川口和夫のブログです

団塊世代の徒然草風のブログです。

私の自己紹介

2024-03-16 08:21:43 | 日記

No④ 

 

ここで「川口和夫」の自己紹介をしておきます。

自分のこれまでを思い出すため、そして将来につないでいくための「雑文・よしなし事」です。

 

生まれたのは九州の真ん中の自然豊かな古い城下町大分県竹田市(姥岳・神原地区)

   のびのびと育った少年時代、沢山いた友達と山野を駆け巡り楽しい少年時代でした。

   末っ子で級長さん。なぜか勉強ができた神童?、それも20過ぎればタダの人以下にでしたが。

小学校の卒業式で先生から私に贈る言葉で「エゴイスト」と言われて「善人」を演じた中学時代のこと

   完璧なる少年を目指し、性格は「善人・良い人」なろうとしました。オール5の級長さんでした。

   本当の「善」と自分を良く見せようと演技された「偽善」なるものは違うことを感じ始めました。

   自分も気持ちそのものにも色々とあって、本物の「善」にはなっていないのでは疑いはじめましたんです。

いわゆる受験勉強をしなかった田舎の高校時代

   成績の競争がイヤで目立たぬようにし?、自分の好きな英語・国語・古文などの勉強ばかりしていました。

   したがって模擬試験はいつも中位の成績・大学入学スレスレ・ラインで、放課後は毎日友達と遊び回っていました。

    その頃の悪友たちは今でも親友です。もう60年結束が強いんです。

   将来の目標を「物理学者」から「社会の医師」に変えたのは高3の夏休みの頃でした。

   俄然意欲を取り戻し?半年間猛勉強・・希望の大学に何とか滑り込みました。

   日本育英会の特別奨学金の試験に合格し、授業料や生活費の心配がなくなっのは有難かったです。大感謝でした。

音楽と小説・読書の大学時代・猛勉強、全共闘の時代

   「友を選ばば書を読みて六分の侠気四分の熱」の歌に感じ入ったものでした。

   本を沢山読みました。年間50冊以上、これまでで一番良く勉強したと思います。

   吹奏楽団で音楽の面白さと奥深さを知りました。練習に熱中して居眠りしていた大学の試験は全て一夜漬けでしたが。

   全共闘運動にもちょっぴり!、だけど「こんなモノで世の中は変わらない」と思っていました。

学者の夢を捨て鉄鋼会社の33年・国の基盤作りへ

   何とか鉄鋼会社に入社しました。 溶鉱炉から真っ赤な鉄が流れ出す製鉄所の現場に魅了されてです。

   「鉄は国家なり」の高度成長期、道路や橋、鉄道、電気製品、自動車などの鉄需要が最盛期の頃でした。

経理・管理・人事福祉の時代、利益還元・社員のタメを貫いて当然いわゆる「出世」とは無縁で

   住宅財形&社員持ち家制度導入、社員定期健診・社員健康体力作りの開始などががまあ会社での個人的実績です。

     ほとんど一人でやりとげました。会社の利益最優先の時代、福祉は置き去りの時代でした。当然低評価で。

   会社はリストラ、会社生活の最後はブラック企業の中小企業の谷渡りとなり苦労しました。

     全部一人で全責任・・苦労して使いこなした経理・営業・人事・総務などのソフト習得が今では財産です。

     窮地に陥っても「打つ手は無限」とういう先輩に教わった考え方・手法も財産となりました。

     週末は地域の少年野球チームのコーチを13年、積極的休養?。卒団式は「涙」でした。

小説家目指して55才で脱サラ、貧乏時代の妻のアシストに感謝

    日本全国に出かけてサラリ-マンとしてのサビついた感性の復活の旅、苦労しました。

    文章が法律風の項目列挙になり、四季の変化さえ忘れ、感覚は定型的・・そんな自分を変えるのは大変でした。

    小説は全て新人賞にもならずで。会社生活30年は、時代に遅れてきた青年だったかのかも知れません?

      ここも超キビシイ世界、思えば狭き門は感情のヒダを巧みに描き出す人に開かれているようです。

    この間パートなどで生活を支えてくれた家内には大変感謝しております。ありがとう。

 

  そして現在

 

やってきたことにあまり大きな誤り、間違いはなかった感じはしますが、やり方にはまだまだ性急で稚拙な点

が多くあったことは大いに反省しなければなりません。

「打つ手は無限」ですから、もっと柔らかにしなやかに・・ちゃんと人に伝わるように、なんてことを最近は強く思います。

最初に人を「輪切り・評価」しないでまずは語りかけること、そうですね、自分自身もまたどの人も「宇宙の塵の集合」一介の

「庶民」で対等の立場であることの大切さを強く感じている昨今です。

そんな思いを忘れてはなりません。そうして皆で力を合わせて皆の幸せを実現しなければなりませんですね。

私の人生の再スタ-ト、そしてまとめ、未来への提案・・・・なんです。

 

☆ 次回から各分野の自分なりの実践編・・各論になる見込みです。 ☆

 

 

 

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カミサマは皆さんの心の中にいます。

2024-03-10 08:16:08 | 日記

No③

 

今日は私のカミサマ論を書いてみたいと思います。

 かなり私の独断と偏見?に満ちた内容ですので、仏教やキリスト教、神道などを信奉している方々には

反感を買うかも知れませんが、無神論者の76才の老人のそれなりの結論とお笑いいただければ幸いです。

私の元々の疑問は数千年前の神様が本当にそんなこと、やたらと難しいこと!を言ったんだろうか?と言う

点です。

 どうも現在の各宗教はお釈迦様やキリスト様の元々の言葉とは全く違う?のではないかと私は思ったん

です。そんなハズがない、もっと分かりやすくて簡単なものだったんじゃあないか、それが私の聖書や仏典

を読み始めて感じた言うならば「直観」でした。そしてその歴史を紐解くと、それは宗教が時の政治と結びつい

てある意味捻じ曲げられてきた記録が読み取れてくることで確信に変わってきたんです。

キリスト教が「法王」なる神の代弁者とそのしもべである支配者「王様」の指示に従い、忠誠を誓うモノに

変わり仏教が「仏の道」にまい進するような形になって行ったのは、その後継者と称する人たちの作り出した

いわゆる神学・聖書や仏典・なる文字化された膨大で難解な体系・ある意味でジャングルではないかと思う

ところがあるんです。

 そもそも当初は十字架や仏像、いわゆる「偶像」なるものは存在しなかったと思えることなんですよね。

ここで極論すれば仏教は「天上天下唯我独尊」・人は皆宇宙の一部を構成する尊きもの、キリスト教は

「汝の隣人を愛せよ」・皆で愛しあい協力せよ、の二点に収束するのではないかと私は考えています。

 それではカミサマはどこにいるか?、私は人間一人一人の体内に「完全にして聖なるもの」として元々

存在しているのではないかと考えるに至ったのです。神様も仏様も人間皆の中にある「聖なるものの抽象化

された集合体」と考えると全てツジツマが合う、私には納得できるということです。

神様も仏様も信じるなと言っているワケではありません。結婚式は神様で、お葬式は仏前で、それはそれで

イイんじゃあないのでしょうか。ただ一番大切なことは「自分の心の奥にある聖なる部分の声を聞く」こと

だと私は思うに至ったのです。カミサマの偶像を自分の中にある「聖なる部分」と重ね合わせることで、その

イメ-ジを持ってもう一度考えてみると、自分の人生が広く大きなものになって行くんではないか、私はそう思

んです。

それがエゴの作り出す幻想や妄想世界から離れた真の自立ではないかと。

 最近欧米では「ホーリ-・スピリッツ」なる言葉が叫ばれております。それは人皆の中にある「聖なる部分」

と言い換えることができるのではないでしょうか。。

それが現在の私の主張です。もし私の意見に同意できるならば皆さんも自分自身を良く見つめて、その「聖なる

声」に従おうではありませんか。カミサマは人として生を受けたときにすでに完全な形で人間みんなの中にいるん

です。ただ成長する過程でみんなそのことを忘れてしまっているんです。

みんなで現実の世界を生きるなかで取り込まれてしまったシガラミから離れた、もともと自分の中にあるカミサマ

の声を耳を澄まして聴き、もっと自由で楽しい社会を作って行きましょう。

それがこの項を書き連ねた私の切なる願いです。

 ちなみに私のカミサマは私がある問題が解決できずに困りはてていると突然現れて小さな「ヒント」を耳元

で囁いてくれる親切なカミサマでもあります。そんなことで窮地から脱出できたことがこれまでに何度かあり

ました。そんな厳しさだけではない温かみのある存在でもあるんです。まあこれも幻想かも知れませんが、そんな

カミサマを信じて行きたいものです。

 

 

 

 

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エゴの幻想から脱却して「正しいエゴ」へ

2024-03-04 08:48:05 | 日記

No②

 

 人は生まれてくるときは皆が「無垢」つまり全員が神様のお使いと思います。生まれたばかりの赤ん坊

を見れば良く分かる、そしてそれは極めて大切な「事実」なんです。

ただ成長するにつれて「自己意識・エゴ」を自分の中に育てていきます。それが人間でもあるようです。

エゴは成長の初期では重要な役割を果たしています。すなわち「自己確立」を果たしてくれるのです。

他の誰でもない、自由で独立した「自分自身」を自分の中に作り出してくれるのです。それがエゴの

大切なお役目であると私は考えています。

ただ最近の諸々の研究からエゴの弊害も指摘される時代にもなってきています。

それはエゴが自分自身を正しく認識できずに、自分なりのスト-リ-で勝手に自分を決めつけてしまう

ことです。「私はエライ、私は人の上にたつ人」から「私は弱い、ダメ人間の罪人」または「私は周り

の世界の犠牲者」などなど、様々な現実ではない「自分像」つまり虚像を作り出すんです。そしてその

虚像を自分自身だと信じてしまうんです。

それらが実は全て誤り、全て自分が作り出した幻想あるいは妄想であることが注意を要するところです。

恐ろしいことになんといままで私達はそれに気づいていなかったんです。そうなんです。私たちはもともと

「完璧な精神と肉体を持つ、神のつまり宇宙の子供達」なのでそんなことがあるワケがないのです。

まずは自信を取り戻しましょう。幻想ではなく本当の自分自身に立ち戻らなければなりません。

そこに気づいて自分なりに苦心し考えて「エゴ」の世界から脱却すれば、そこにはこれまでとは違った

「広い世界」が見えてくるんです。

「本当に自分がやりたかったこと」「自分が一番大切にしたかったもの」を見つけだし、そしてその結果

として全てのシガラミから離れた自分の中の聖なる部分・ホーリ-・スピリッツも見えてまいります。

 

まずはその「ジャンプ」、本来の自分への復帰、正しい自分像の理解を皆さんにをお勧めしたいと思います。

それは人を下げて自分を上げるエゴの世界ではない、皆が平等で助けあう究極のエゴの世界なんです。

 

 私は12才のとき「お前はエゴイストだ」と決めつられ、私のエゴとの戦いが始まりました。

以来60年そんなことを考え続けてきたんです。見せかけの善人を装っても「心にやましいモノ

がある限り」それはニセモノなどと考え始めたものでした。

そして今、やっとその解決法が見えてきたのです。

あなたにもそんなやり方を紹介したくて、一文をしたためたところです。

 

 

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