走る野球・カープの象徴ともいえる選手。
当時、レギュラーは内外野、外国人を含めて全員30代だったのだが、唯一20代前半の選手。それが高橋慶彦だった。
「練習魔」とも言われるほどの練習で入団3年目でレギュラー獲得、その後赤ヘル打線の不動の「1番ショート」として、走りまくるのだが、彼にはもうひとつの武器があった!
甘いマスクで女性に大人気。カープ最高の全国区アイドルでもあった。球場ではいつも、「ヨシヒコさーん、がんばってぇー」の黄色い声援が響く。またグラウンドを離れては、歌手デビューもし、レコードも出していた。(当時は、G定岡、中畑、T真弓、江本など人気選手は何故か歌手デビューしていた)
その人気は、後に知ったのだが作家・村上龍がヨシヒコを題材にした短編小説「走れタカハシ」を執筆するほどであった。
当時「月間カープファン」の広告ページでヨシヒコがモデルで着ていたどこかのスポーツ用具メーカーのスタジアムジャンパーがどうしても欲しくて親に無理言って買ってもらったこともあった。
もちろんプレーヤーとしても一流だった。盗塁王3回、ベストナイン5回、通算盗塁数は歴代5位。そして33試合連続安打の日本新記録。
さらに当時驚いたのが、入団8年目にいきなり24本塁打を放ったことだ。それまでの最高が7本だっただけに、「1番バッターでこんなに打つなんて!」。
クリーンアップを打ったこともあった。現在、松井稼央夫がメジャーでやっているが、当時のヨシヒコだって絶対成功したと思う。打って、走って、守って、歌えるのだから!
ヨシヒコがひたむきに野球に取り組んでいたことを語るエピソードがある。ある年の開幕直前に球団はチームの「激励会」を行った。ヨシヒコは「開幕前の大事な時に!」と不参加。謹慎で試合に出場出来なかったという話。
僕が当時持っていた、カープ選手の4コマ漫画集にそれをネタにしたものがあったのを覚えてる。
1コマ目・ヨシヒコ極度の不振、大スランプ!
2コマ目・球団関係者が「ヨシヒコを励ます会」を企画
3コマ目・ヨシヒコ激怒「こんな大事な時期にまたっ!」
4コマ目・球団関係者「どうしてもヨソへ行きたいみたいだな・・・」というもの。
ほんとかうそか1990年にロッテに移籍。「えっ、不動の1番ショートがっ」とショックを受けたが、カープに新たな「不動の1番ショート」が生まれた。
その名は野村謙二郎。
ヨシヒコなきあと見事、新たな核弾頭として活躍。その野村もコンバートなどあり・・・、
そして2005年、新たな「1番ショート」が誕生しようとしています。
一方、ヨシヒコは故障や怪我に悩まされ、1年でタイガースに移籍、1992年に引退。3年間の安打数はわずか85本。通算安打は1826本。
もう間もなく、ヨシヒコのあとを次いだ野村が2000本を達成する。
でももし、ヨシヒコがカープに残っていたら、球団3人目の名球界入りは絶対ヨシヒコだったに違いない。そう今も信じている・・・。
【シーズン最高記録】
打率 307(1980)
本塁打 24(1983,85)
打点 71(1984)
盗塁 73(1985)
【通算記録】
打率 280
安打 1826
本塁打 163
打点 604
盗塁 477
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