34歳、学生です

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その先にあるもの

2024-11-05 18:08:08 | 日記
何ヶ月か経った後も、相変わらずよく怒られていました。

なかなか思うようにいかない日々が続く中、利用者様のうちの1人…仮にAさんとしましょう、Aさんに異変がおこりました。


車椅子使用され、要介護度4か5だった方がいつも通り介助して車椅子に移乗して頂きホールにお連れしたものの、なかなか自分で食事しようとされませんでした。


それまでは、食欲もありご自分でお箸をもち食事をされ全量召し上がっていたのに…。



ひとまず、様子を見たあと食事介助をを行いました。






その後も、ご自分で食事されることはあまりなく少しずつ食事量が減っていき体力も今まで通りとはいかなくなり、レクリエーションへの参加どころかホールにお連れするのもご本人の負担になってしまう…そんな状況へと変わりました。




明るく、元気だったAさん。
特にどこかが病気ということもありませんでした。



年齢が90歳を越えていて、特に身体に異常はない…

いわゆる老衰、というもの。
ただ、ほんの少し前には笑って明るくいつも通り過ごされていたのに…
連携している病院とも、看取りに向けての連絡を取り合うようになりました。





そんなある日、ひな祭りが行事として行われました。






その時、ちょっとした奇跡が起こったのです…。



続きはまた次回。

焦り

2024-08-21 17:57:00 | 日記
事業者見学に行ったときに、とてもいい雰囲気の施設がありました。
出来ればその施設で勤務したいと思ったものの、ハローワークで見てもスタッフの募集はしていない様子。


まわりでは、チラホラ内定が決まったという話が聞こえてきました。

家の近くの施設も見学させていただいただいたのですが、スタッフさんの対応があまり良さそうじゃなかったり待遇面でイマイチだったり…。







ただ、実際に働いてみないとなんとも言えないのも事実なわけで…。




まわりの人が内定決まっていき焦りを感じ始めた時、事業所見学に行って雰囲気良かった施設からスタッフ募集の求人が出ていたので早速応募し、面接を受けました。




無事に採用が決まり、実務者研修の授業も終わり無事に修了し12月からグループホームでの勤務が始まりました。



デイサービスだと給料が安い(夜勤がないため)、特別養護老人ホームは利用者様とあまり接する時間がとれない。
消去法でグループホームで勤務したかったのです。(ほかにもサービス付き高齢者向け住宅や、老人保健施設などもありますが…)













が、思った以上に仕事があり、不器用で仕事が遅く、不慣れな料理を作ることもしなくてはならずなかなか慣れませんでした。





先輩には毎回のように怒られ、一体この先私はどうなるのか…最初の数ヶ月は暗闇でもがくような感じでした。



こんなはずじゃなかったのに…。







2024-08-06 07:17:00 | 日記
実務者研修の授業を受けつつ、たまに畑仕事の手伝いをしていました。



畑を耕したり、草刈りをしたり。

今までは父親がやっていたものの、入院しちゃいましたからね。



そんな中、月日は流れ授業も終わりに近づいてきました。



 




…そうなると、就職活動をしなければいけません。

他の受講者さんと、ハローワークの求人票を見せ合い『ここの事業所よくない?』『ここは給料が妙にいいけど、怪しくない?』
などと話しつつ、どうしようか考えていました。





ただ、どうせなら利用者様を第一に考えて利用者様が明るく過ごされている事業所で頑張りたいと思ったわけです。






色々と事業所見学をみんなで行き、『あそこは雰囲気よかったよ』『ちょっとあそこは従業員の人の対応があんまり…』などと意見交換したりしました。






そうした中、父親に度々お見舞いにいっていたのですが(まだコロナが流行る少し前なので、面会は自由でした)、ある日父親とこんな話をしました。



私『お父さんは、仕事は大変だった?』



父親『タクシー会社の仕事は、勤務時間不規則だしあんまり人に勧められる仕事じゃないなあ。でも、お客さんからありがとうって感謝されることも多かったから、悪くはなかったよ』


とはっきり話していました。






が、それから一ヶ月も経たないうちに病院から連絡がありました。
どうにも、父親が背中の痛みを訴えるなど様子がおかしいとのこと。



母親と一緒に病院に向かいました。意識はしっかりしているものの、相変わらず背中の違和感を訴えたりして眠れない様子。



担当医も急遽駆けつけて診察したものの、特に異常はないとのこと。




ひとまず、『父親にゆっくり休んで』と伝え母親と一緒に家に帰りました。















翌日、病院から再び連絡がありました。
父親に狭心症の発作が出たので、詳しく説明したいとのこと。




母親と一緒に病院に行きました。説明されたのは、『今のところかなり厳しい状況でこのまま自然な死を迎えるかそれとも人工心肺をつけて治療をつづけるか、どうしますか?』






ついこの間元気に話していて、退院までもう少しだと思っていたのに…。




母親も私も人工心肺をつけてもらうようお願いしました。





それから治療は続けられましたが、進展がないまま1週間ほどして病院からすぐに来てくださいと連絡がありました。












病院に着くと、父親の血圧か脈拍どちらか忘れてしまいましたが0の表示。




一目みて、説明されるまでもなく父親が亡くなったことがわかりました。









仕事を始めて、ボーナスもらったら両親を温泉にでも連れてってあげようと思っていましたが、夢が叶わないままでした。






私が実家に帰ってから、わずかに半年ほどで父親が亡くなってしまいました。



それだけに、父親の仕事は人に勧められないけど悪くはなかったと言う言葉が心に残りました。

 


介護は大変だけど、いつか施設長になっていい事業所を運営出来るくらいに頑張ろうと夢を見たわけです。





色々とそんな簡単じゃないと思い知らされる訳ですが、それは次回のお話。




次回は『焦り』。こんなにまで上手く行かないとは思わなかったのです…。














狭間

2024-07-16 19:07:09 | 日記
実家に帰った時、安心しました。




久しぶりに両親の顔を見られたためです。

母親はそんなに変わりありませんでした。
父親は認知症…とは言え、まだ初期に近い感じで家から出ていってしまう…というようなことはない様子。



ただ、父親は寝てるかテレビを観るくらい。もともと趣味らしい趣味はあまりなかったせいもあったでしょうね。




そんなわけで、デイサービスに通っていました。



私が介護士になろうと思った大きな理由の一つがこれです。
自宅でも入浴させてあげたい、いつか温泉にでも連れていってあげたい。




月日は流れ、職業訓練の授業のお休みの日に父親の時計を買いに父親と一緒に時計屋さんに行きました。



そんなに高くない、二万円するかしないかくらいの時計を選びました。
時計の文字盤が大きく、『これは見やすくていいなあ』と父親は喜んでいました。




代金は私が払い、これからこうして親孝行をしていこうと思っていました。











しかし、それから2ヶ月ほどして母親からメールが届きました。

どうやら、父親が病院にいて手術が必要らしい。




その日の授業は途中で帰り、すぐに病院に向かいます。

母親に詳しく聞くと、出かけ先で父親が急に背中に強い痛みを訴えたのが始まり。



普通じゃない痛がり方だったため、病院を受診すると『大動脈解離』の診断だったからすぐ手術の予約と手術の承諾書の記入とかが始まり、この後手術が始まる…








父親は晩酌は欠かさず、飲み過ぎなことも多くおまけにヘビースモーカー。加えてタクシー会社に勤務していたので、不規則な生活も身体に良くなかったんでしょうね。











手術室に父親が入り、長い時間が流れました。
家族の控室に先生が入られ、手術は無事に成功したと話されました。











ただ、術後の経過は慎重に見ないといけない。

というのも、先ほどの父親の生活歴のため、父親の肺も心臓もボロボロに近い状態だったのです。







そんな心配をしていた中、父親はかなり順調な経過をたどっていきました。


時々お見舞いに行き、話をしても私が家に帰ってきたときと変わらずしっかり受け答えしていました。



あとはもともと狭心症の持病もあるため、もう一度手術をして経過がよければ退院…。

















世の中は、上手くいってるときほど落とし穴がある…。

そういうものなのかもしれません。
少なくともこの時は、もうすぐ父親が退院するものとばかり思っていました。




しかし、母親は違うことを思っていたようです。













『いくらなんでも、順調すぎる…』





次回のお話は『夢』です。あなたは、神様はいる派ですか?いない派ですか?














職業訓練

2024-07-09 08:04:27 | 日記
実務者研修の職業訓練に応募し、実際に授業が始まりました。授業の期間は大体半年くらい?だったかな?


介護労働安定センターというものがあり、そこの介護福祉士の資格を持った職員さんが先生として教科書をもとに教えてくれた日もありましたが、基本的には実際の施設の施設長さんが先生として講義してくださいました。



こらはそれぞれの施設での実際の例を挙げてくださったりということもあり、わかりやすいし直接施設の施設長さんに色々話を質問できたりしてありがたかったです。

大体、勤務しだしたら他の施設の施設長さんと話す機会なんてなかなかないですし…。






いや、そもそも教科書も無料だったはずですし、実務者研修を個人的に介護士福祉士の資格を取得するために実費で受けようとするとなかなかの費用になるわけで…。



費用が無料な上、各施設長さんの生の声が聞ける、失業保険の給付も修了まで延長される。





やりますねえ!





他にも私と同じように実務者研修の職業訓練を受けた方がいて、全部で20人くらいだったでしょうか?


そのうち、男性は私を含めて4人だけでした。まあ、介護といえば女性が活躍している施設が多いですよね。



授業の合間には、色々会話したりもしていました。


授業後に、和菓子屋さんに他の男性の受講者さんと行ったときもありました。

店員さんに『お兄さんたちは、ふだんは仕事何してるの?』と聞かれたため、『今は授業を受けて勉強中です』と返答しました。

『34歳、学生です』
心の中ではこう答えていました。でも、普通の年配の女性店員さんに話したところで多分元ネタがわからないからね、仕方ないね。




まあこのときに一緒に買い物した仲間を含めて一緒に受講した方々の存在が、後に大きな支えとなるわけですが…これは当分先のお話。









授業では、『利用者様が主体でなくてはいけない』という内容がよくでていました。
もしかしたら、この研修を受けずに資格を取得せずに介護施設でいきなり勤務をしていたら…利用者様が主体、ということを頭に入れずに勤務をしてしまったかもしれません。


 





おおむね、職業訓練は順調にすすんでいきました。

でも、職業訓練が終わる直前…大きな出来事が起こるわけで…。
そのお話はまた次回。