再び形になっている部分(適当仮組み部分を除く)を組み上げてみました。
現在は胸部の成形作業に入っているところで、この部分がどれだけ滑らかな曲線に仕上がるかによって昔のロボット「らしさ」が決まってきます。逆にこの部分が妙に角ばっていると80年代以降のロボットの様相を呈してくるわけです。もっとも、ちゃんと着地点を見定めて作業しないとそのいずれにも属さない無様で中途半端な造形になってしまう恐れもあるのですが…。
コックピットのハッチは開いた状態になってますが、正面から見るとまるでこれが頭のようにも見えてしまいます。
私は昔、水泳をやっていたことがあるのですが、公式な大会に使用されるプールの中央は普通足がつかないほど深く造られております。で、ごくたまにそうした公式の大会の場で、しかもその足のつかないコースの真っ只中で自分を見失い、不安(あるいは恐怖か?)に駆られる瞬間があります。もちろん普通に泳げるわけですから本来は溺れる心配などする必要はないのですが、何故かその一瞬は「泳ぎ方」そのものを忘れてしまうのです。
まぁ、それこそごく一瞬の話ですので、実際には何事もなかったかのように泳ぎきってしまえるわけなのですが、何故そんな心理状態が起こるのかはいまだに理解できません。こういうのは誰しもにある現象なのでしょうかねぇ…?
何の寄り道かと申し上げますと。今作業において頭がその状態です(苦笑)。
どういう形であれ、多分最後まで作り上げてしまえるのでしょうけど。今この一瞬、自分がどうやってここまで工作してこれたのか、またどうやってこの後作り上げてゆくのかが見出せない心理状況。
何よ、この状態?
明日にはきっとそんなのコロッと忘れてしまっているのでしょうけどね。
現在は胸部の成形作業に入っているところで、この部分がどれだけ滑らかな曲線に仕上がるかによって昔のロボット「らしさ」が決まってきます。逆にこの部分が妙に角ばっていると80年代以降のロボットの様相を呈してくるわけです。もっとも、ちゃんと着地点を見定めて作業しないとそのいずれにも属さない無様で中途半端な造形になってしまう恐れもあるのですが…。
コックピットのハッチは開いた状態になってますが、正面から見るとまるでこれが頭のようにも見えてしまいます。
私は昔、水泳をやっていたことがあるのですが、公式な大会に使用されるプールの中央は普通足がつかないほど深く造られております。で、ごくたまにそうした公式の大会の場で、しかもその足のつかないコースの真っ只中で自分を見失い、不安(あるいは恐怖か?)に駆られる瞬間があります。もちろん普通に泳げるわけですから本来は溺れる心配などする必要はないのですが、何故かその一瞬は「泳ぎ方」そのものを忘れてしまうのです。
まぁ、それこそごく一瞬の話ですので、実際には何事もなかったかのように泳ぎきってしまえるわけなのですが、何故そんな心理状態が起こるのかはいまだに理解できません。こういうのは誰しもにある現象なのでしょうかねぇ…?
何の寄り道かと申し上げますと。今作業において頭がその状態です(苦笑)。
どういう形であれ、多分最後まで作り上げてしまえるのでしょうけど。今この一瞬、自分がどうやってここまで工作してこれたのか、またどうやってこの後作り上げてゆくのかが見出せない心理状況。
何よ、この状態?
明日にはきっとそんなのコロッと忘れてしまっているのでしょうけどね。