三月十四日は、埼玉の現場で、いつも通り仕事をしていました。ところが朝九時半頃、自分の姉の旦那、義理の兄より、母さんが、震災の時高田に、買い物に行き、帰って来ていない!、直ぐに戻って来るように!と連絡が有り。何が何だか解らない、状況で、直ぐに現場を後にしました。たまたま、前日に油を満タンに入れてあり、予備に二十リットルあったので、もらい助かりました。途中、高速道路は、通行止め、災害救助、緊急車両のみ通行可でした。そこで国道四号線を北へと走らせ、途中食量、を仕入れたかったけど、どこの、コンビ二、スーパーにも、食料品はほとんど無く、油も買い置きしたかったが、混んでいて、いつ入れれるか解らない、状況でした。途中原発の水素爆発のため、消防などの緊急車両が走り、福島市内で、大規模な崖崩れ通行止め、迂回をし、かなりの渋滞でした。その後暗くなった頃、会社より、途中の現場が心配なので、見て来て欲しい!私はそれどこではなかったのですが、しかたなく、二時間程寄って来ました、そこの元現場は、瓦がところどころ落ちていました、が大きな被害いが無かったようです、でも行く途中、阿武隈川にかかってた橋の、手前で、道路と橋との段差が、十センチ程あり、車は、跳ね上がり、ワゴン車の天井に頭をぶつけました。いたるところが、亀裂、段差がありました、夜の九時頃になり、また四号を仙台の方へ、暗かったので、廻りの状況は、解らなかったのですが、無我夢中で家に着きました。着いたのは夜の一時半ごろ、家には、親父しか居ないと思っていたのですが、有り難いことに姉が泊まって、待っててくれました、電気が通って居なく、ローソクと石油ストーブが頼りでした。その次の日十五日は、次回に載せたいと、思います。写真は十五日、安置所廻りながら、矢作から竹駒付近を通った時の様子です、被害にあった、建物、車、写真に写っている、関係者には申し分けないのですが、今後のために、残したいと思いで載せることにしました。
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