糊と鋏

日々のあれこれ

おせち

2009-12-30 11:24:40 | 日記
おせち料理を作っている。
毎年、ほぼ同じものを作るのだが、
なかなか毎年同じに仕上がらない。

なぜか?

私の料理の腕はさて置いて、
毎年、同じ材料が手に入らないことが、
結構、大きいような気がする。
違う?やっぱり腕?

今、くりきんとんのサツマイモを水に浸している。
卵を冷蔵庫から出して、午後は伊達巻に取り掛かる。
今日は台所に立ちっぱなしだ。

午後、買い物をしていると、結構、時間がとられてしまう。
今、こうしてパソコンを打っているのも、時間のロス?

出来上がったおせち料理を見ると、満足感を覚えるが、
やっている最中に疲れてくると、
なんでこんなことやっているんだかとも思う。

自己満足は、どこで破綻するものなんだろうなあ。

おせち料理を作っているときに、一番わずらわしいのは、
日常のご飯作り^^;
ああ、もう、お昼ご飯の時間。

ぜんぜん、メニューが思い浮かばない。
たぶん、こういうことは、先に計画しておくのが
正しいのだろう。

正しいことは、頭ではわかるのに、
出来ないなあ。たはは。

明日はお節を全部仕上げて、重箱につめて、
ささっと掃除を済ませて、
お蕎麦を食べて、
ぬくぬくコタツに丸まって、
除夜の鐘を聴く。
「今年も無事終わったねえ」

と、まあ、一応の予定である。
予定は未定にならないように^^;

良いお年を!

28日となりにけり

2009-12-28 10:56:50 | 日記
気がついたら、28日である。
前向きにいうと、「まだ28日」なのであるが、
どちらかというと、「もう28日」の気分である。

これから掃除とお節作りを3日でこなさなくてはいけない。
長いような、短いような3日間である。

いまいちエンジンがかからないのは、
手始めが大掃除だからだ。
白状すると、掃除が苦手なのだ。
出来たら、したくない。

とにかく、すぐに疲れて一向にはかどらない。

掃除というものには、終わりがない。
一日の終わりに掃除をして、一応はきれいになるが、
次の日には、埃が落ち、部屋が散らかって、ゴミが出てくる。
それを掃除してきれいにする。
そして、翌日、埃が落ちて・・・だから掃除して、すると翌日・・・

究極の繰り返しのような気がする。
やってもやっても切りがない。
だから、好きになれないのだ。

だからって、ここでぼやいていても、
誰かが変わって掃除をしてくれるわけではない。
「おりゃあ~~~」と、気合を入れて、
「大掃除」に突撃しよう!

自分に言い聞かせるものの、
ちょっとだけねと、これを書いてしまっている。

休憩をはさみすぎると、当たり前だが、はかどらない。
はかどらないと、やりたくない。
やりたくないので、ぐずぐずする。
ぐずぐずしていると、はかどらない・・・。

まったく自業自得の見本である。

うーん、来年こそは、大掃除がさっと済むように、
普段の小掃除に努めたいものである。

と、今まで何回、言ったことやら^^;

焼きみかん

2009-12-19 11:17:41 | 日記
いきなり「冬」という感じがする。
最高温度は10度を切り、
晴れていても、風がひどく冷たい。
外出するときは、カイロを貼ってしまいそうだ。

寒くてストーブにかじりついていたら、
ふと、「焼きみかん」のことが頭に浮かんだ。

「焼きみかん」は文字通り、みかんを焼くのだ。
みかんの皮を黒く焼いて、熱いうちに皮をむいて食べると、
身体が温まるということだったと思う。

何で知ったのだろう。
祖母がやっていただろうか。
本で読んだのだろうか。
誰かのブログで見かけたのだろうか。
まるで覚えがない。

でも、「黒く焼く」「身体が温まる」という、
二つのことが、私を誘惑した。

うちのストーブは、上部でお湯が沸かせるタイプだ。
これ幸いと、家族が寝静まった夜中、みかんを一つストーブに乗せた。
なんだか、こっそりいたずらをしている気分になる。
しかし、なかなか、黒くなって来ない。火が遠過ぎるようだ。
しばらく待って少し焦げてきたので、みかんの位置を変える。

みかんの焼ける匂いがしてきた。
香ばしさと酸味が温められた不思議な匂いだ。
2,3回、位置を変えたところで、みかんが爆ぜた。
汁がこぼれてじくじく煮え、一段と匂いが強くなる。
これ以上焼くと、ぐちゃぐちゃになって、
手に負えなりそうなので皿に取った。
真っ黒に焼きたかったのに、ちょっと心残りだ。

まあ、そこは譲って、みかんを剥いてみる。
熱が入ったためか、皮がするんと剥けた。
さっそく、口に入れる。
ほかほか温かいみかんは、確かに身体を温めてくれそうだ。

でも、味は微妙だ。
このみかん、そのまま食べると甘くて美味しいのだが、
熱が通ってしまうと、その甘みを感じられない。
焼くのは、甘みが少ないものの方がいいかもしれない。

「焼きみかん」
味は決して私好みではないが、
その温かさに魅かれて、
また、焼いてしまいそうだ^^;

寄って来た

2009-12-15 17:43:47 | 日記
ここ数日間で、菜っ葉の漬物、千枚漬け、沢庵と、
立て続けに貰った。
頂けるのは実に有難い。

・・・のではあるが、出来たら、日にちを空けて、
頂くことが出来たらなあと、わがままなことを考える。
ついでに、甘いものも来ないかな~などと、
ふとどきなことさえも考える。

しかし、何故、似たようなものは、集中して寄って来るのだろう。
たとえば、「貰い物」、「仕事」、「懸賞当選」。
「人」もそうだなあ。何故なんだろう。
牽引、吸引の法則とか?
(そんな変な法則はないか^^;)

深く考えたくなるが、
貰ったら「ありがとう」で、落着しておこう^^

お返しには、みかんをあげたけれど、
もしかすると、向こうは、
「また、みかん、貰ったよ~」と嘆いているかも知れない^^;

年末行事 神主さんのお祓い

2009-12-12 18:00:35 | 日記
師走もいつのまにか中旬に入ってきた。

今日は神主さんのお祓いの日だった。
座敷にある、神棚の前でお祓いをしてもらって、新しい札をいただく。
猫は、神主さんのいでたちに驚いて、そそくさと逃げ出してしまった。
毎年のことなのに、慣れないらしい^^;

お掃除の苦手な私は、前日の夜にお掃除に追われた。
毎年、ああ、普段からもっと掃除をしておくんだったと、
反省するのだが、反省が生かさたためしがない。
でもまあ、神主さんが来てくれるおかげで、2間は大掃除完了である。

友人に指摘されたけど、たぶん、我が家はものが多い。
自分でも分かっているんだけど、捨てるのが下手くそなのだ。
まだ使えるとか思うと、ぜんぜん、捨てられない。
洋服類は、ダマができていても、破れていなければ捨てられない。
それでいて、新しいものは買ってしまうのだから、
片付くわけがない。

子供のころ読んだ外国の小説に、登場人物が、家が破産して、貧乏になったため、
新しい服が作れず、仕方がないので、裏返して仕立て直して着る、
という場面があった。それが妙に記憶に残っている。

その小説の記憶のせいなのか、ものさえ持っていればいずれ利用する機会がある。
と、どこかで思っている節がある。

とはいえ、リサイクルの達人ではないので、
ためたものを再利用することは、滅多にない。

先日、奮起して、サブトンカバーを裏返して、縫い直してみた。
へたくそな縫いようだが、じっと見ない限り分からない。
リサイクルしたぞという気持ちが大きいのか、
「なかなかやるじゃん私^^」と、妙に満足感を覚えている。

でも、これって「焼け石に水」というんだろうなあ。

眠り

2009-12-10 11:43:48 | 日記
昨日は、肩こりとそれから来る頭痛で、
夕食後に、ちょっと横になるつもりが、
そのまま朝まで寝てしまった。

合計9時間ほど寝たことになる。
おかげで、肩こり、頭痛はすっきり消えて、
身体が軽い。寝て症状が改善されるのは、本当に有難い。

ちょうど、その日に、年上の知り合いが、
倒れて救急車で運ばれたと聞いたところだったのだ。
幸い、2、3日で退院したそうで、ほっとする。
どうも、仕事の詰め込みすぎで、無理をしたのが原因らしい。

身体って、けなげで、オーバーワークなのに、
「まだ大丈夫だよ、平気だよ」と、
無理を承知で押していってしまうのだ。
精神も、身体が「大丈夫」という声を鵜呑みにしがちだ。

それにだまされずに、精神の方が意識して、
「もう、この辺で休もうよ」と声をかけて、
休ませてあげないといけない。

分かってるよ。分かってるけどさ。

そう、確かに、多少は無理をしないと、
何もできないというところはある。

無理することと、休むことと、
うまくバランスが取れるのがベストなんだけどなあ。

そのベストなところを、みんなは探れているんだろうか。
すごく難しいところだと思うけど、うまく工夫して欲しい。

倒れてしまってからじゃ遅いんだもの。

深まる冬

2009-12-08 00:51:47 | 日記
朝、山の頂上が白かったそうだ。
そういえば、一段と朝夕の寒さが増したような気がする。

前に嵐の番組で、
「野菜を土に植えてほっておいたらどうなるか」という実験をやっていた。
チンゲン菜の芯、ねぎの根元とか、見事に生えてくるのが面白かった。

ちょうど(?)もらいすぎて、一部、萎びてしまった小松菜があったので、
試しに、土に埋めてみた。さて、一週間、くたっとしていた軸の根元から、
まるで、最初から、その土に植わっていたような、しゃきっとした芽が、
出てきたのである。

テレビで見ていたのだから、出てくるのはわかっていたが、
実際に自分でやってみて、勢い良く伸びだした新芽を見たと、
子供みたいに感激してしまった。
しかし、こんなことで、感激できるとは、我ながら単純である。
でも、実に楽しい。

楽しくて、他にも何か埋めたい気分だ。

この調子だと、お正月用の小松菜は買わなくてもいいかもね^^