JR篠ノ井駅にかかげられている驥山書「篠ノ井駅」
4月6日は 書家 川村驥山(きざん)が亡くなった日
川村驥山は 篠ノ井名誉町民 名誉市民でもあった。
現在 その業績をたたえ 篠ノ井布施高田に
記念館「驥山館」が開館されている。
*驥山の5歳から86歳の絶筆までの傑作80点を展示
主な略歴
1882(M15)年5月20日
静岡県磐田郡(現・袋井市)に生まれる。
本名は 慎一郎
父・東江に漢学を 太田竹城に書道を学ぶ。
15歳 書家として独立
19歳「驥山」と名付け
戦前は 書道作振会、東方書道会などに所属
1948(S23)年から同展の審査員をつとめる。
1951(S26)年 書道界初の芸術院賞受章
1962(S37)年 芸術院会員
1969(S44)年4月6日 老衰のため死去 86歳
別号に酔仏居士・酔驥
特に篠ノ井との関係
1945(S20)年(63歳) 東京大空襲
東京・和泉の自宅は空襲で全焼。
弟子の高梨無線社長の手配で、
戦禍を避けて篠ノ井町に疎開する。
マツキ商店、その後柳沢の「耕心庵」に
部屋を借りて住む。
1946(S21)年
耕心庵の土地を借りて食糧作り、
読書と臨書に励む。
作品頒布会をして揮毫料を耕心庵に寄附し、
寺の修理費に充てる。
1951(S26)年 篠ノ井町芝沢に新居移転
1958(S33)年 篠ノ井名誉町民
1960(S35)年 篠ノ井名誉市民
1961(S36)年 驥山館完成 翌年開館
1969(S44)年 死去
長野市名誉市民葬が営まれた。
(参考:川村驥山略年譜)
追1:篠ノ井駅前に “書道の町篠ノ井” と
書かれた標柱があり 驥山館へ730mと
途中にも案内柱が設置されている。
追2:耕心庵(こうしんあん)
曹洞宗 金剛山 耕心庵 は
茶臼山の南東斜面、市立動植物園に行く途中
篠ノ井布施五明にある。
寺の東側境内高台には、
信玄が川中島を望見したという国見台もある。
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