震災時、三月十一日私は出張で宇都宮に行っており、地元(岩手県南)には居らず、その時状況はまったく解らず、不安になっていました。当日宇都宮で、地震は大きく揺れ何度も、何度も、揺れ返しを繰り返していました。その後夕方、現場は停電し、ラジオのみで、交通機関も、マヒしたみたいでした。辛うじて、泊まってたアパートは、電気が使えたので、テレビは見れ、ご飯は食べられました。その時テレビのニュースで陸前高田の映像、それは、それは、恐ろしい大きな津波の映像、あの水仙酒造の看板を飲み込み、マイヤの屋上まで、呑み込んだ、創造を絶する光景でした。次の日は通常通り電気の無い所で仕事に付いていました。十三日には、埼玉の現場に移動し仕事をしていました。問題はその次の日から、思ってもいない自体が起こりました。その内容のついては、次回にいたします。地元には、電話も何も、繋がらない状況、停電のため通信手段はほとんど不可、衛星電話を持っている方か、黒電話ダイヤルしきならば、別かも?これから少しずつ思い出して、投稿いたします。写真も随時、フォトチャンネルに乗せたいと思っています。
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