●スコーブルすこぶる荒ぶる?
世の中…っていうか海の向こうでは「iBrrreeeport Tシャツ」なんてのが発売されたり、brrreeeportでドメインを取得する輩が出てきてみたり、こんなオヤジが現れたりと、ロバート・スコーブルが舵をとる“Brrreeeportという名のバンド・ワゴン”に有象無象が便乗しまくりで満員状態。
でも、賢明な人々はそろそろワゴンから降りる時がきたようだ。スコーブルは15日付の記事でGoogleは嘘つきだと言い残した後、Yahooブログサーチを忘れていたと補足した以外はもう何も言う気配がない。どうやら実験は終わったみたいだ。
そう、パレードは終わったんだ。
厳密に言うとスコーブルはGoogleだけに対して信用できないと言っているのではなく、各サーチエンジンの間の数字の大きくバラつきがあるのが気になっているらしい。
ただしGoogleの場合は、ブログサーチのほうでは382件しかないのに、webサーチでは14000件と出てくるという大きな差異に特に矛盾を感じているようだ。
ここでまたもやおいらは困惑してしまった。
記事を読んだ時点で自分でもgoogleのメインページで試してみたら「0件」だったのだ。一応、フィルターは外しているんだけどどういうことだろう?
ブログを見てまわったが他の人たちにはちゃんと数字が出ているようだった。ひょっとしたら日本で見えているgoogleと本国のそれとは違うのだろうか?(いまだにうちではGoogleは190くらいしか出てこない…。)
Yahooの場合はyahoo.comとタイプすれば即英語版になるがgoogleの場合はgoogle.comとタイプしても自動的にwww.google.co.jpにとぶか、www.google.com/intl/ja/になってしまい、素直に英語版にはならない(www.google.com/intl/en/とするしかない?)のでなんとなく日本が分断されている感は日頃からあったけど…。(←日本っていうか、おいらのマシンだけか???)
でも、おかしかったのは検索結果が「0」のときも右側に連動広告がしっかりと出てたこと。
さて、当ブログ、テクノラティには引き続き嫌われているようだ。また検索結果からはじかれた記事(前回分)が。
まさか「テクノラティはなんか胡散臭い」と書いた内容に反応して排除されたんだろうか?
さらに哀しいことにgoogleにも嫌われている。こっちは1件も出ず。
逆に今まであまり信用していなかったyahooのほうには出てきた。
もっと面白いことに米国ではそこそこメジャーだが、日本語版はまだ存在していないようなIce Rocketなんて検索エンジンにはひっかかったのだ。
まぁ、今回の参加期間に限りIce RocketにもPingを送っていたのだけど、やはりPingを送ったテクノラティのほうは日本語版があるのにもかかわらず同じ記事が蹴られていたというのが興味深かった。
テクノラティがプログラム的にヘボでないとすれば、なにかしら選別アルゴリズムが働いているんぢゃないか?とか疑ってしまう。だってテクノラティで検索語人気1位の検索結果がいまだ1000にも満たないってのもどうなんだろう?って。
そういえば日本語版でこないだ、一位だった「ジャーナリスト宣言」ってのクリックしたら60件しか出てこなかったぞ。“単位時間あたりの検索数”とかいろいろと条件はあるんだろうが、それでも少なすぎないか?。
ただ、今回の実験とその結果に対する考察は天下の?マイクロソフトの名物社員がしかけたにしてはイマイチ中途半端という気がしないでもない。
検索エンジンってのはSEOスパムとのいたちごっこで歪んできてしまっていたり、あるいは元から空いていた穴がいまだふさがっていなかったりとがあるんだろうけど、それはシステムのアヤであって、意図的なインチキではないんぢゃないだろうか?
例えばgoogleで検索したとき、自分のブログと他人様のブログが同じサイトのメインとサブディレクトリみたいにセットで表示されてしまうことがよくあったが、これはgooブログの場合
http://blog.goo.ne.jp/各ブログID
というURLになるのでサーチエンジンが勘違いしてしまう過程は容易に想像できる。
あるいは最近何かと話題を提供し、論議を呼んでいる肥大化する企業Googleに対して牽制…なんて意図があったんだろうか。
実際にインチキがないとも言いきれないけど、この実験結果だけではインチキがあると証明できていないばかりか、他の検索プログラムと較べてすこぶる杜撰なシステムだとも言い切れないだろう。
それにしても、通常のウェブサイトよりも検索結果の上位に表示され易いブログ形式の急増と乱立するネット企業のSEOとの攻防でサーチエンジンの検索結果はかなり混乱しているのかもしれない。
たまにしつこく検索していると、充実した内容と記事量なのに、検索結果の下のほうに埋もれていて実際アクセスも少なげなんてサイト(またはブログ)と出会うことがある。逆に検索エンジンの上位にきてしまうがために大した内容でもないのにランキングの上位になってたりとかいったケースはざらだ。
日頃ネット検索していると思うことだけど、ブログは単に他のニュースサイトや他人のブログからの引用や転載だったりするものも多いが、いわゆる通常のウェブサイト、その中でも特に個人ユーザにとってホームページというものがさほどお手軽ではなかったころからの老舗サイトのようなところは内容もしっかりしていて、いわゆる趣味人としての貴重な蓄積を披露しているところが多く、大変参考になるのだが、実際に検索結果で上位にくるのはさして内容のないブログ形式のほうだ。
さらに悪いことに、これは前にハードゲイとボブ・サップを例にした記事でもいったけど、そうしたいい加減なページが上位に集まると内容にウソがあった場合にはそれがアっという間に増殖してしまう危険性をはらんでいる。
なんだか、これって現代社会のゆがみと奇妙な相似をなしていないか?
IT長者たちは「機会は平等」と言い張るけど、実際はそんなことはない。
努力…つったって、フツーの人ができる努力ってのはせいぜい長時間働くことくらい。かりにウラワザを思いついたとしたって、必ずやらなきゃいけないってことはないし、みんながウラワザ&大ワザにはしってしまったら世の中メチャクチャだ。
だって町工場も八百屋も本屋も喫茶店も小学校の前の文房具屋もあったほうが健全な世の中だと思うんだ。ネット通販と100円ショップとファミレスだけで世の中はまわっていくかな?
でも大きいモノが小さいモノを飲み込む社会は確実に進行している。
前の選挙でも自分の意見で勝とうとするのではなく、勝てるほう、または勝ったほうの意見につくというわけのわからないことが起こっている。
ネット社会の方はといえば、たしかにブログは誰でもはじめられるけど、上位にくるのは巧みに芸能人の名前をキーワードにからめたところや、芸能人そのものの“やらせブログ”だったりする。
こちらもアクセスをあげるための話題を書くという、極端に言えばキーワードで埋めていくという本末転倒な流れができあがっている。
もっと言ってしまえばブログはアフェリエイトのためのキーワードサイトの塊になりさがってしまっている。そんなところから来るトラックバックは迷惑な犬の排泄(マーキング)みたいなものだ。
実際に貴重な情報を発信している老舗サイトはどんどん下に埋もれていってしまう。それでもサイト自体は残るだろうが、いまどき検索結果の上位にこないものは存在しないのと同じ。
偉大な趣味サイトが莫大なクズの複製物のせいで検索エンジンの底に埋もれていくのは文化的な損失だ。
本来デジタルデータはアナログとは較べモノにならないくらいアクセシビリティが高いはずなんだけど、肥大化した情報の堆積の中から必要なものを掘り起こすのはけっこう骨の折れる作業だ。
実質的に利用されているネット社会ってのは町の図書館よりもずっと狭くなってしまっているかもしれない。
世の中…っていうか海の向こうでは「iBrrreeeport Tシャツ」なんてのが発売されたり、brrreeeportでドメインを取得する輩が出てきてみたり、こんなオヤジが現れたりと、ロバート・スコーブルが舵をとる“Brrreeeportという名のバンド・ワゴン”に有象無象が便乗しまくりで満員状態。
でも、賢明な人々はそろそろワゴンから降りる時がきたようだ。スコーブルは15日付の記事でGoogleは嘘つきだと言い残した後、Yahooブログサーチを忘れていたと補足した以外はもう何も言う気配がない。どうやら実験は終わったみたいだ。
そう、パレードは終わったんだ。
厳密に言うとスコーブルはGoogleだけに対して信用できないと言っているのではなく、各サーチエンジンの間の数字の大きくバラつきがあるのが気になっているらしい。
ただしGoogleの場合は、ブログサーチのほうでは382件しかないのに、webサーチでは14000件と出てくるという大きな差異に特に矛盾を感じているようだ。
ここでまたもやおいらは困惑してしまった。
記事を読んだ時点で自分でもgoogleのメインページで試してみたら「0件」だったのだ。一応、フィルターは外しているんだけどどういうことだろう?
ブログを見てまわったが他の人たちにはちゃんと数字が出ているようだった。ひょっとしたら日本で見えているgoogleと本国のそれとは違うのだろうか?(いまだにうちではGoogleは190くらいしか出てこない…。)
Yahooの場合はyahoo.comとタイプすれば即英語版になるがgoogleの場合はgoogle.comとタイプしても自動的にwww.google.co.jpにとぶか、www.google.com/intl/ja/になってしまい、素直に英語版にはならない(www.google.com/intl/en/とするしかない?)のでなんとなく日本が分断されている感は日頃からあったけど…。(←日本っていうか、おいらのマシンだけか???)
でも、おかしかったのは検索結果が「0」のときも右側に連動広告がしっかりと出てたこと。
さて、当ブログ、テクノラティには引き続き嫌われているようだ。また検索結果からはじかれた記事(前回分)が。
まさか「テクノラティはなんか胡散臭い」と書いた内容に反応して排除されたんだろうか?
さらに哀しいことにgoogleにも嫌われている。こっちは1件も出ず。
逆に今まであまり信用していなかったyahooのほうには出てきた。
もっと面白いことに米国ではそこそこメジャーだが、日本語版はまだ存在していないようなIce Rocketなんて検索エンジンにはひっかかったのだ。
まぁ、今回の参加期間に限りIce RocketにもPingを送っていたのだけど、やはりPingを送ったテクノラティのほうは日本語版があるのにもかかわらず同じ記事が蹴られていたというのが興味深かった。
テクノラティがプログラム的にヘボでないとすれば、なにかしら選別アルゴリズムが働いているんぢゃないか?とか疑ってしまう。だってテクノラティで検索語人気1位の検索結果がいまだ1000にも満たないってのもどうなんだろう?って。
そういえば日本語版でこないだ、一位だった「ジャーナリスト宣言」ってのクリックしたら60件しか出てこなかったぞ。“単位時間あたりの検索数”とかいろいろと条件はあるんだろうが、それでも少なすぎないか?。
ただ、今回の実験とその結果に対する考察は天下の?マイクロソフトの名物社員がしかけたにしてはイマイチ中途半端という気がしないでもない。
検索エンジンってのはSEOスパムとのいたちごっこで歪んできてしまっていたり、あるいは元から空いていた穴がいまだふさがっていなかったりとがあるんだろうけど、それはシステムのアヤであって、意図的なインチキではないんぢゃないだろうか?
例えばgoogleで検索したとき、自分のブログと他人様のブログが同じサイトのメインとサブディレクトリみたいにセットで表示されてしまうことがよくあったが、これはgooブログの場合
http://blog.goo.ne.jp/各ブログID
というURLになるのでサーチエンジンが勘違いしてしまう過程は容易に想像できる。
あるいは最近何かと話題を提供し、論議を呼んでいる肥大化する企業Googleに対して牽制…なんて意図があったんだろうか。
実際にインチキがないとも言いきれないけど、この実験結果だけではインチキがあると証明できていないばかりか、他の検索プログラムと較べてすこぶる杜撰なシステムだとも言い切れないだろう。
それにしても、通常のウェブサイトよりも検索結果の上位に表示され易いブログ形式の急増と乱立するネット企業のSEOとの攻防でサーチエンジンの検索結果はかなり混乱しているのかもしれない。
たまにしつこく検索していると、充実した内容と記事量なのに、検索結果の下のほうに埋もれていて実際アクセスも少なげなんてサイト(またはブログ)と出会うことがある。逆に検索エンジンの上位にきてしまうがために大した内容でもないのにランキングの上位になってたりとかいったケースはざらだ。
日頃ネット検索していると思うことだけど、ブログは単に他のニュースサイトや他人のブログからの引用や転載だったりするものも多いが、いわゆる通常のウェブサイト、その中でも特に個人ユーザにとってホームページというものがさほどお手軽ではなかったころからの老舗サイトのようなところは内容もしっかりしていて、いわゆる趣味人としての貴重な蓄積を披露しているところが多く、大変参考になるのだが、実際に検索結果で上位にくるのはさして内容のないブログ形式のほうだ。
さらに悪いことに、これは前にハードゲイとボブ・サップを例にした記事でもいったけど、そうしたいい加減なページが上位に集まると内容にウソがあった場合にはそれがアっという間に増殖してしまう危険性をはらんでいる。
なんだか、これって現代社会のゆがみと奇妙な相似をなしていないか?
IT長者たちは「機会は平等」と言い張るけど、実際はそんなことはない。
努力…つったって、フツーの人ができる努力ってのはせいぜい長時間働くことくらい。かりにウラワザを思いついたとしたって、必ずやらなきゃいけないってことはないし、みんながウラワザ&大ワザにはしってしまったら世の中メチャクチャだ。
だって町工場も八百屋も本屋も喫茶店も小学校の前の文房具屋もあったほうが健全な世の中だと思うんだ。ネット通販と100円ショップとファミレスだけで世の中はまわっていくかな?
でも大きいモノが小さいモノを飲み込む社会は確実に進行している。
前の選挙でも自分の意見で勝とうとするのではなく、勝てるほう、または勝ったほうの意見につくというわけのわからないことが起こっている。
ネット社会の方はといえば、たしかにブログは誰でもはじめられるけど、上位にくるのは巧みに芸能人の名前をキーワードにからめたところや、芸能人そのものの“やらせブログ”だったりする。
こちらもアクセスをあげるための話題を書くという、極端に言えばキーワードで埋めていくという本末転倒な流れができあがっている。
もっと言ってしまえばブログはアフェリエイトのためのキーワードサイトの塊になりさがってしまっている。そんなところから来るトラックバックは迷惑な犬の排泄(マーキング)みたいなものだ。
実際に貴重な情報を発信している老舗サイトはどんどん下に埋もれていってしまう。それでもサイト自体は残るだろうが、いまどき検索結果の上位にこないものは存在しないのと同じ。
偉大な趣味サイトが莫大なクズの複製物のせいで検索エンジンの底に埋もれていくのは文化的な損失だ。
本来デジタルデータはアナログとは較べモノにならないくらいアクセシビリティが高いはずなんだけど、肥大化した情報の堆積の中から必要なものを掘り起こすのはけっこう骨の折れる作業だ。
実質的に利用されているネット社会ってのは町の図書館よりもずっと狭くなってしまっているかもしれない。
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