最終回、本能寺の変。
やっぱり注目するのは…
信長の最後の言葉。
よくドラマで観るのは、
「是非に及ばず」
この「麒麟が来る」では、
「是非も無し」
謀反を起こしたのが十兵衛であれば、こうなっては良いも悪いも判別することはできない。
この物語では、
麒麟は明智十兵衛であり、
麒麟を世に呼ぶのは、織田信長だった。
麒麟が来た頃は、信長は王道を目指せていた。
謀反の頃は、覇道に染っていた。
麒麟は、至治の世になると現れるという瑞獣で、仁厚な性格で、生きている草も踏まない。
そんな至治の世を願って信長の元に来た麒麟(このドラマでは十兵衛に準える)に主殺しをさせるに至った経緯を信長が自ら顧みれば、己がこのような目にあう事も、十兵衛であれば「是非も無し」という結論になったのだろう。
これは、信長の花押である。
「麟」
政治的な祈りを反映された花押だ。
この花王は、永禄8年、松永久秀が将軍足利義輝を討った永禄の変の前後で使用していたとの事。
麒麟は、信長の元に本当に来ていたのだろうか…。
信長では、至治の世を叶える事は出来なかったが、麒麟が来て欲しいという願いは、少なくとも天には届いていただろう。
おまけ
ちなみにこれは、竹中半兵衛の花押。
「千年おおとり」
おおとりは、麒麟と同じ瑞獣の鳳凰の事である。
今度は、「鳳凰が来る」とかで、半兵衛の大河できないかなあ…( ˇωˇ )
官兵衛ばっかりずるーい。
参考書⤵︎ ︎
花押の事がよくわかる1冊です。