おも〜か〜じ(面舵)‼︎

穢れた聖域、日光東照宮

今から七年前、日光東照宮で内部紛争が起きていた。

由緒正しき聖域に於いて、日光東照宮を私物化しようと目論む不届きものが入り込んでいた。

あれから日光東照宮はどうなったのだろうか。

神社仏閣の格というものは、其の大きさと絢爛豪華な外観で決まるものではない。

其処を管理し護る神官と僧侶の心の状態に相応した神社と仏閣(寺院)を守護する神仏の格が決まるのである。



【日光東照宮を私物化する者】  

               三好國章


責任を押し付けクビに


  日光東照宮は一六一七年(元和三年)、徳川初代将軍・徳川家康公を御祭神にお祀りした歴史ある神社。昨年、四百年の式年祭を迎えました。

  私は、日光市の市議会議員として長年、日光東照宮の行事に参加してましたが、今東照宮に大変な機器が訪れようとしています。其れは、東照宮司の世襲問題と稲葉久雄宮司による東照宮の私物化です。今回、私は其の事を告発する為に筆を執りました。 

   発端は、日光東照宮が神社本庁を脱退した一九八五年迄遡ります。神社本庁に加盟している場合、本庁から承認を受けないと、宮司・権宮司になる事は出来ません。稲葉を権宮司にしたい、と神社本庁に具申しましたが神社本庁から、

た。

  稲葉は一九九八年、天下祭と云う三社祭の様な神輿を派手に担ぐ祭りを企画。一つ一万円の奉納提灯を作り、三億円の寄付金を集めて大儲けしようと考えたのです。

  私は此の祭りに反対しました。「三社祭の様な事をやったら暴力団が集まって来る可能性が在る。東照宮のイメージが悪くなります。其れに、東照宮の神輿は静々と担ぐスタイルだから合いません」

  反対も虚しく、彼は祭りを強行。結果は、提灯でのカネ集めが上手く行かなかったり、当初予定されていた神輿を担ぐルートが暴力団が関係しているとの事で警察の許可が下りず変更になったりと、惨憺たるものでした。結局、天下祭は一回だけで終わってしまいました。

  稲葉はどう落とし前を付けるのかと思っていたら、失敗の責任を当時の権宮司に押し付け、東照宮を辞める様に仕向けました。以来、私は彼に不信感を持つ様になったのです。


独断で国宝の撮影を許可

 改めて稲葉の事を調べてみると、彼の宮司としての不適切な行動の数々が解って来ました。

 一九九〇年、稲葉はある会社のR社長と組んで、自分が実質経営する日光乗馬クラブの敷地内に、ニュージーランドラム肉の専門レストランを作ろうと計画。東照宮と取引が在った「はとバス」と業務提携し、東照宮を参拝した後に食事をさせるツアーを組むと云う算段でした。

  稲葉はRがカネを持っている事を嗅ぎ付けて接近、此の話に乗せる為の餌として、写真撮影が禁止されている東照宮の本殿や拝殿の撮影権を確約した。宮司が自分のビジネスの為に国宝の撮影を独断で許可する事は、言語道断です。挙句Rを代表理事にして資金を出させ、古式馬術会館を造らせたのです。

  只のバーベキューレストランでは観光客は興味を示さないだろうと、客寄せの為に特別天然記念物のオオサンショウウオを飼う水槽や階段を作りました。岡山からオオサンショウウオを持って来たのですが、無許可である事が発覚、始末に困ったオオサンショウウオを鹿沼の川に放し大騒ぎになりました。

  一九九〇年7月、此の事が連日報道され、計画は断念せざるを得なくなりました。

  稲葉は天下祭の時と同様に、俺には関係無いと知らん顔。結局、目玉の無いレストランの客足は伸びず、直ぐにやめてしまった。此の出資によって、Rの会社は倒産。

  稲葉は金の切れ目が縁の切れ目と、Rに相談も無く代表理事を解任してしまった。怒ったRは、投資したお金の返還を求めたが埒が明かず、裁判に迄発展しています。

  稲葉はおカネになる事は何でもする男です。東照宮には武徳殿と云う一九二九年に東照宮三百年祭を記念して建てられた道場が在ります。一般に開放はされていませんでしたが、先々代の青木宮司が青少年の育成の為に開放したそうです。

  開館以来、五十年以上に渡って町方の剣道愛好家の道場として、又青少年の礼儀作法教育・精神鍛錬の場として、お宮職員と町方の剣道指導員がボランティアで指導して来ました。


観光客からブーイング

  所で二〇〇六年、稲葉は市町村合併に託けて、東照宮も色々改革しなければならないからと、町方の師範を解職。更に、子供達から使用料を徴収し始めました。

  已む無く剣道指導の先生方は青少年育成の為、無料の市体育館で指導を始めて数年が経っています。家庭には可也の負担となり、親は子供を道場に通わせられないでしょう。此れでは、青少年の育成の為にと開放した青木宮司が浮かばれません。

  又、稲葉は其れ迄無料だった東照宮の記念撮影にシャッター料を設けました。一〜五十名迄は二千円で、五十名増える毎にプラス二千円掛かります。観光客からはブーイング。更に、歴史の在る堂者引き(社寺の案内人)からも、一昨年から一回につ二百円を徴収し始めました。稲葉は利益を独占する為、拝観料のシステム迄変えてしまったのです。

  日光山には東照宮の他に二荒山神社、輪王寺が在ります(二社一寺)。二社一寺は明治維新後、幕府の庇護が無くなって経済的に疲弊し、江戸時代の粋を結集した建造物が朽ちる寸前となりました。社寺を後世に残す為、有志が保晃会を設立して日本全国から募金を集め、現在のお金で約四十億円の浄財が寄付されました。

  又、日光町(現在の日光市)は、町民の財産である有林(約百四十ha

)を寄付して修復工事が始まり、更に後々の修復資金を作る為、二社一寺の共通拝観券を発売して約百四十年の歴史が在ります。

  社寺共通拝観券は、千円です東照宮も輪王寺も二荒山神社も拝観出来た。其の利益配分は東照宮五〇%、輪王寺四十%、二荒山神社十%。日光東照宮に訪れる観光客の大部分は東照宮目当てだから、二荒山神社も輪王寺も助かっていました。社寺共通拝観券は、日光二社一寺を守るシステムとして機能していたのです。

  ところが稲葉は、二〇一三年に平成の大改修で輪王寺の一部が拝観出来なくなると理由を付け、社寺共通拝観券を廃止。東照宮だけを拝観する単独拝観券(約一千三百円)にしてしまった。「俺は俺でやるから、お前等はお前等で勝手にやれ」と云う訳です。此れは輪王寺を切り捨て、日光市民・日本国民が守って来た歴史を無にする行為にほかなりません。

  現在、国宝・重文の修復費用は国が六〇%、社寺が四十%負担しています。世界文化遺産『日光の社寺』を後世に引き継ぐには、絶えず修復費の備蓄が必要であり、共通拝観券は不可欠な条件であると思います。

 稲葉は地元との繋がり迄蔑ろにしています。稲葉が宮司になる前、東照宮で売られている御守りや御札等ありとあらゆるものは基本的に地元で作られ、東照宮が葵会(地元業者の団体)から仕入れていました。

  併し、稲葉が宮司になってからは葵会から仕入れる量を減らし、一円でも安い宇都宮・東京の業者から仕入れています。又、東照宮の行事の直会は日光ではなく、自分の友達がやっている店の栃木市で行なっています。


職員の多くがノイローゼに

  最大の問題は、宮司の職を自分の長男・尚正に継がせようとしている事です。日光東照宮では、職員の子息は本人が退職する迄絶対に入社する事が出来ませんでした。稲葉が其の慣例を破り、自分の息子を東照宮に入れたのです。

  此れ迄は神社本庁が任命した人物が宮司となっていましたから、世襲の問題が起こる事も在りませんでした。

  稲葉の云い分はこうです…

「宮司は責任役員が決めるのだから世襲ではない」

  併し、責任役員を任命するのは宮司、詰まり稲葉で、彼の息のかかった人物を責任役員にすれば世襲は可能なのです。

  稲葉親子は世襲を実現させる為に、自分達に都合の悪い人間を排除していきました。彼等に目を付けられた職員は毎日の様に、他の職員達の前で…


「こんな事も出来ないのか!お前は能力が無い!」


と罵倒されるのです。

  職員にも家族が居ますから、簡単に辞める訳にhはいきません。家に帰って家族に顔を見ると、益々辞められない。翌日、憂鬱な気分で出勤すると又、罵倒される…此れを繰り返し、みんなノイローゼになって辞めていきました。

  嘗て東照宮には約百七十人前後の職員が居ましたが、現在は六十人前後の迄減っています。元々職員が多過ぎるので人員整理し、百人位迄減らすけいかくは在りましたが、予定よりも減り過ぎてしまった。此の儘では労務倒産になるでしょう。

  邪魔者を排除して尚正は順調に出世。現在、権宮司になっています。権宮司と云うのは東照宮のナンバー2。次の宮司へのパスポートを握っている様なものです。

  現在は松平恒忠(徳川十八大宗家・恒孝の兄)、根津嘉澄(東武鉄道代表取締役)、斎藤文夫(日光市長)氏等東照宮の責任役員九人の内六名の承認が在れば、宮司になる事が可能です。稲葉が責任役員を招集して会議を開き、息子に継がせると云えば、今日にでも世襲が成立してしまうのです。

  尚正が人格者であるなら兎も角、人と会ってもロクに挨拶もしなかったり、酔っ払って職員を殴ったり、いい評判は全く聞きません(職員を殴った時は稲葉が間に入り、示談にしたと云います)其れどころか、聞こえて来るのは悪い評判ばかりです。

  先述した日光東照宮道場で、尚正は師範として教えています。数年が前、彼は其処でも問題を起こしました。中学生との稽古中、突きを食らわせて病院送りにしてしまったのです。中学生の剣道の試合で突きは禁止されていますから、稽古で突きをする意味は在りません。明らかに指導を逸脱した行動でした。

  そうです云う事を十分に知りながら、稲葉は息子についてこう云っています。


「五重塔の芯柱の公開の件、共通拝観券、四百年式年大祭事業等の処理に当たって、新権宮司(稲葉宮司の息子)が発揮した洞察力、理解力、行動力については。余人を以って代え難い。東照宮にとって、當に適任者を得たと思っている」


自治会に圧力

 先述した様に、日光市民は何等かの形で東照宮と関わりを持っています。東照宮宮司と云うのは水戸黄門の印籠といってもいいくらい絶対的な権力を持っていますから、若し稲葉に目を付けられれば、「彼処との付き合いをやめるように」と爪弾きに遭う恐れが在るだから声高に意見を云う事が出来ないのです。

 日光市民は、東照宮を仮に世襲するのであれば、徳川家の方に宮司をやって頂きたいと願っています。東照宮は元々徳川家のもの。世襲しようがどうしようが、市民は文句を云いません。

  日光市民には四十九の自治会が在り、其の内三十九の自治会で、単独拝観券と世襲の是非についてアンケートを取る事になったのですが、稲葉が各自の自治会に圧力を掛けてアンケートを阻止しました。

  私は、今迄書いた様な稲葉を批判する内容の『戦場ヶ原』と云う新聞を自費で印刷し、地元の新聞の折り込み済みに入れて貰っていました。所が、其れもいなばは折り込みさせない様販売店に圧力を掛けて来ました。結局、私と志を同じくする方々がポスティングをしていますが、極一部の市民にしか届けられなくなってしまいました。

  此の儘では稲葉親子に東照宮を乗っ取られてしまう…。そんな危機感を市民は抱えいるからでしょう。『戦場ヶ原』は噂が噂を呼び、「私の家にも届けて欲しい」との申し出や、私の所迄貰いに来る人が後を絶ちません。

 アンケートの阻止に対しては、日光市民の多数の有志が、日光市議会議員十五名の賛同を得て、改めて広く市民の皆様にお願いする事になり、準備を進めています。

  こう云った問題が東照宮で起きている事を、日光市民以外の人は知りません。日光東照宮は日本有数の神社。東照宮は栃木県、否日本の宝です。其れが今、一人の男によって私物化されようとしている。こんな事が許されて良い筈は在りません。此れは日光市民だけではなく、日本国民の問題なのです。



草葉の陰から眺める、御祭神の家康公は、さぞかし悲しんでおられるだろう。
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