曽尼駅屋からから鹿島へ向かう「陸の道」、潮来の「古代道」を探って行きます。多少、寄り道あり。
"香澄の里"ではないかと言われています。
牛堀は古代から水運の要所。当時は「鳥見の里(印旛沼)」からこの場所に行き来する航路があったのだろうというお話でした。ここから高浜へ、また鹿嶋へと向かう航路もあったハズ。
「三熊野神社」
もともと権現山には、古墳があったのではというお話です。説明看板によると出土した古墳は不明という事ですが、「青龍大権現」と呼ばれる武装の埴輪があり、市指定文化財になっています。
大イチョウの紅葉は例年より遅そうです。
嘉歴元年(1326)、大洗磯前神社の御分霊。御祭神は大己貴命・少彦名命。
毎年11月23日の祭事「上戸の獅子舞」は、県指定文化財になっています。
「稲荷山公園」
10M程の小さな前方後円墳、円墳が解ります。
「長勝寺」
潮来では長勝寺に駅屋の表示がありますが、本当は稲荷山上に建てたかったのだそうです。現在では延方小学校の裏の辺りの説が有力。
きれいに紅葉するまでもう少し。
「素鵞熊野神社」
素鵞神社(出雲神)、熊野神社(天津神)が合祀となった珍しい神社です。
裏に回ると、お社が2つあるのが解ります。
「鹿見塚古墳」
全長約60M。古墳時代後期、大生西部古墳群内にある方耳式前方後円墳。
大生古墳群は、多(オフ)氏ゆかりの墓所です。
実は「鹿見塚古墳」よりも大きく、全長70Mあります。しかし、ここからは一部しか見えず、大きさは感じられません。
「大生原神社」
元鹿嶋と言われ、鹿島神宮よりも古い神社です。 御祭神は建御雷之男神。
毎年11月第3日曜日の「巫女舞神事」が有名ですが、今年は巫女舞はないそうで、祭事のみ執り行われます。
「国上神社(古高)」
大己貴命・少彦名命を御祭神とする古社。大同年間(9世紀初期)の創建とされます。
↑国神神社の獅子舞は、こちらから伝承されました。
「阿波台稲荷神社」
延方小学校脇の道を上がって行くと、右側にあります。駅屋もこの辺り?
「地蔵河岸の常夜灯」
曽尼駅屋から大生神社、延方小学校の裏山の駅屋を結ぶ「古代道」を推定すると、ここは重要な古代からの港になります。
「普門院」
天和3年(1683)起工。御本尊は船越地蔵。
地蔵河岸周辺は水難事故が多い難所で、真言律宗僧の忍性が鹿島神のご神託を受け、建長4年(1252)に鹿島神宮の御神木で地蔵三体を刻み、鹿島の普済寺・大船津の普渡寺・延方洲崎の普門院に安置しました。
「二本松寺」
平安時代・天長年間(824)、慈覚大師円仁により、潮来市茂木に創建。後、鎌倉時代・建久2年(1191)、嶋崎城築城の際、鬼門避けとして現在の地に移転。
それ以降、嶋崎氏の祈願寺、また同氏滅亡後も佐竹氏・水戸徳川家の信仰を得て栄えました。
現在は「アジサイ」で有名。
潮来の街なかが栄えたのは江戸時代が主で、現在でも、古墳時代に栄えたであろう高台の地域はイマイチ注目される事がなく、古道と重なるであろう縦貫道周辺も、その調査は進んでいません。
未調査・未発見故、想像が豊かに広がる地域でもあります。
※「あやめの里便り」記事 → 「杵島の唱曲(きしまのうたぶり)」「『常陸風土記を歩く』(玉造)」
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