京の一枚

京都 紅葉100シリーズ寺社  あのしぶい銀閣寺(慈照寺)NO.36


足利善政の銀閣寺は、侘び寂びの世界。


でも、秋には、あのしぶい銀閣のたたずまいも紅葉に彩られ、一年中でもっとも晴れやかな景色となります。


白い砂、緑の松、そして赤い楓のコントラストが絶妙です。








慈照寺(じしょうじ)は、京都府京都市左京区にあり、東山文化を代表する臨済宗相国寺派の寺院。


通称銀閣寺(ぎんかくじ)、山号は東山(とうざん)。


開基(創立者)は、室町幕府8代将軍の足利義政、開山は夢窓疎石とされている。


(夢窓疎石は実際には当寺創建より1世紀ほど前の人物であり、このような例を勧請開山という。)


足利義政が造営した楼閣建築である観音殿を「銀閣」と通称することから、観音殿を含めた寺院全体を「銀閣寺」と通称している。


この通称名は近世の名所案内記などですでに使用されている。


室町幕府8代将軍足利義政は、1473年(文明5年)、嗣子足利義尚に将軍職を譲り、 1482年(文明14年)から、東山の月待山麓に東山山荘(東山殿)の造営を始めた。


この地は、応仁の乱で焼亡した浄土寺のあったところであり、近代以降も左京区浄土寺の地名が残っている。


当時は応仁の乱が終わった直後で、京都の経済は疲弊していたが、義政は庶民に段銭(臨時の税)や夫役(ぶやく、労役)を課して東山殿の造営を進め、書画や茶の湯に親しむ風流な生活を送っていた。


造営工事は義政の死の直前まで8年にわたって続けられたが、義政自身は山荘の完成を待たず、工事開始の翌年である1483年(文明15年)にはここに移り住んでいた。


東山殿には会所、常御所(つねのごしょ)などの大規模な建物が建ち、足利義満の北山殿(後の鹿苑寺)ほどではないが、ある程度政治的機能ももっていた。


ただし、現存する当時の建物は銀閣と東求堂(とうぐどう)のみである。


1490年(延徳2年)2月、同年に死去した義政の菩提を弔うため東山殿を寺に改め、相国寺の末寺として創始されたのが慈照寺である。


戦国時代末期には前関白近衛前久の別荘にもなったが、これは慈照寺の歴代住持に近衛家出身者が多かったことによる。


前久の死後は再び相国寺の末寺として再興された。






1952年3月29日には庭園が 特別史跡及び特別名勝に指定された。






1994年12月17日には「古都京都の文化財」として 世界遺産に登録されている。






■拝観時間 12/1~2月末 9:00~16:30


     2月末日~11/30 8:30~17:00


■拝観料 500円


■電話 075-771-5725








■アクセス


市バス「銀閣寺道」下車徒歩10分






紅葉状況


まだ紅葉していない 11月初旬から11月中旬



















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