NHK朝ドラ「花子とアン」
赤毛のアンの翻訳者、村岡花子についてのドラマだと聞いて見始めましたが、見続けるにつれ何やら色づけが多いのが気になった
花子の生涯を元にしたフィクションドラマ。
とはいえ、「赤毛のアン」を愛した読者にとって花子がどのように育ちアンを翻訳するに至ったかはもっとも興味を惹かれるところ
ドラマの中の"はな"、"花子"の言動やその背景がどこまで真実なのか気になり、
村岡花子の孫恵理が花子の生涯をつづった「アンのゆりかご」を読んでみることにした。
ドラマを見てはじめに気になったのは、「赤毛のアン」のエピソードを無駄に絡ませているところ
・"はな"が幼少の頃から「はなことよんで」と言っていたこと、
・女学校時代にワインを飲んで泥酔したこと、
・教師になってから屋根に上って落ちたこと、 以降のエピソードでその他もろもろ…
原作を読むと、
・"花子"を名乗るようになったのは、日本の古典文学や短歌をならいはじめた16歳の頃。
女子の名前に子がつくほうが山の手でモダンとされていたらしい。 幼少から名乗っていたようには思えない、、、
・葉山蓮子、実名:柳原子(あきこ、さまと呼んでいた)は女学校で知り合うが、ワインのエピソードは載っていない
もしかして、お酒が飲めなかったのかもしれないが、、
・花子が教師になるのは、甲府にある山梨英和女学校。田舎とはいえミッションスクールで雰囲気は東京の学校とかわらないというから、
屋根に上るような愚行はありえないだろう
まぁこのあたりのくだりは、脚色されているなとすぐ気づくでしょうが、(朝市の設定とか)
そのほか、ドラマと大きく異なる事実をざっくり挙げてみると、
・父親は"はな"が生まれた時すでに熱心なクリスチャン、"はな"2歳のとき幼児洗礼を受けている
・"はな"は長女(長子)で、兄はいない。 ドラマ憲兵の兄は架空の存在
・5歳のとき一家で上京して南品川に住む。7歳のとき大病してその床の中で辞世の歌を詠んだのは品川の地。
幼い時の甲府での記憶はほとんど無いという
・女学校時代、日本基督教婦人矯風会の会報誌の編集に携わるようになる。
ドラマで出てくる出版社や梶原さんは架空のもの
・女学校卒業後、教師になるのは山梨英和女学校。この頃、文芸雑誌「少女画報」に物語を寄稿していた。
・24歳の時、日本基督教興文協会から初めての本「爐邉(ろへん)」を出版する
「王子と乞食」を出版するのは息子が亡くなったあとの昭和2年
・26歳のとき、村岡儆三(けいぞう、ドラマでは英治)と会う。儆三には息子がいた。
・儆三の弟斎(ひとし)は震災前に結婚。震災の被害で他界。
ドラマでは花子の妹かよにプロポーズするが、すべてフィクション
・北海道に嫁いだ次女千代から、その嫁ぎ先の近くに奉公に出た三女梅子が悲惨な生活を送っていると知らせを受け花子が引き取る
梅子は花子が英和女学校に入ってから生まれた子で子供の頃の交流はなかったとのこと。
のちに梅子の子を養子にもらうが、ドラマのかよとももの設定は微妙に異なる
そして、「Anne of Green Gables」を受け取るシーン
ドラマでは英和女学校の教師からとなっていたが、
実際は、宣教師によって設立されたキリスト教関係の本を出版している「教文館」で友人のカナダ人夫人宣教師、ミス・ショーから帰国する際
「私たちの友情の記念に」と贈られ、「いつか平和がまた訪れたとき日本の少女に紹介してください」と託されている。
原作を読んで、いかにドラマがフィクションとしておもしろおかしく描かれているかがわかった。
原作と食い違う内容をあたかも真実のように伝わってしまう表現に大きな疑問を感じながら
このドラマのおもしろさが不快さにかわっていったのは間違いない。
今はどれだけ真実と違うことを放送するのかということを注視してみている。
(個人的に、吉高由里子の演技も嫌いだ。とても"花子"をイメージすることができない。仲間由紀恵はうまいとおもうが)
「アンのゆりかご」の他に"花子"の随筆もでているようだが、私はまだ読んでいない。
もしかしてドラマに近いエピソードもあるのかもしれない。
ただ、ドラマの視聴者のほとんどがあたかも花子の生涯をつづっているように思わせ、
実は事実と大きく違っている部分もあるということに気づかず、これを真実だととらえてしまっているのではないだろうか。
某新聞の投書欄に「もっと花子が生まれ育った甲府の地を写して欲しい」というような内容が載っていたが
この人は、"はな"が5歳の時に一家で東京に移ったことを知らないのであろう
「アンのゆりかご」の著者である恵理さんは、真実と違うドラマを見てどう思っているのだろう?
祖母のことを世に広く知ってもらえれば、少し(?)事実と異なっていても問題ないと思っているのでしょうか?
まさかドラマの脚本に目を通していないとは思えないので、、、
いつだかの大河ドラマで、司馬遼太郎の「最後の将軍」を原作とした「徳川慶喜」が放送されたが、
原作のエピソードが全くでてこない、ひどくつまらない内容だったことに残念な思いをしたことがあった。
このドラマを見る前に原作を読んでいたら、きっと同じように思っていただろう。
現代と比較的近い人物についてのドラマがこれだから、時代劇の内容などたががしれているということか
「赤毛のアン」の読者なら是非とも「アンのゆりかご」を読んで村岡花子の真実を知ってほしいと思う。
ドラマはドラマで楽しめますが、その全てが花子の真実というわけではありませんから。
(こちらは2011年にTVアニメ版を再編集した映画版だそうです)
子供の頃見たアニメはオーバーな表現のアンにあまり共感を持てずに途中挫折したけど、
その後に原作を読んで、マシューの言葉に涙したものです
今ではアニメも大好きで、カナダのプリンスエドワード島も訪れ、アンの背景そのものを見て感動したものです。
おしまい
赤毛のアンの翻訳者、村岡花子についてのドラマだと聞いて見始めましたが、見続けるにつれ何やら色づけが多いのが気になった
花子の生涯を元にしたフィクションドラマ。
とはいえ、「赤毛のアン」を愛した読者にとって花子がどのように育ちアンを翻訳するに至ったかはもっとも興味を惹かれるところ
ドラマの中の"はな"、"花子"の言動やその背景がどこまで真実なのか気になり、
村岡花子の孫恵理が花子の生涯をつづった「アンのゆりかご」を読んでみることにした。
ドラマを見てはじめに気になったのは、「赤毛のアン」のエピソードを無駄に絡ませているところ
・"はな"が幼少の頃から「はなことよんで」と言っていたこと、
・女学校時代にワインを飲んで泥酔したこと、
・教師になってから屋根に上って落ちたこと、 以降のエピソードでその他もろもろ…
原作を読むと、
・"花子"を名乗るようになったのは、日本の古典文学や短歌をならいはじめた16歳の頃。
女子の名前に子がつくほうが山の手でモダンとされていたらしい。 幼少から名乗っていたようには思えない、、、
・葉山蓮子、実名:柳原子(あきこ、さまと呼んでいた)は女学校で知り合うが、ワインのエピソードは載っていない
もしかして、お酒が飲めなかったのかもしれないが、、
・花子が教師になるのは、甲府にある山梨英和女学校。田舎とはいえミッションスクールで雰囲気は東京の学校とかわらないというから、
屋根に上るような愚行はありえないだろう
まぁこのあたりのくだりは、脚色されているなとすぐ気づくでしょうが、(朝市の設定とか)
そのほか、ドラマと大きく異なる事実をざっくり挙げてみると、
・父親は"はな"が生まれた時すでに熱心なクリスチャン、"はな"2歳のとき幼児洗礼を受けている
・"はな"は長女(長子)で、兄はいない。 ドラマ憲兵の兄は架空の存在
・5歳のとき一家で上京して南品川に住む。7歳のとき大病してその床の中で辞世の歌を詠んだのは品川の地。
幼い時の甲府での記憶はほとんど無いという
・女学校時代、日本基督教婦人矯風会の会報誌の編集に携わるようになる。
ドラマで出てくる出版社や梶原さんは架空のもの
・女学校卒業後、教師になるのは山梨英和女学校。この頃、文芸雑誌「少女画報」に物語を寄稿していた。
・24歳の時、日本基督教興文協会から初めての本「爐邉(ろへん)」を出版する
「王子と乞食」を出版するのは息子が亡くなったあとの昭和2年
・26歳のとき、村岡儆三(けいぞう、ドラマでは英治)と会う。儆三には息子がいた。
・儆三の弟斎(ひとし)は震災前に結婚。震災の被害で他界。
ドラマでは花子の妹かよにプロポーズするが、すべてフィクション
・北海道に嫁いだ次女千代から、その嫁ぎ先の近くに奉公に出た三女梅子が悲惨な生活を送っていると知らせを受け花子が引き取る
梅子は花子が英和女学校に入ってから生まれた子で子供の頃の交流はなかったとのこと。
のちに梅子の子を養子にもらうが、ドラマのかよとももの設定は微妙に異なる
そして、「Anne of Green Gables」を受け取るシーン
ドラマでは英和女学校の教師からとなっていたが、
実際は、宣教師によって設立されたキリスト教関係の本を出版している「教文館」で友人のカナダ人夫人宣教師、ミス・ショーから帰国する際
「私たちの友情の記念に」と贈られ、「いつか平和がまた訪れたとき日本の少女に紹介してください」と託されている。
原作を読んで、いかにドラマがフィクションとしておもしろおかしく描かれているかがわかった。
原作と食い違う内容をあたかも真実のように伝わってしまう表現に大きな疑問を感じながら
このドラマのおもしろさが不快さにかわっていったのは間違いない。
今はどれだけ真実と違うことを放送するのかということを注視してみている。
(個人的に、吉高由里子の演技も嫌いだ。とても"花子"をイメージすることができない。仲間由紀恵はうまいとおもうが)
「アンのゆりかご」の他に"花子"の随筆もでているようだが、私はまだ読んでいない。
もしかしてドラマに近いエピソードもあるのかもしれない。
ただ、ドラマの視聴者のほとんどがあたかも花子の生涯をつづっているように思わせ、
実は事実と大きく違っている部分もあるということに気づかず、これを真実だととらえてしまっているのではないだろうか。
某新聞の投書欄に「もっと花子が生まれ育った甲府の地を写して欲しい」というような内容が載っていたが
この人は、"はな"が5歳の時に一家で東京に移ったことを知らないのであろう
「アンのゆりかご」の著者である恵理さんは、真実と違うドラマを見てどう思っているのだろう?
祖母のことを世に広く知ってもらえれば、少し(?)事実と異なっていても問題ないと思っているのでしょうか?
まさかドラマの脚本に目を通していないとは思えないので、、、
いつだかの大河ドラマで、司馬遼太郎の「最後の将軍」を原作とした「徳川慶喜」が放送されたが、
原作のエピソードが全くでてこない、ひどくつまらない内容だったことに残念な思いをしたことがあった。
このドラマを見る前に原作を読んでいたら、きっと同じように思っていただろう。
現代と比較的近い人物についてのドラマがこれだから、時代劇の内容などたががしれているということか
「赤毛のアン」の読者なら是非とも「アンのゆりかご」を読んで村岡花子の真実を知ってほしいと思う。
ドラマはドラマで楽しめますが、その全てが花子の真実というわけではありませんから。
(こちらは2011年にTVアニメ版を再編集した映画版だそうです)
子供の頃見たアニメはオーバーな表現のアンにあまり共感を持てずに途中挫折したけど、
その後に原作を読んで、マシューの言葉に涙したものです
今ではアニメも大好きで、カナダのプリンスエドワード島も訪れ、アンの背景そのものを見て感動したものです。
おしまい
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