34歳、学生です

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狭間

2024-07-16 19:07:09 | 日記
実家に帰った時、安心しました。




久しぶりに両親の顔を見られたためです。

母親はそんなに変わりありませんでした。
父親は認知症…とは言え、まだ初期に近い感じで家から出ていってしまう…というようなことはない様子。



ただ、父親は寝てるかテレビを観るくらい。もともと趣味らしい趣味はあまりなかったせいもあったでしょうね。




そんなわけで、デイサービスに通っていました。



私が介護士になろうと思った大きな理由の一つがこれです。
自宅でも入浴させてあげたい、いつか温泉にでも連れていってあげたい。




月日は流れ、職業訓練の授業のお休みの日に父親の時計を買いに父親と一緒に時計屋さんに行きました。



そんなに高くない、二万円するかしないかくらいの時計を選びました。
時計の文字盤が大きく、『これは見やすくていいなあ』と父親は喜んでいました。




代金は私が払い、これからこうして親孝行をしていこうと思っていました。











しかし、それから2ヶ月ほどして母親からメールが届きました。

どうやら、父親が病院にいて手術が必要らしい。




その日の授業は途中で帰り、すぐに病院に向かいます。

母親に詳しく聞くと、出かけ先で父親が急に背中に強い痛みを訴えたのが始まり。



普通じゃない痛がり方だったため、病院を受診すると『大動脈解離』の診断だったからすぐ手術の予約と手術の承諾書の記入とかが始まり、この後手術が始まる…








父親は晩酌は欠かさず、飲み過ぎなことも多くおまけにヘビースモーカー。加えてタクシー会社に勤務していたので、不規則な生活も身体に良くなかったんでしょうね。











手術室に父親が入り、長い時間が流れました。
家族の控室に先生が入られ、手術は無事に成功したと話されました。











ただ、術後の経過は慎重に見ないといけない。

というのも、先ほどの父親の生活歴のため、父親の肺も心臓もボロボロに近い状態だったのです。







そんな心配をしていた中、父親はかなり順調な経過をたどっていきました。


時々お見舞いに行き、話をしても私が家に帰ってきたときと変わらずしっかり受け答えしていました。



あとはもともと狭心症の持病もあるため、もう一度手術をして経過がよければ退院…。

















世の中は、上手くいってるときほど落とし穴がある…。

そういうものなのかもしれません。
少なくともこの時は、もうすぐ父親が退院するものとばかり思っていました。




しかし、母親は違うことを思っていたようです。













『いくらなんでも、順調すぎる…』





次回のお話は『夢』です。あなたは、神様はいる派ですか?いない派ですか?














職業訓練

2024-07-09 08:04:27 | 日記
実務者研修の職業訓練に応募し、実際に授業が始まりました。授業の期間は大体半年くらい?だったかな?


介護労働安定センターというものがあり、そこの介護福祉士の資格を持った職員さんが先生として教科書をもとに教えてくれた日もありましたが、基本的には実際の施設の施設長さんが先生として講義してくださいました。



こらはそれぞれの施設での実際の例を挙げてくださったりということもあり、わかりやすいし直接施設の施設長さんに色々話を質問できたりしてありがたかったです。

大体、勤務しだしたら他の施設の施設長さんと話す機会なんてなかなかないですし…。






いや、そもそも教科書も無料だったはずですし、実務者研修を個人的に介護士福祉士の資格を取得するために実費で受けようとするとなかなかの費用になるわけで…。



費用が無料な上、各施設長さんの生の声が聞ける、失業保険の給付も修了まで延長される。





やりますねえ!





他にも私と同じように実務者研修の職業訓練を受けた方がいて、全部で20人くらいだったでしょうか?


そのうち、男性は私を含めて4人だけでした。まあ、介護といえば女性が活躍している施設が多いですよね。



授業の合間には、色々会話したりもしていました。


授業後に、和菓子屋さんに他の男性の受講者さんと行ったときもありました。

店員さんに『お兄さんたちは、ふだんは仕事何してるの?』と聞かれたため、『今は授業を受けて勉強中です』と返答しました。

『34歳、学生です』
心の中ではこう答えていました。でも、普通の年配の女性店員さんに話したところで多分元ネタがわからないからね、仕方ないね。




まあこのときに一緒に買い物した仲間を含めて一緒に受講した方々の存在が、後に大きな支えとなるわけですが…これは当分先のお話。









授業では、『利用者様が主体でなくてはいけない』という内容がよくでていました。
もしかしたら、この研修を受けずに資格を取得せずに介護施設でいきなり勤務をしていたら…利用者様が主体、ということを頭に入れずに勤務をしてしまったかもしれません。


 





おおむね、職業訓練は順調にすすんでいきました。

でも、職業訓練が終わる直前…大きな出来事が起こるわけで…。
そのお話はまた次回。





選択肢

2024-07-07 08:47:24 | 日記
仕事を辞めて実家に戻った以上、何か新しく仕事を始めないといけないわけです。



じゃあ、どんな仕事にするか?
とりあえず、ハローワークに失業保険の給付の申請を行うついでに仕事をパソコンで検索したり、求人情報の載ったプリントをもらって見てみました。












そして考えたわけです。

こんな時代だし、何か一生仕事に困らないよう資格を取得したい。

人の役に立つような仕事に就きたい





ここに福利厚生がしっかりしている所を選ぼう、が入っていないことが私のダメなところですね…まあもう遅いんですが…。





ひとまずど〜しよ〜かな〜と考えたわけですが、職業訓練の案内も載っていました。
そこを見ると、『職業訓練中も継続して失業保険が給付される』と書いてありました。

つまり、決められた失業保保険の給付期間が終わっても職業訓練を修了するまで延長して給付をうけられる…やったぜ!




その職業訓練の項目の中に『介護福祉士実務者研修』というものがありました。

あまり聞き慣れないとおもいますが、昔でいうヘルパー1級…つまり介護士の資格の勉強をする講座です。





介護士…さっきの新しい仕事についての私の希望に合う。

それでいて、父親が認知症のためいずれ何かの役に立つだろう、と考えました。






こうして、私は介護士の道を選ぶことにしました。

それがなかなかにハードルが高かったわけてすが、それはまたもう少し後のお話…。





次回は、34歳で久しぶりの学生(?)になってからのお話です。

はじまりの始まり

2024-07-05 23:33:32 | 日記
昔は生まれ育った実家から離れた場所で勤務をしていたのです。


以前に買った車のローンが払い終わるころ、実家の母親から連絡があった訳で…。



母親が言うには、『お父さんの認知症が進んできてるし、今後のこともあるから一度家に戻ってきて欲しい』



それを聞き、迷いはあったものの今まで親孝行らしいこともしてないし、実家に帰ることにしたのです。












まあ、離れた場所から実家に帰るということは…当然仕事を探さなくてはいけません。

それまで続けてきた仕事の延長線上か…もしくは新しい何かにチャレンジするか…。




2つに1つ。私は新しい仕事にチャレンジすることを選びました。

理由はいくつかあったのです。ただ、そのうちの1つが思いのほか早く消えることを私はその時知りませんでした。










そして、新しく始めた仕事を選んだことを後悔することもまだ、その時は知らなかったのです…。