植物の「葉っぱ」は、春には力強く芽吹き、夏には
青々と輝き、秋には紅や黄色へと鮮やかに変身、
ドラマチックに変化して四季折々の赴きを演出してくれる。
その様を見ていると、時には元気づけられたり、
時にはセンチメンタルになったりと、折に触れて
情緒を刺激されることもしばしばw。
冬が近づくと、すっかり木々の葉が地面へと枯れ
落ちて都会では舗装された路面を覆い、それを
車が舞上げて走り去っていく光景が展開される。
ただ、あまりにその量が多くて箒で掃いて捨てたり、
排水口を詰まらせたりと、枯葉は人にとっては
この時期、厄介な存在かもしれない。
しかし、もともとこの枯葉も豊かな大地を維持する為
には大切な栄養分のはずで、その恵みを得ることの
できない舗装の下に隠れている「土」達は、きっとどんどん
痩せ細っているに違いない。
助けて!と無言で叫んでいるかもしれない。
それから以前にも少し触れたけれど、本来河川には山から
落ち葉を海に運ぶという役目があって、それによって海が
栄養豊かになるというサイクルなのに、どの川も途中に
たくさんの砂防ダムを作ってしまったものだから、落ち葉も
海まで流れていかなくなった。
その結果、近年海の栄養が不足して海草、魚、貝など
の生育が妨げられ、ひどい場合は、「磯焼け」
(海の砂漠化)と言って生物のいない死んだ海に
なってしまうという。
こうやってみると自然には本当に無駄なことはなく
どんな事象も全て循環サイクルの一部となっている
ことがよくわかる。
その絶妙なバランスを我々人間が、文明の名の元に
一所懸命壊しているというのが現実かもしれない。
人の体と同じで栄養のバランスを崩して、いいこと
などほとんどないはず。
だから手遅れにならないように、早く手を打つべき
なのだろうけど、遅々として進まないところをみると
、それもまた避けられない自然の摂理なのかも。
・・・伝わってるかなw。
青々と輝き、秋には紅や黄色へと鮮やかに変身、
ドラマチックに変化して四季折々の赴きを演出してくれる。
その様を見ていると、時には元気づけられたり、
時にはセンチメンタルになったりと、折に触れて
情緒を刺激されることもしばしばw。
冬が近づくと、すっかり木々の葉が地面へと枯れ
落ちて都会では舗装された路面を覆い、それを
車が舞上げて走り去っていく光景が展開される。
ただ、あまりにその量が多くて箒で掃いて捨てたり、
排水口を詰まらせたりと、枯葉は人にとっては
この時期、厄介な存在かもしれない。
しかし、もともとこの枯葉も豊かな大地を維持する為
には大切な栄養分のはずで、その恵みを得ることの
できない舗装の下に隠れている「土」達は、きっとどんどん
痩せ細っているに違いない。
助けて!と無言で叫んでいるかもしれない。
それから以前にも少し触れたけれど、本来河川には山から
落ち葉を海に運ぶという役目があって、それによって海が
栄養豊かになるというサイクルなのに、どの川も途中に
たくさんの砂防ダムを作ってしまったものだから、落ち葉も
海まで流れていかなくなった。
その結果、近年海の栄養が不足して海草、魚、貝など
の生育が妨げられ、ひどい場合は、「磯焼け」
(海の砂漠化)と言って生物のいない死んだ海に
なってしまうという。
こうやってみると自然には本当に無駄なことはなく
どんな事象も全て循環サイクルの一部となっている
ことがよくわかる。
その絶妙なバランスを我々人間が、文明の名の元に
一所懸命壊しているというのが現実かもしれない。
人の体と同じで栄養のバランスを崩して、いいこと
などほとんどないはず。
だから手遅れにならないように、早く手を打つべき
なのだろうけど、遅々として進まないところをみると
、それもまた避けられない自然の摂理なのかも。
・・・伝わってるかなw。
いずれ自然界からの強烈なしっぺ返しが来るような気がします。
落ち葉に寄せて
私は桜の落ち葉が好き。
一年の内で注目されるのは一週間だけ。
そのために残りの全てを来春の準備に掛ける。
健気じゃないですか。
もう、既に自然界が怒りはじめているような。
でも、後戻りできないところまで来ている
のかもしれません。
あえて桜の落ち葉に惹かれるところが、
あやめさんらしいですね。
いい意味で男前w。
確かに健気に生きているものにはいろいろと
教えられるものがあります。
土の上に落ちて自然に還るからこそ落ちていた
んじゃないかなぁと。
全て人間の都合ですね。
でも自然は既に悲鳴をあげて、人間に対抗
(いい言葉が見つかりませんが)してきて
いるように思います。
acaciaさん こんばんは
そうですね、少し自然をいじめすぎてると思います。
ただ、コレだけ便利な生活をしてしまうとなかなか
それを捨てられないのが、人のサガです。