浄土真宗というと他力本願と揶揄されるように言われることが多いと思われます。よく譬えに出されるのがスポーツの優勝争いで、自分の方は最終戦が済んでしまっている。ライバルが残り試合に負けたら自分が優勝となる場合に必ずと言っていいほどです。
これは自分の方は出せる力とチャンスがもう無くなってしまったが、相手によって決まることを言います。これは自力α%足りないところに100-α%を加えてもらい優勝できるということを表しています。これこそが人任せ、または人頼みの「他力」と言えるのではありませんか?俗諺に「人事を尽くして天命を待つ」と言いますが、この天命と表されるのが、世間でいわゆる他力です。
清沢満之氏には「天命に安んじて人事を尽くす」との言葉があります。天命に人事を加えるというのではありません。それだったら浄土宗西山派の20願による不如実の聞になります。法然上人・親鸞聖人によるのは我が方が微塵も介在しない絶対他力です。専門用語では唯信独達といい、平たく言えばはお名号の一人働きということなのです。