「お坊さんと巡る仏像鑑賞ツアー」
講師: 文殊院住職 黒澤彰哉氏
コース: 文殊院→千手観音堂(往復徒歩)→長興寺→雪入の郷倉→文殊院
○千手観音堂
「茨城県指定文化財 木造十一面千手観音菩薩立像」
朝日山千手寺慈眼院の本尊。
千手観音菩薩の頭上に頂く十一面は、人々のどんな願いも見落とさないことを表し、千の手は様々な手段を尽くすという覚悟の表れだそうです。
「千手観音堂」
元禄15年(1702年)、領主である本堂家や近隣近住の人々による寄付により再建されたものです。
檀家を持たない祈願の為の寺。廃寺となった頃に前後し、向かい側の須賀神社の総代が管理を行うようになりました。それ以前は、逆にこちらの住職が須賀神社の別当職を勤めていたのだそうです。
「木造十一面千手観音菩薩立像」は、もとはこちらに安置されていましたが、現在は収納庫に移されています。
○長興寺
曹洞宗 鳳林山瑞雲院長興寺
慶長7年(1602年)出羽国より本堂家を慕って来た竜山和尚によって開山されたと言われています。領主本堂家の菩提寺。
「かすみがうら市指定文化財 不動明王及び二童子立像」
本堂家の祈願寺であった 真言宗 華蔵院の仏像で、室町時代の作と言われています。
八大童子のうち向かって右側に矜羯羅童子(こんがらどうじ)、左側に制咤迦童子(せいたかどうじ)が配された三尊形式。
「五百羅漢」
自分に似た像がひとつはあるとかないとか。境内に配置された石像の数々に圧倒されます。
山門及び本堂は、かすみがうら市指定文化財。千手観音堂とともに、優れた寺院建築と知られています。
新選組により暗殺された伊東甲子太郎は、志筑地区の出身。
○雪入の郷倉
文化9年(1812年)、本堂家家臣 横手忠義(郭応)によって置かれました。横手忠義は財政が困窮する本堂家の政治財政の一切を任され、様々な施策によって建て直しを図りました。
「郷倉(義倉)」
水戸藩での稗倉・粟倉にあたります。現物は初めてみました。
本来は茅葺きの屋根だったものを保護してあります。土蔵のような蔵を想像していたのですが、穀物保存の為の作り。水戸藩の物も同様だったでしょうとのことでした。
内部には「阿弥陀如来坐像」が収納されています。室町時代の作と考えられています。
現在、敷地内にはコミュニティーセンターがありますが、昔はそこにお寺があり、そこに安置されていたものでしょうとの事でした。
茨城もこの辺りは山があり、ちょっと遠出した雰囲気です。
○文殊院
真言宗智山派 豊森山常玄寺文殊院
江戸時代 宥円上人により中興開山されました。
「文殊菩薩像」
智慧を象徴する菩薩。釈迦の実在の弟子であったと伝えられます。
「かすみがうら市指定文化財 木造阿弥陀如来坐像」
文殊院境内にあった阿弥陀堂の本尊で、もとは真言宗に改宗する前の「常源(玄)寺」の本尊であったと考えられています。「常源(玄)寺」は、ここ「文殊院」の前身と考えられています。
「地獄絵図」
かすみがうら市指定文化財一斉公開にあわせ、様々な展示がされていました。
「文殊院」から臨む筑波山。
豊かな土地が、豊かな文化と信心を育みました。
コメントありがとうございます。
ご一緒だったのですね!
初めてお邪魔したお寺さんばかりで、お坊さんが詳しく解説もして下さってすごく楽しかったです!
でも私も少し疲れたのかな? 帰りの運転がちょっと大変でした