母の汚れなき御心は、霊魂たちをイエズスに引き寄せる愛する心であり、イエズスの光と愛との光線を地上に照らし出すかまど、イエズスの憐れみの活ける水を地上に湧き上がらせる決してつきることのない泉です。
天主様の祝福が豊かにありますように!
愛する兄弟姉妹の皆様を秋田巡礼にお招きいたします。
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
親愛なる巡礼者の皆様、
私たちには聖母が必要です。聖母の御要求に従う必要があります。私たちは聖母を知り、時の終わりにおける最後の戦いで、聖母がどのような素晴らしい戦略をするかを黙想する必要があります。
私たちは聖母の御出現100周年というこの特別な年に、聖母がファチマで私たちに与えて下さった計り知れない宝物を再発見しなければなりません。しかしそれ以上に、私たちは聖母にお願いして、私たちの霊魂と精神と心とに触れていただくようにしなければなりません。それは、私たちが聖母の最も深い秘密の奥底へと、聖母の最も親密な至聖所である、聖母の汚れなき御心の中に入り込むことができるためです。
しかし、どうすればこのことが起こるでしょうか?
私たちの努力にもかかわらず、私たちは聖母の最も深い神秘を見い出そうと遠くに行くことができない、ということを良く理解してのではないでしょうか?
さらにひどいことには、たとえ私たちが聖母について知っていても、「聖母とは誰か?」というとこと知っている極めて少数の特権的な者の一人として属していたとしても、私たちは聖母の御要求を満たすには遙かに遠く離れているからです。もし私たちがそれらを果たしたとしても、私たちは非常にいい加減に、気を散らして、無関心な心で、一貫性もなく行っています。
私たちの霊魂のこんな二重の惨めさ、つまり聖母の偉大さと重大さとを理解できない私たちの精神の惨めさと、聖母の望みを叶えることも聖母のご要求を実現させることも出来ない私たちの意志の惨めさとをみて、私たちは一体誰の所に行くべきでしょうか?
私たちには、たった一つしかチャンスがありません。聖母の元に行くことです。それは聖母が私たちの目を開き、私たちの精神と心とを開けて下さるためです。これがおそらく秋田における聖母の御出現の理由なのかもしれません。現代に生きる人々が、聖母が現実に一体誰なのか、聖母が現実に何をおっしゃったのか、聖母が何を言いしておられたのか、何をお望みなのか、と理解することが出来るために。
秋田の聖母の奇跡的な御像は、私たちがファチマの本当の使徒となり、インマクラータの騎士、終末における聖母の忠実な兵士になるために、聖母が私たちに与えることを望んだ、私たちの霊魂の状態の目に見える形のようです。
ではこの霊魂の状態とは何でしょうか?それは、謙虚、単純、清貧、心からの完全な祈り、いとも高き天主を観想する、聖母の失われた子供たちであるあわれな罪人たちのための憐れみ深い悲しみ、などです。
秋田に行くことは、ファチマから私たちを遠ざけることはありません。その反対です。秋田では、聖母は私たちの心を準備し、聖母を発見するための最良の霊魂の状態で私たちを満たします。
ファチマでは、聖母は唯一の真理に回心するために、善意のすべての人々にご自分の神秘を明らかにされます。
しかし、秋田はファチマの素晴らしい霊的準備であるだけでなく、その結論であり結果でもあります。
秋田では、私たちは聖母に従うことを学び、聖母の汚れなき御心から光出る光線で世界に浸透します。私たちは、ファチマのメッセージを世界に、具体的にはアジアに、もっと具体的には日本にもたらします。すると私たちは何を見るでしょうか? 聖母自身が、ご自分の使徒たちを歓迎し、私たちの使命の成功を保証するために私たちを秋田でお待ちでいらっしゃいます。
秋田で祈り、私たちは、すべての巡礼者に、特に日本からの巡礼者の方々に、ご自分の汚れなき御心を開いて下さるよう、聖母に懇願します。聖母とともに、聖母を通して、多くの霊魂たちが天国の母親に引き寄せられ、救われますように。
従って、聖母からこれらの聖寵を受けるために、秋田に来てください。
日本において、そして日本の人々のために、私たちの天の母の失われた子供たちの多くの間で、ファチマの使徒日本となってください。
カール・シュテーリン神父(聖ピオ十世会アジア管区長)
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アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、
聖ピオ十世会日本は、毎年も、恒例の公式秋田巡礼を5月3日から5日まで行います。今回で十一回目ですが、今年はファチマ百周年をふさわしく祝うという意向で、多くの兄弟姉妹の皆様を秋田巡礼にご招待いたします。
今年は一月から、アメリカとヨーロッパで、また日本でも、遠藤周作の「沈黙」の映画化として、マーティン・スコセッシ監督の「沈黙─サイレンス─」が公開されましたが、史実によれば、400年前、拷問を受けたフェレイラ神父が弱さによって背教したとき、多くの同僚やカトリック信徒の方々が祈りと犠牲を捧げてその償いを果たそうとしました。
100年前のファチマのメッセージも、償いの要求でした。まず、天使が送られてこう言います。「あなたがたができるすべてのことを犠牲とし、それを天主に背く罪の償いの行いとして、また罪人の回心を嘆願して天主に捧げなさい。あなたがたはこのようにして自分たちの国に平和をもたらすでしょう。私はあなたがたの国の守護の天使、ポルトガルの天使です。特に主があなたがたにお与えになる苦しみを従順に受け入れ、忍びなさい。」
天使は子供たちに償いの聖体拝領をさせてこうも言います。「恩知らずの人々によって恐ろしく冒涜されたイエズス・キリストの御身体と御血を受け、飲みなさい。彼らの罪を償い、あなたたちの天主を慰めなさい。」
ファチマの聖母も同じことを子供たちに願います。
「あなたたちは、天主に背く罪の償いと罪人たちの回心への嘆願の行いとして、喜んであなた自身を天主に捧げ、天主があなたにお与えになるすべての苦しみを耐えますか?」(1917年5月13日)
「罪人たちのために犠牲をしなさい。たくさんこう言いなさい。特に何か犠牲をするときにこう言いなさい。“イエズスよ、これは御身を愛するため、罪人たちの回心のため、そしてマリアの汚れ無き御心に対して犯される罪を償うためです”、と。」(1917年7月13日)
「ロザリオの聖母を崇敬するために、世界が平和を得、戦争の終わりを勝ち取るためにロザリオを毎日唱え続けることを望みます。なぜなら、そのお方(ロザリオの聖母)だけがあなたたちを助けることが出来るからです。」(1917年7月13日)
さて、カトリック教会は、第二バチカン公会議以後、肉体的な拷問のない沈黙の背教に直面しています。多くの司祭、修道者が聖職を放棄してしまうのを目撃しました。御聖体に対する尊敬と礼拝とがますます失われているのを見ています。最近では、婚姻に関する教義に関して、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するのを見ています。フェレイラ神父の転びの償いのために、聖フランシスコ・ザベリオがマストリッリ神父に送られたように、教会内にある、沈黙の背教を償うために、ファチマの聖母が私たちに祈りと償いを呼びかけています。
秋田の聖母も、同じ内容をこだまさせて特に日本の私たちに響かせています。
「人々の償いのために祈ってください。(…)教皇、司教、司祭のためにたくさん祈ってください。」(1973年7月6日)
「世の多くの人々は、主を悲しませております。わたしは主を慰める者を望んでおります。天のおん父のお怒りをやわらげるために、罪びとや忘恩者に代わって苦しみ、貧しさをもってこれを償う霊魂を、おん子とともに望んでおります。(…)貧しさを尊び、貧しさの中にあって、多くの人々の忘恩、侮辱の償いのために、改心して祈ってください。(…)在俗であっても祈りが必要です。もはやすでに、祈ろうとする霊魂が集められております。かたちにこだわらず、熱心をもってひたすら聖主をお慰めするために祈ってください。」(1973年8月3日)
「毎日ロザリオの祈りを唱えてください。ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために祈ってください。(…)悪魔の働きが、教会の中にまで入り込み、カルジナルはカルジナルに、司教は司教に対立するでしょう。わたしを敬う司祭は、同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇や教会が荒らされて、教会は妥協する者でいっぱいになり、悪魔の誘惑によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。特に悪魔は、おん父に捧げられた霊魂に働きかけております。たくさんの霊魂が失われることがわたしの悲しみです。これ以上罪が続くなら、もはや罪のゆるしはなくなるでしょう。勇気をもって、あなたの長上に告げてください。あなたの長上は、祈りと贖罪の業に励まねばならないことを、一人ひとりに伝えて、熱心に祈ることを命じるでしょうから(…)ロザリオの祈りをたくさん唱えてください。迫っている災難から助けることができるのは、わたしだけです。わたしに寄りすがる者は、助けられるでしょう」(1973年10月13日)
時は来ました。日本のために、カトリック教会のために、荒らされた祭壇や教会の復興のために、祈りと贖罪の業に励むために、私たちの祈りと犠牲を、この巡礼を通して御捧げいたしましょう。
今から100年前の1917年6月13日、聖母マリアはファチマでこう言われています。
「イエズスはこの世界に私の汚れなき御心への信心を打ち立てることを望んでおられます。この信心を実行する人に私は救いを約束します。これらの人々の霊魂は天主の玉座を飾るために私によっておかれた花のように、天主にとって愛おしい者となるでしょう。」
その一ヶ月後、7月13日、聖母はファティマでこうも言われました。
「あなたがたはかわいそうな罪人たちが行く地獄を見ました。彼らを救うために、天主は世界の中に私の汚れなき御心に対する信心を打ち立てることを望んでおられます。私があなたがたに言うことがなされるならば、多くの霊魂が救われ、平和が来るでしょう。戦争は終わるでしょう。
しかし、人々が天主に背くことを止めないならば、ピオ十一世の御代の間にもっとひどい戦争が起こるでしょう。(…)天主は戦争、飢饉、教会と教皇への迫害によって世界をその罪のために罰しようとしておられるのです。
このこと(戦争、飢饉、教会と教皇への迫害)を避けるために、私は私の汚れなき御心へのロシアの奉献と、初土曜日の償いの聖体拝領を求めるために来るでしょう。
もし私の要求が顧みられるならば、ロシアは回心し、平和が来るでしょう。
もしそうでないならば、ロシアは戦争と教会の迫害を引き起こしながら、その誤謬を世界中に広めるでしょう。善い人々は殉教し、教皇は多く苦しみを受け、多くの民族が絶滅するでしょう。」
シスター・ルチアは、1943年5月27日にグルサの司教に聖母の汚れなき御心への信心についてこう書いています。
「イエズスとマリアの聖心はこの崇敬を望み愛しておられます。何故なら二つの聖心はこの崇敬を自分たちへと霊魂を引き寄せるために使われるからです。御心の全ての望みは正に、霊魂を救うこと、多くの霊魂、全ての霊魂を救うこと、これです。
私たちの主は数日前に私にこう仰いました。『私は聖母の汚れなき御心への崇敬と信心とが広がるのを極めて熱烈に望んでいる。何故ならこの汚れなき御心は霊魂たちを私に引き寄せる愛する心であり、私の光と私の愛の光線を地上に照らし出すかまど、私の憐れみの活ける水を地上に湧き上がらせる決してつきることのない泉であるからだ』と。」
さて日本で大東亜戦争が広島・長崎の大いなる犠牲をもって終局を迎えたのが、1945年8月15日。日本の司教団は一致して「聖母の汚れなき聖心に日本を捧げる」ことを決議し、信者たちにも聖母の汚れなき御心への信心がすすめました。
しかし、その30年後の1975年1月4日、天使はシスター笹川に「聖母の汚れなきみ心に日本を献げられたことを喜んで、聖母は日本を愛しておられます。しかし、この信心が重んじられていないことは、聖母のお悲しみです」と伝えました。
その後40年が経ちましたが、聖母の汚れなき御心への信心は日本ではどうなっているでしょうか?
日本に住む霊魂たちを救うために、天主は聖母の汚れなき御心に対する信心を打ち立てることを望んでおられます。しかも、日本は既に聖母の汚れなき御心に奉献されているにもかかわらず、この信心は重んじられていません。
ファチマ100周年こそ、この聖母の汚れなき御心への信心をもり立てる良き機会です。その信心の大切さを理解するためにも、愛する兄弟姉妹の皆様を秋田巡礼にご招待いたします。
聖母の汚れなき御心は、霊魂たちをイエズスに引き寄せる愛する心であり、イエズスの光と愛との光線を地上に照らし出すかまど、イエズスの憐れみの活ける水を地上に湧き上がらせる決してつきることのない泉です。
天主様の祝福が豊かにありますように!
愛する兄弟姉妹の皆様を秋田巡礼にお招きいたします。
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)