あやめの里便り

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「医学館と水戸藩にまつわる薬草」①

2015-12-09 17:45:10 | 潮来・茨城の歴史

弘道館講座ー医学館と水戸藩にまつわる薬草ー

第一部 講座 弘道館の医学館について  講師 弘道館事務所 小圷学芸員
第二部 対談 水戸藩にまつわる薬草  対談者 水戸市植物園 園長 西川綾子氏 ・弘道館事務所 小圷学芸員


第一部 講座 弘道館の医学館について
「水戸藩の医学と弘道館医学館」

「水戸藩の医学・医療と薬草などに携わった水戸藩主や藩医」
1.水戸藩2代藩主 徳川光圀(1628~1700) 
  ・・水戸藩の医学の基礎を確立!・・
○元禄6年(1693)「救民妙薬(きゅうみんみょうやく)」
光圀の命で藩医鈴木宗与(穂積甫庵(ようあん))がまとめたもの。
医療不備のため天寿を全うすることのできない農民らのために単方(簡単な処方)397種を集め、出版し、農村に頒布した。日本最古の家庭療法の本
「奇方西山集(きほうせいざんしゅう)」の発行
○治療院の設置などに尽力

2.藩医 原南陽(1753~1820)
 ・・実証的医学の導入で大きく進歩!・・
○実践的な医術を習得し、侍医として藩主3代(治保・治紀・斉脩)に仕える
・水戸藩医の父より・・旧来の医術
・山脇東門(とうもん)より・・解剖の実地を見学
・賀川玄悦(げんえつ)・玄迪(げんてき)より・・産婦人科学
○本間玄調など門弟200名余を養成
○稽医館(小川郷校)の開設に尽力
「瘈狗傷考(けいくしょうこう)」など著書多数

3.水戸藩9代藩主 徳川斉昭(1800~1860)
 ・・医学が発達し、医学館・郷校を中心に展開!・・
「医幣説(いへいせつ)」を書き、医薬は「保命の大具」である事を強調
○薬学の知識が豊か。「景山奇方集(けいざんきほうしゅう)」55巻などの編纂
○種痘の実地と普及に努める
○コレラ予防に尽力
○藩校・弘道館に医学館を開設、その趣旨を「賛天堂記(さんてんどうき)」に示した
○郷医の教育機関でもある郷校の増設に力を注いだ

4.医学館教授 本間道悦
○華岡青洲に入門し、手術や麻酔の知識・技術を学び、実証に基づく診療を実地
○シーボルトに師事。牛痘による種痘を実地した
「内科秘録」「傷科秘録」(歴史館にて閲覧可)

 「医は術(じゅつ)たり、ただこれ一に仁(じん)のみ」

5.医学館本草局長 佐藤中陵
○江戸で有名な本草家。6代藩主治保の時代から48年間にわたり水戸藩に仕える
○動植物鉱物を模写し、性質や効用を解説した「山海庶品(せんがいしょぽん)」全1000巻 の編纂に尽力(水戸市立図書館HP「貴重書コレクション」にて公開)
○医学館の本草局長として藩医の育成にあたる


「水戸藩の郷校」
郷校とは>>郷村の学校。庶民教育の場。郷医の研修機関。水戸藩では、伊勢崎藩(25校)に次ぐ15の郷校があり、地方での庶民教育・医学教育に力が注がれた。

稽医館(小川郷校)・延方郷校(行方郡)・敬業館(湊郷校)・益習館(太田郷校)・暇修館(多賀郡・大久保郷校)・時雍館(那珂郡・野口郷校)・ 大子郷校(久慈郡)・大宮郷校(那珂郡)・町田郷校(久慈郡)・小菅(小里)郷校(久慈郡)・秋葉郷校(東茨城郡)・鳥羽田郷校(東茨城郡)・玉造郷校 (行方郡)・潮来郷校(行方郡)・馬頭郷校(下野国那須郡馬頭村)


「弘道館・医学館」
天保12年(1841) 弘道館 創設(仮開館)
水戸市三の丸市民センター・三の丸小学校・県立図書館など含む、現在の5倍の広さ。国内最大規模の藩校。

天保14年(1843) 6月 弘道館内に医学館が開設される(水戸藩の医学教育・医療機関の中枢)
         8月 斉昭自選自書の「賛天堂記」が医学館講堂に掲げられる


「賛天堂記」 : 徳川斉昭が医学館開設の主旨を記したもの
        ①外国に頼らず国内で良薬を製することの重要性を説く
        ②弘道館の医学館から、わが国のあるべき医学・医療体制を発信したいという大きな抱負を示す

※「賛天」とは・・「能く物の性を尽くせば、則ち以って『天』下の化育を『賛』(たす)くべし」(四書のひとつ「中庸」の文章から「天」と「賛」の2文字をとって名付けられた。


「医学館の教育・医療体制」
初期の教授陣: 教授 森庸軒・荘司健斎
         助教 松延道円・本間益軒・土田萩庵
         本草局長 佐藤中陵
※「尊攘」の掛け軸は、水戸藩の藩医で能書家で知られた松延道円の筆です。安政3年(1856)に斉昭の命で書かれました。(「弘道館」HP施設紹介より)

教育体制: 日常の会読・輪読のほか、小会・大会を開催
      小会・・毎月3日
      町医と城下近郊の郷医を出頭させ、医書の講釈などの研修を行う。
      大会・・毎年 3月1日、9月1日
      3月1日は町医と東・南両郡の郷医、9月1日は町医と西・北両郡の郷医が登館して試験(見分)を受ける。
      *医者の子弟で15歳になった者は、医学館に月10日出頭させる。

施設: 本草局・蘭学局・講習寮・製薬局・調薬局・療病所・居学寮・牛部屋・薬園など

主な活動内容:

①種痘の実地
 天保13年(1842)冬の種痘の大流行時に始まる。
 弘化 4年(1847)の大流行時には、医学館で種痘の日(毎月1日、15日)を定め、無償で実地
 益軒宅・玄調宅でも接種でき、郷医も逐次実地した(必要経費は藩の負担)
 嘉永 3年(1850)から玄調により牛痘種痘が開始され、以後、医学館の医者が各郷校などへ出向き種痘を実地(水戸藩の種痘人口は1万3400余人)
②「蕃痧病(ばんしゃびょう・コレラ)の手当并治方」
  安政6年(1859) 医学館ではコレラを予防するための小冊子を作成し、領内に頒布
③製薬
  医学館監製薬医らによって「神仙丸」「紫雪」「紫金錠」などが製造され、貧者には無料で提供
  ※製薬は医学館の重要な部門
④「山海庶品(せんがいしょぽん)」(動植物・鉱物などの大図鑑集)の編纂
  天保元年(1830)に佐藤中陵が江戸藩邸で編修を開始した。同7年に中陵の水戸転勤から水戸で行われ、医学館開設と同時に館内本草局で継続された。
  1000巻にのぼる「山海庶品(せんがいしょぽん)」は明治元年の「弘道館の戦い」で大部分を焼失したが、中陵の末裔に数冊が残り現存している。
⑤牛酪(ぎゅうらく)の製造
 「牛酪」はチーズのようなもの。栄養価が高いため、教職の老年者や必要な者に分けられた。
⑥蘭学の講義
 安政2年(1855)から、豊田小太郎ら8人の藩士が選抜され、蘭学の講義が行われた。


「人名尊重の精神」

「弘道館」は「心の遺産」

○藩主 徳川斉昭

 「救民妙薬」・・「庶幾(こいねがわくば) 済民(さいみん)の一助(いちじょ)ならんか」(序より)

 「賛天堂記」・・「能く物の性を尽くせば、則ち以って『天』下の化育を『賛』(たす)くべし」(四書のひとつ「中庸」の文章から名付けられた。
         
○医学館教授 本間道悦

 「医は術(じゅつ)たり、ただこれ一に仁(じん)のみ」


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以上、当日頂きましたレジュメ・パンフレット、ノートから書かせて頂きました。

今回、「講座の内容をブログupしても大丈夫でしょうか?」とお尋ねした所、「『心の遺産』である弘道館、また『仁』の精神で活躍した医学館を是非広めて下さい」と快諾を頂きました。ありがとうございました。


※続きます。

第二部 対談 水戸藩にまつわる薬草→ 「医学館と水戸藩にまつわる薬草」②



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