この季節になると軽トラ一杯に「大根」をお寺に供養する
おばあさんをを思い出します。
大根の種をまいて育てるのはおばあさんです。
その大根畑から形の良いものだけを運ぶようにお孫さんに伝え、
毎年この時期にお孫さんが大根を届けてくれていました。
それは長い間続けられ、その大根はタクアンとなって年中行事の
檀信徒のお接待に使われていました。
おばあさんは平成3年の11月18日87才で亡くなりました。
この年の大根もおばあさんが育てたもので、最後の大根も
お孫さんが運んでくれました。
おばあさんが良く口癖にしていた言葉が
「他人様に差し上げるものは立派なものでなければいけない」でした。
お寺に届く大根はそれはそれは見事な大根でした。
自宅の軒先には、形の悪い大根が下がっていたと
近所の檀家さんから聞いた事があります。
要らないものを差し上げるのでは無く、自分の大切なものを差し上げる事が
施しなのかも知れません。
見返りを求めないから「心も品物」もきれいなのでしょう。
清らかな気持ちで施す、私もなかなかできません。
施すものは品物に限りません。
言葉であったり笑顔であったり、
お坊さんの読経や法話もお布施です。
お寺に差し出す金品だけがお布施ではありません。
「今日彼岸菩提の種を蒔く日かな」という言葉があります。
そして菩提の種はこんな風に育つのかも知れません
今では大根の代わりに、時間を作ってはお孫さん夫婦がお寺で手を合わせ
年中行事にはきっと手伝ってくれます。
仏さまのご縁を育てるための種まきは「今でしょ」なのかも
知れません。
おばあさんをを思い出します。
大根の種をまいて育てるのはおばあさんです。
その大根畑から形の良いものだけを運ぶようにお孫さんに伝え、
毎年この時期にお孫さんが大根を届けてくれていました。
それは長い間続けられ、その大根はタクアンとなって年中行事の
檀信徒のお接待に使われていました。
おばあさんは平成3年の11月18日87才で亡くなりました。
この年の大根もおばあさんが育てたもので、最後の大根も
お孫さんが運んでくれました。
おばあさんが良く口癖にしていた言葉が
「他人様に差し上げるものは立派なものでなければいけない」でした。
お寺に届く大根はそれはそれは見事な大根でした。
自宅の軒先には、形の悪い大根が下がっていたと
近所の檀家さんから聞いた事があります。
要らないものを差し上げるのでは無く、自分の大切なものを差し上げる事が
施しなのかも知れません。
見返りを求めないから「心も品物」もきれいなのでしょう。
清らかな気持ちで施す、私もなかなかできません。
施すものは品物に限りません。
言葉であったり笑顔であったり、
お坊さんの読経や法話もお布施です。
お寺に差し出す金品だけがお布施ではありません。
「今日彼岸菩提の種を蒔く日かな」という言葉があります。
そして菩提の種はこんな風に育つのかも知れません
今では大根の代わりに、時間を作ってはお孫さん夫婦がお寺で手を合わせ
年中行事にはきっと手伝ってくれます。
仏さまのご縁を育てるための種まきは「今でしょ」なのかも
知れません。
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