いや、オーバーワークじゃないか?
いやいや、昨年末からの仕事量はかなりのものだ。
其れ丈、身体がついて行けてないと云う事なのだろうか。
精神的にキツいと云うのは、祖母の死去以来無いので、此れは体力的な問題なのだろう。
疲れが残らぬ様にと、漢方薬の補中益気湯やらを服用してみたり、アリナミンナイトリカバーを飲んでみたり、疲労軽減・睡眠の質改善のドリンクを飲んでみたり、湿布薬、塗布タイプの局所浸透薬(バンテリン等、其の他)、胃腸薬等々.....。
身体に良いとされる在と凡ゆる事を試している。
慢性的な疲労感が在る訳ではない。
元来から胃腸虚弱である為、食事の質が落ちているのかも知れない。
青年期は、多少無理をしても、身体が疲弊する事は無かった。
本当に弱くなった。
弱くなったと云うより、此れが自然の事だと友人は云っていた。
年齢を重ねると同時に薬が増えるとは、真理である。
吾も、そんな壮年期から老齢期の人を見て笑っていた時期が在った。
だが、いざ己が其の時期に身を置いてみてまざまざと痛感している。
気が付くと、薬箱に色んな種類の薬が増えている。
もう、痩せ我慢が利かなくなっている。
医者に行く程では無い症状ばかりなので、ちょっとおかしければ直ぐに薬局に飛んで行き、薬剤師に相談して薬を買っている。
友人は積極的に人間ドックをやっていて、其れで安心を得ていると云っていた。
だが、友人と同じ考えの知人は、其れでも叶わず亡くなった。
人の死はタイミングであると思う。
其の知人の「病の回避」と云う間隙を縫うような出来事だった。
何とも皮肉なものである。
検査では、人の病と死は防げない。
助かる人もいるのは確かである。
でも、其れは偶然である。
以前、よくお世話になっていた内科医がいた。
其の医師は、「薬は度が過ぎると毒になるけど、上手に使えば強いアイテムになる」
と。
頭痛薬や胃腸薬も、過度な長期連用はダメだが、良くなればやめて、又調子が悪くなれば服用する。
薬の服用の長期連用は、2週間から、最長1ヶ月くらい迄とされている。
其の間に症状が収まらなければ、医療機関に行けと在る。
此の文言は建前である。
形式上の事である。
だが、よく考えて見て欲しい。
薬を服用する人の理由は千差万別である。
家庭環境、職場環境、生活習慣により様々である。
色んな要因が在る。
医療機関に掛かっても、其の病院は診察に来る度に薬を出してくれる。
薬だけ取りに行く。
時折り診察せねば処方は出来ぬので、診察をする。
実は吾が其の経験者である。
キツい環境に身を置いていた時期が在り、常に体調が悪かった。
胃腸も悲鳴を上げていた。
仕事を辞めれば直ぐにでも、治っていた。
だが、生活する為には辞める術は選択肢には無かった。
世話になった医師は、そんな吾の背景を知っているので、胃腸薬を出し続けてくれた。
其のお陰で大きな事にはならずに済んだ。
詰まり、其の人が置かれている環境、背景が変わらなければストレスに晒され続ける。
医療機関で処方されても、環境が変わらなければ一向に調子は良くならない。
其の間は、楽になれば止めて。
調子悪くなれば服用する。
1ヶ月でも、1週間でもインターバルを設けて服用すれば長期連用にはならぬからと、世話になった内科医がこうアドバイスをくれた。
「医者の僕がこんな事を云うのはどうかと思うけど、人間は生身の体ですからね。薬に頼ってもいい。煙草やお酒も過剰で無ければ吸えばいいし、飲めばいい。僕はコーヒーが好きだから1日に4、5杯は飲むし、煙草だって吸う。痩せ我慢すると、其れがストレスになるから、其の方が余程体に悪い」
此の内科医は藪医者なのだろうか。
そうやって数年過ごして来たが、命を取られる事になっていないので、其の内科医のアドバイスは的確だったと云う事である。
今は当時と同じではないが、加齢と云う逃れられないものが付き纏っている。
もう此れは上手く付き合って行くしか手は無い。
病院に行ったとて、あそこが痛い、ここが痒いと云えば薬が出て来る。
まぁ、薬を飲んで元気?ならば其れで良しとするか。
今の所、食事も美味いし、色も良くバナナの様なウンコが出て、快食、快便だ。
此の辺りがバロメーターである。
快眠が付けば、3点セットで良かろうが、快眠とは云えないので、残念ではある。
こうして、愚痴や弱音を云い連ねてストレスの発散をする場所も在るので有り難い。
寄る年波には逆らえぬし、勝てぬ。
ルーティンを決めずにやって行く事にする。
処方薬を長期連用している元気なご高齢の方々が、病院には溢れ返っている。
ご高齢の方々は、病院で顔を合わす事で、お互いの無事を確認している。
「あれ?最近〇〇さんの顔が見えないけど、具合でも悪いんだろうか」
と会話するのを聞いて、病院に行かぬのは元気な証拠であるのにと思うのだが.....。