全てがそうでないにしろ、概してやや分不相応気味の過剰な正義感が人間を攻撃的な行動に走らせる傾向があるのではないかと考えます。
そう考えると「善人であること」と「正義感を持つこと」は必ずしも一致しない…あるいはまったく別の観念であるとも考えられますね、多分心の闇を制御できる本当の善人はきっと黙り込んでしまうわけですから。
もちろんそれで良いはずは無く、本当はそういう人間にこそ発言の機会と保障を与えられるべきなのでは?などと考えてみたりします。
ついでに、善人というものは先天的なものではなく後天的に「なってゆく」ことができるものだ…と、甘っちょろい理想論も書き添えておきます。
心に闇を持っていないのはそもそも単に未完成な人間で、それは善人ですらないと私は考えておりますので。
…『正義』なんてお題目を掲げてヒーローものを描くのなら、いずれは対峙しないといけない難問です。
作品を媒介することで世間様に毒も吐ける…、自分はその程度の小悪党で良かった…と思う今日この頃。
まったく、それが良いのやら良からぬのやら…?
そう考えると「善人であること」と「正義感を持つこと」は必ずしも一致しない…あるいはまったく別の観念であるとも考えられますね、多分心の闇を制御できる本当の善人はきっと黙り込んでしまうわけですから。
もちろんそれで良いはずは無く、本当はそういう人間にこそ発言の機会と保障を与えられるべきなのでは?などと考えてみたりします。
ついでに、善人というものは先天的なものではなく後天的に「なってゆく」ことができるものだ…と、甘っちょろい理想論も書き添えておきます。
心に闇を持っていないのはそもそも単に未完成な人間で、それは善人ですらないと私は考えておりますので。
…『正義』なんてお題目を掲げてヒーローものを描くのなら、いずれは対峙しないといけない難問です。
作品を媒介することで世間様に毒も吐ける…、自分はその程度の小悪党で良かった…と思う今日この頃。
まったく、それが良いのやら良からぬのやら…?