天路歴程

日々、思うこと、感じたことを詩に表現していきたいと思っています。
なにか感じていただけるとうれしいです。

梅花香13

2019-02-24 13:09:54 | 小説
清吉は驚いて、おこうを見つめる。

おこうはそっと清吉から視線をはず

す。張りつめた沈黙が続く。おこうは

静かに息をはく。心を決めたように清

吉の目を見つめる。

「私は梅の化生でございます。」

「ああ、だからか。」

清吉は納得したようにうなずいた。清

吉の返事は思いがけないものだった。

おこうはびっくりする。

「なにが、だからかなのでございま

すか。」

「いやあ、おこうさんの素性がさっ

ぱりわからなくてねえ。素人でなし。

玄人ではなし。おかみさんでも妾でも

なさそうだし、やんごとなき身分の方

か、どこぞのご落胤かと思ったぐらい

で。浮世離れした感じも、品のいい仕

草も、梅の精なら合点がいく。なるほ

どねえ。」

清吉は何回もうなずいた。おこうは

自分に対して清吉が怯えも嫌悪も表さ

ないので、戸惑った。

「私は化け物なのですよ。」

「人間のほうがよっぽど化け物じみ

てるからねえ。」

清吉は飄々と応える。そして、微笑

む。

「で、おいらの前におこうさんが降

臨したのは、吉兆かい。」

おこうは胸がつまる。清吉の精を吸い

取ろうとして、やってきたのである。

でも、今おこうは清吉の魂に触れてし

まった。清吉を傷つけたくない。言う

べきか言わざるべきか。おこうと清吉

の目があった。清吉は悟ったようだっ

た。


梅花香12

2019-02-24 13:09:35 | 小説
「…後でわかったことなんだがその

晩の座敷で、小勘が男をくどいたら、

男はその気になるかどうかという話が

持ちあがったらしい。それを種に賭に

なったんだ。で、深川界隈で一番色恋

沙汰に縁のなさそうな人間、つまりお

いらに相手役の白羽の矢が立ったとい

うわけだ。かっこうのお笑いぐささ。」

清吉は自嘲的に笑った。

「そこで、道化になって馬鹿ができ

るほどの度量もなく、なにもなかった

かのようにふるまうほどの度胸もな

かった。それで、意気地のねえことな

んだが、夜、花街をまわることをやめ

ちまったんだ。おいらには男女の駆け

引きなんぞわからねえし、野暮の極み

の人間だ。そういうことにわずらわさ

れるのが、心底嫌になっちまったん

だ。ま、自分のご面相を考えなかった

若い頃の馬鹿話さね。」

「違います。」

おこうはきっぱりと言った。目がきら

きらとして、頬が上気していた。

「その小勘さんとやらが馬鹿なので

す。清吉さんの本当の姿が見えなかっ

たのですから。清吉さんの目は澄んで

います。人の価値は目に宿ります。私

はいろんな人を見てまいりましたが、

清吉さんほど邪心のない目は珍しゅう

ございます。」

そう言ったとたん、おこうは目を伏

せた。深い悔恨の情をこめた声で言葉

を続ける。

「とは言え、私も同じ穴の狢なので

すが…」


梅花香11

2019-02-24 12:55:14 | 小説
月に薄雲がかかっていた。朧月夜。

清吉は小さな稲荷神社の境内でそわそ

わと待った。今夜はかりんとうを売っ

ていても足に地がつかないような心持

ちだった。高嶺の花だった小勘に情を

かけられるとは思ってもみなかった。

彼は降ってわいたような幸運をかみし

めていた。暗闇に浮かび上がる狛犬も

時折聞こえる木々のざわめきも怖いと

は思わなかった。ひたひたという足音

が聞こえてきた。清吉は顔を輝かせて

振り向いた。そこには小勘が立ってい

た。ただ、小勘一人ではなかった。屈

強な若い衆が数人、幇間が一人、大店

の主人らしき人物が一人、ついてきて

いた。一人一人がちょうちんを持って

いたので、驚くほど明るかった。小勘

は後ろを振り返って、旦那らしき人物

に向かってあでやかに笑う。

「ほら、いたでしょ。勝ちは頂きま

したよ。」

「さすが小勘姐さん。小勘姐さんに

参らぬ者はおりません。瑞兆なる美し

さ。いや、天晴れでございます。」

幇間がもみ手をしながら小勘に世辞

を言う。清吉だけが蚊帳の外だった。

わけがわからず、立ちすくんでいた。

小勘は清吉を見た。そして、一生忘れ

られないような冷たい声音で言い放っ

た。

「おまえのような鬼瓦に誰が惚れる

もんかね。おのれの顔を見てみやが

れ。」

梅花香10

2019-02-24 12:54:55 | 小説
「清さん、かりんとうおくれな。」

一人の芸者が声をかける。銀鼠色の

唐桟(とうざん)に黒羽織を引っかけ

て素足に桐の下駄。左づまを取った立

ち姿はすらりとして仇っぽい。

「小勘(こかん)姐さん、いつもあ

りがとうございます。」

清吉は小勘に丁寧にあいさつをした。

深川随一の流行り奴で、素晴らしい三

味線の腕と無類の声を持っていた。

すきっとした美貌と気の強い、はっき

りとした気性が人気の源だった。清吉

の上得意の客の一人だった。小勘は上

機嫌だった。

「なにさ、水くさい。清さんの声が

あまりにもいいから、思わずぼうっと

なってついつい買ってしまうのさ。」

清吉の顔が真っ赤になる。声が少し

震えた。

「姐さん、からかうのはよしてくだ

せえ。」

「おや、赤くなってかわいいねえ。」

「お座敷抜けてきたんじゃありませ

んか。早く戻らないとまずいんじゃな

いんですか。」

「憎らしいねえ。はぐらかすつもり

かえ。」

小勘はそう言いながらかりんとうを

清吉から受け取る。清吉に銭を渡す瞬

間に彼の耳元でささやいた。

「今夜九つ(午前零時頃)に近くの

お稲荷さんで待ってて。」

清吉は空耳かと思って、小勘の顔を見

る。

「…え。」

小勘は色気のある涼しい目元で彼を

にらむ。

「二度は言わねえよ。」

下駄の音も軽やかに小勘は去って

行った。清吉は胸の高鳴りを抑えるこ

とができなかった。生温かい春の風が

吹いた。心が騒ぐような春の夜だっ

た。

梅花香9

2019-02-24 12:53:26 | 小説
「かりんとう、深川名物かりんと

う。」

若かりし頃の清吉。その頃は夜、花街

で商売をしていた。特に、かりんとう

売りの口上のごとく、深川界隈を売り

歩くことが多かった。清吉はいきで気

風がよくて、あっさりした深川の土地

柄が好きだった。いつもだいたい同じ

ところをまわっていたので、顔なじみ

の客もできた。かりんとう売り名物の

大きなちょうちんに灯がともってい

る。月はさやかに輝いていた。そこか

しこの料理屋から煌々と明かりがも

れ、芸者たちの嬌声や客たちの笑い

声、三味線の音に長唄が流れてくる。

今は深川が一番活気のある時刻だ。清

吉のかきいれ時でもあった。清吉は声

をはりあげた。

「かりんとう、深川名物かりんと

う。」