伊勢斎宮・源氏物語旧跡
野宮はその昔、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王(皇女、女王の中から選ばれます)が伊勢へ行かれる前に身を清められたところです。
嵯峨野の清らかな場所を選んで建てられた野宮は、黒木鳥居と小柴垣に囲まれた聖地でした。
その様子は源氏物語「賢木の巻」に美しく描写されています。
野宮の場所は天皇の御即位毎に定められ、当社の場所が使用されたのは平安時代のはじめ嵯峨天皇皇女仁子内親王が最初とされています。
斎王制度は後醍醐天皇の時に南北朝の戦乱で廃絶しました。
野宮はその昔、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王(皇女、女王の中から選ばれます)が伊勢へ行かれる前に身を清められたところです。
嵯峨野の清らかな場所を選んで建てられた野宮は、黒木鳥居と小柴垣に囲まれた聖地でした。
その様子は源氏物語「賢木の巻」に美しく描写されています。
野宮の場所は天皇の御即位毎に定められ、当社の場所が使用されたのは平安時代のはじめ嵯峨天皇皇女仁子内親王が最初とされています。
斎王制度は後醍醐天皇の時に南北朝の戦乱で廃絶しました。
その後は神社として存続し、勅祭が執行されていましたが、時代の混乱の中で衰退していきました。
そのため後奈良天皇、中御門天皇などから大覚寺宮に綸旨が下され当社の保護に努められ、皇室からの御崇敬はまことに篤いものがありました。
黒木鳥居と小柴垣は平安の風情を現在に伝え、源氏物語、謡曲野宮でも有名な当社は、嵯峨野巡りの起点として多くの方が訪れられます。えんむすびの神様、子宝安産の神様として全国から崇敬を集めています。
「斎宮(斎王)」とは、天皇が新たに即位 するごとに、天照大神の御杖代(みつえしろ)と して伊勢神宮に遣わされた斎王(未婚の内親王もしくは女王)のこと。
この歴史は飛鳥時代の天武天皇の頃にはすでに確立されており、南北朝時代の後醍醐天皇の頃まで およそ660年間、64人の姫君が遣わされていたと言い伝えられています。
斎王が任命を受け、都から伊勢の斎宮へと向う旅。
これが「斎王群行」と呼ばれる もので、斎王以下監送使、官人・女官などあわせて数百人にも及びました。
勢多頓宮、甲賀頓宮、垂水頓宮、鈴鹿頓宮、壱志頓宮を経て斎宮に到着するまでには、 5泊6日もかかったそうです。
華やかな装束に身をまとった百人の人々が嵐山で往時の夢を再現しました。
14時頃には保津川で御禊の儀が行われます。
■場 所: 野宮神社・渡月橋一帯
■期 間: ※2021年度は非公開の神事のみ。
詳細は公式サイトをご確認ください。
2021年10/18(日)
■時 間: 正午出発 御禊の儀:14時~
■アクセス: 市バス28「野々宮」
またはJR「嵯峨嵐山」駅より徒歩12分
■お問合せ: 075-871-1972
■詳細ページ:http://www.nonomiya.com/
京都の古都なら http://www.e-kyoto.net/