No④
ここで「川口和夫」の自己紹介をしておきます。
自分のこれまでを思い出すため、そして将来につないでいくための「雑文・よしなし事」です。
生まれたのは九州の真ん中の自然豊かな古い城下町大分県竹田市(姥岳・神原地区)
のびのびと育った少年時代、沢山いた友達と山野を駆け巡り楽しい少年時代でした。
末っ子で級長さん。なぜか勉強ができた神童?、それも20過ぎればタダの人以下にでしたが。
小学校の卒業式で先生から私に贈る言葉で「エゴイスト」と言われて「善人」を演じた中学時代のこと
完璧なる少年を目指し、性格は「善人・良い人」なろうとしました。オール5の級長さんでした。
本当の「善」と自分を良く見せようと演技された「偽善」なるものは違うことを感じ始めました。
自分も気持ちそのものにも色々とあって、本物の「善」にはなっていないのでは疑いはじめましたんです。
いわゆる受験勉強をしなかった田舎の高校時代
成績の競争がイヤで目立たぬようにし?、自分の好きな英語・国語・古文などの勉強ばかりしていました。
したがって模擬試験はいつも中位の成績・大学入学スレスレ・ラインで、放課後は毎日友達と遊び回っていました。
その頃の悪友たちは今でも親友です。もう60年結束が強いんです。
将来の目標を「物理学者」から「社会の医師」に変えたのは高3の夏休みの頃でした。
俄然意欲を取り戻し?半年間猛勉強・・希望の大学に何とか滑り込みました。
日本育英会の特別奨学金の試験に合格し、授業料や生活費の心配がなくなっのは有難かったです。大感謝でした。
音楽と小説・読書の大学時代・猛勉強、全共闘の時代
「友を選ばば書を読みて六分の侠気四分の熱」の歌に感じ入ったものでした。
本を沢山読みました。年間50冊以上、これまでで一番良く勉強したと思います。
吹奏楽団で音楽の面白さと奥深さを知りました。練習に熱中して居眠りしていた大学の試験は全て一夜漬けでしたが。
全共闘運動にもちょっぴり!、だけど「こんなモノで世の中は変わらない」と思っていました。
学者の夢を捨て鉄鋼会社の33年・国の基盤作りへ
何とか鉄鋼会社に入社しました。 溶鉱炉から真っ赤な鉄が流れ出す製鉄所の現場に魅了されてです。
「鉄は国家なり」の高度成長期、道路や橋、鉄道、電気製品、自動車などの鉄需要が最盛期の頃でした。
経理・管理・人事福祉の時代、利益還元・社員のタメを貫いて当然いわゆる「出世」とは無縁で
住宅財形&社員持ち家制度導入、社員定期健診・社員健康体力作りの開始などががまあ会社での個人的実績です。
ほとんど一人でやりとげました。会社の利益最優先の時代、福祉は置き去りの時代でした。当然低評価で。
会社はリストラ、会社生活の最後はブラック企業の中小企業の谷渡りとなり苦労しました。
全部一人で全責任・・苦労して使いこなした経理・営業・人事・総務などのソフト習得が今では財産です。
窮地に陥っても「打つ手は無限」とういう先輩に教わった考え方・手法も財産となりました。
週末は地域の少年野球チームのコーチを13年、積極的休養?。卒団式は「涙」でした。
小説家目指して55才で脱サラ、貧乏時代の妻のアシストに感謝
日本全国に出かけてサラリ-マンとしてのサビついた感性の復活の旅、苦労しました。
文章が法律風の項目列挙になり、四季の変化さえ忘れ、感覚は定型的・・そんな自分を変えるのは大変でした。
小説は全て新人賞にもならずで。会社生活30年は、時代に遅れてきた青年だったかのかも知れません?
ここも超キビシイ世界、思えば狭き門は感情のヒダを巧みに描き出す人に開かれているようです。
この間パートなどで生活を支えてくれた家内には大変感謝しております。ありがとう。
そして現在
やってきたことにあまり大きな誤り、間違いはなかった感じはしますが、やり方にはまだまだ性急で稚拙な点
が多くあったことは大いに反省しなければなりません。
「打つ手は無限」ですから、もっと柔らかにしなやかに・・ちゃんと人に伝わるように、なんてことを最近は強く思います。
最初に人を「輪切り・評価」しないでまずは語りかけること、そうですね、自分自身もまたどの人も「宇宙の塵の集合」一介の
「庶民」で対等の立場であることの大切さを強く感じている昨今です。
そんな思いを忘れてはなりません。そうして皆で力を合わせて皆の幸せを実現しなければなりませんですね。
私の人生の再スタ-ト、そしてまとめ、未来への提案・・・・なんです。
☆ 次回から各分野の自分なりの実践編・・各論になる見込みです。 ☆