サイレント期間に入る前、
相方がわたしに残してくれた言葉。
ー近くにいる人を愛していきなさい。ー
わたしは、
最初、近くに住んでいる人から恋人を探せばいい。
こう、受けとりました。
物理的に、近くにいる人が、
愛されたり、
愛していける対象になるのだと、
こう、思いました。
けれども、
今になって思うのは、
いくら物理的に近くでも、
連絡をすぐに取り合えるような仲でも、
心が近くにあるとは
限らないのだ、と。
それは、
物理的に「近くにいる人」であったとしても、
あくまで三次元的に
距離が近いだけであって、
必ずしも、
心…魂との間に、
距離がないとは、限らないのだ、と。
そう気がついたとしても、
もし目の前に
じぶんを必要としている人がいたら。
助けるだろう。
たとえ欺瞞や偽善であっても。
それが三次元上にじぶんが在る、
という、契約上のルールだと思うから。
けれども、
それでもやはりわたしは自由だ。
自由意志だから、
誰のものにも、ならないし、させない。
ただ、
愛があれば。
わたしは、その人だけのものになれる。
近い人とは、
愛がある人なのだと、今は思う。
お互いが、お互いの事を心から思う
愛があれば、
知らず知らずのうちに、
三次元的な、
物理的な、
さまざまな距離も縮まる。
そう、
神さまが働きかけてくださる。
真実は、真理というものは、
尊い祈りの中で、
愛という不可視ではあるが、
確かに近くに感じる、
そのエネルギーが、
絡み合い、
結ばれ、
実る。
その過程で、
真実や真理の働きかけがある。
純粋な愛でなければ、
善徳がなければ、
真実も真理もない。
だから、
霊徳が大事になる。
時間はかかるかもしれない。
草花が、
「実り」を迎えるまでに、
じぶんの全てを注ぐように…。
実りを迎えるという事は、
時間がかかる事なのだと思う。
少し前の土の時代のように、
魂の縁を、知る術のない頃とは違い、
いまは、
風の時代。
土の時代の時のように、
死んだら会えるのではなく、
生きている間から、
魂の縁者に気づきやすくなった。
唯一同等のエネルギーをもつ、
魂のつれ合い、ツインレイ。
気づいただけでも、
本当は、
素晴らしい。
気づいたなら、
お互いを求める作用ははじまる。
お互いが、
対等な相手であると、
お互いが必要不可だと、
学びが進み気づいたころは、
きっと、
物理的にも近くなっている。
反発があるのは、
まだ。
学びが途中だという事、それだけ。
無理などしなくても、
自然と、
ひとつになれる。
ある程度、
準備が進んだら。
ハートチャクラを活性化してもよい。
そこからは、
加速的に物事が進む。
とりあえず、
そこまで相方さんと一緒に行きたいな。