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ひるすぎ

2007年01月15日 19時57分32秒 | 恋愛小説について
 寝室〈ねべや〉は暗し。
 燃〈もゆ〉る暖炉〈だんろ〉の火は薔薇〈ばら〉色に、磨〈みが〉きたる寄木〈よせぎ〉の床板〈ゆかいた〉に映る。窓幕のあわいより幽暗なる微光ただよえり。
 東雲〈しののめ〉か。黄昏〈たそがれ〉か。
 ポーレットは眠れり。吾〈わ〉があらわなる腕〈かいな〉を枕〈まくら〉にして眠れり。香〈かんば〉しき黒髪は夜の雲と乱れて吾肩〈わがかた〉の上に流れたり。豊かなる胸は熟〈みの〉りて落ちんとする果物の如く吾が頬〈ほお〉に垂れたり。羽蒲団〈はねぶとん〉は半ば床の上に落ちたり。吾等はまとえるものなし。吾等が夢はあまりに暖く蒸されたるなり。
 物乞〈ものごい〉のうたう唄。ヴィヨロンの調〈しらべ〉。窓の外に聞ゆ。二月の冬の日は、さらば雪にてはなかりしなり。
 昨日〈ゆうべ〉の暁近く舞踏場〈ぶとうじょう〉を出でてより、今日〈きょう〉は昼すぐるまで一片のパンをも口にせざりき。われは飢えたり。しかも臥床〈ふしど〉を去ること能〈あた〉わず。夢あまりに心地よし。心あまりに懶〈ものう〉し。
 アンジェリュスの鐘の音〈ね〉聞ゆ。夕〈ゆうべ〉は来〈きた〉れり。
 ポーレットよ。起きよ。覚めよ。
 今宵〈こよい〉は如何〈いか〉なる帽子をや選ぶべき。駝鳥〈だちょう〉の羽飾りしたるは余〈あまり〉にことごとし。絹天鵞絨〈きぬびろうど〉に白きダンテルの裏付けしシャルロット形こそよけれ。されど胸ひろく乳のふくらみ見せたる昨夜〈ゆうべ〉の衣〈きぬ〉をな換えそ。杯三〈さかずきみ〉たびめぐる時、色づく汝〈なんじ〉が肌のいみじければ。
 起きよ。起きよ。
 夕の鐘頻〈しきり〉に鳴り、車の音大路〈おおじ〉を走れり。
 いざ。起出〈おきいず〉る前に、今一たびの接吻〈せっぷん〉を。
『ふらんす物語』[著]永井荷風 (新潮文庫より)

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