正定寺の閑栖  (しょうじょうじのかんせい)

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お寺の宿帳

2013年05月12日 | 日記
ホテルのロビーではスタッフが、
旅館では仲居さんが宿帳への
記載を促します。

修行道場も宿帳があります。

玄関口の入門初日の「庭詰」が終わると
「旦過寮」という狭い部屋に通されます。

怖そうな先輩雲水(修行僧)が宿帳を
持って来ます。

この宿帳を「投宿帳」といって薄明かりの
行灯の下で書きます。

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お寺の中には「宿坊」と言うものがあります。
参拝者のための宿泊寺院です。

昭和30年代までは、田舎の寺院は宿泊が
出来るようになっていました。
交通手段が悪く、旅館などもない地方では
どこも同じだったと思います。

大勢の宿泊が出来るように薄暗い布団部屋には
たくさんの布団がありました。

写真の部屋も私が小学生の頃は
布団部屋で板戸の押入がありましが、
宿泊がなくなった現在は一般参拝者の
客間として改築されました。



檀家さんの宿泊客で最後は「尾浦地区」の方々と
記憶しています。

昭和40年代まで葬儀のお礼参りに20人前後が
宿泊してお風呂に入り、夜は一杯飲んで
食事をしていました。

檀家さんだけではなく、「沖縄の学童疎開者」の方は
昭和19年から昭和21年まで正定寺が宿舎となっていました。

正定寺の宿帳には疎開学童の医療慰問にみえた方々の
宿帳があります。



投宿者には地方を巡る画家もいます。



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今でも行われている「春の本山布教師の巡教」で宿泊した和尚さん。

三重県・岐阜県・和歌山県・京都などなど、現在と同じ遠地から
お出でになっています。









正定寺に保管されている宿帳には
大正6年から昭和27年までの投宿が記されています。

この写真を末裔の方が見ると懐かしいと思うのではないでしょうか。

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