美しい笑みをたたえた楊貴妃観音のそばで、そっと色づく木々。
ここは皇室と関係が深く、古来、御寺(みてら)と呼ばれるところ。
本坊の、京都御所から移築されたという御座所の中庭では楓が雅やかな赤に染まっています。
東山三十六峰の一嶺、月輪山の麓に静かにたたずむ泉涌寺。
ひろく「御寺(みてら)」として親しまれている当寺は、天長年間に弘法大師がこの地に庵を結んだ事に由来する。
法輪寺と名付けられた後、一時仙遊寺と改称されたが、順徳天皇の御 代(健保6年・1218)に当寺の開山と仰ぐ月輪大師が時の宋の法式を取り入れてこの地に大伽藍を営み、寺地の一角より清水が涌き出た事により寺号を泉涌寺と改 めた。
この泉は今も枯れる事なく涌き続けている。
大師は若くして仏門に入り、大きな志をもって中国の宋に渡り深く仏法の奥義を究められた。
帰国後は泉涌寺に於いて戒律の復興を計り当寺を律を基本に天台・真言・禅・浄土の四宗兼学の寺として、大いに隆盛させた。
時の皇室からも深く帰依せられ、仁治3年(1242)に四条天皇が当寺に葬られてからは、歴代天皇の山稜がこの地に営まれるようになり、爾来、皇室の御香華院(菩提所)として篤い信仰を集めている。
当寺が「みてら」と呼称される所以である。
天長年間(824~833年)、空海が草庵を建て法輪寺としたのが起こりで、建保6年(1218年)に当時の開山と仰ぐ月輪大師俊が大伽藍を営み、寺地の一角より清水が湧き出た事により寺号を泉涌寺と改めました。
仁治3年(1242年)、四条天皇が当時に葬られてからは、歴代の天皇の山稜が営まれ、皇室の菩提所として篤い信仰を集めていたので、よって、当寺が「みてら」と称されるようになりました。
ここは皇室と関係が深く、古来、御寺(みてら)と呼ばれるところ。
本坊の、京都御所から移築されたという御座所の中庭では楓が雅やかな赤に染まっています。
東山三十六峰の一嶺、月輪山の麓に静かにたたずむ泉涌寺。
ひろく「御寺(みてら)」として親しまれている当寺は、天長年間に弘法大師がこの地に庵を結んだ事に由来する。
法輪寺と名付けられた後、一時仙遊寺と改称されたが、順徳天皇の御 代(健保6年・1218)に当寺の開山と仰ぐ月輪大師が時の宋の法式を取り入れてこの地に大伽藍を営み、寺地の一角より清水が涌き出た事により寺号を泉涌寺と改 めた。
この泉は今も枯れる事なく涌き続けている。
大師は若くして仏門に入り、大きな志をもって中国の宋に渡り深く仏法の奥義を究められた。
帰国後は泉涌寺に於いて戒律の復興を計り当寺を律を基本に天台・真言・禅・浄土の四宗兼学の寺として、大いに隆盛させた。
時の皇室からも深く帰依せられ、仁治3年(1242)に四条天皇が当寺に葬られてからは、歴代天皇の山稜がこの地に営まれるようになり、爾来、皇室の御香華院(菩提所)として篤い信仰を集めている。
当寺が「みてら」と呼称される所以である。
天長年間(824~833年)、空海が草庵を建て法輪寺としたのが起こりで、建保6年(1218年)に当時の開山と仰ぐ月輪大師俊が大伽藍を営み、寺地の一角より清水が湧き出た事により寺号を泉涌寺と改めました。
仁治3年(1242年)、四条天皇が当時に葬られてからは、歴代の天皇の山稜が営まれ、皇室の菩提所として篤い信仰を集めていたので、よって、当寺が「みてら」と称されるようになりました。
境内には仏殿・舎利殿をはじめ、天智天皇以降の歴代皇族の御尊牌を祀る霊明殿などの伽藍を配し、春の新緑、秋の紅葉には一段とその美しい姿を映えさせている。
■アクセス
京都駅から市バス208で15分、泉涌寺道下車、徒歩10分
■拝観時間 9:00~16:30(12~2月16:00)
※御座所拝観は事前に拝観可能日をお確かめください。
■拝観料 500円(霊宝館含む) 御殿庭園特別拝観300円
■住所
〒605―0977
京都市東山区泉涌寺山内町27
■電話 075(561)1551
紅葉の状況
色づきはじめ
11月中旬から下旬