透析ライフと散歩と写真

陽気につられて気ままに散歩!
透析生活を前向きに過ごしたい
日々の生活を感じたままに
書いています。

常識というウソ

2015-08-08 | 最近心に感じたこと

人間社会には「常識というウソ」が存在するのを
ご存知でしょうか。
たとえば「人間は皆平等である」というウソ。
実際の人間社会は不平等だらけだと思いませんか。
人間は生まれながらにして、厳しい格差社会が既に
始まっているのですから。

「子供は宝だ」のウソ。
子供は宝物だと親の誰もが言いいますが、
実際は親による子供への虐待のニュースが
毎日のように流れています。

ちっとも宝物になっていないのではないでしょうか。
子供はどの子も皆可愛いものです。
しかし実際は親から可愛いがられる子と、疎んじられる
子がいることを大概の大人は知っています。

「結婚こそ女の幸せ」のウソ、
確かに女性にとって結婚は夢であり、人生の希望であります。
しかしながら結婚した親の中で、今現在も自分は幸せだと自信を
持って言える人が一体何人いるでしょうか。

男は結婚前に「必ず君を幸せにと約束する」というウソ。
結婚早々に相手を裏切って、酒・女・ギャンブルなどに
走る輩も多いのではありませんか。
男は「口先だけ」だと、賢い女性は既に見抜いています。

最近離婚した芸能人カップルも、人も羨むほどの豪華な
結婚式を上げたのに「いやになったから」と言って、
さっさと別れてしまいました。
結婚がちっとも幸せに結びついていないのです。

結婚すれば=幸せとは限らないのは明白なのに、
「結婚こそが女の幸せよ」といいながら、誰でもいいから
早く結婚をと世間体を気にしながら、安易に結婚を勧めるなんて、
ちょっと軽すぎていませんかね。

「いい大学に入らないと、幸せになれない」のウソ。
親も教師も子供を半ば脅しながら、勉強の必要性を説きます。
子供の将来への不安を散らつかせながら、
「いつやるの 今でしょ」と勉強をせかせるなんて、
何とせこい手口でしょうか。

確かに勉強は必要です。
それを誰も否定はしません。
勉強しないよりは勉強した方が、将来に役立つのは事実であり、
就職にも有利でしょう。

問題はいい大学に入れば=幸せ、落ちれば=不幸と、
一方的に説くことが問題なのです。
しかも大学に入ったことで一応の学歴がついても、社会に出て
役立つ学力が、ついているとは限りません。
一流大学を出てもコミュニケーション能力や、問題解決能力が
全然ないのでは話しになりません。

このような親の教えに子供は漠然とした不安を感じながらも、
素直な子供ほど親の言葉を信じて、言いなりになります、
やがて社会に出てから、それらは見事に
裏切られることになるのです。

そうやって人間と人生の矛盾、人間社会の理想と現実、
表と裏を知ることになります。
聡い子は大人の欺瞞を直ぐに見抜きますが、
疎い子供は大人になっても、中々気づきません。
そして悲劇を体験するようになります

もし子供の頃から本当のことを教えられていたならば、
夢や希望が多少減るかも知れません。
しかしながら社会に対しても現実の厳しさに対しても、
単純に失望することが大幅に減るに違いありません。
逆に現実を直視して、たくましく生きていけるのでは
ないでしょうか。

人生悩みと迷い

2015-07-27 | 最近心に感じたこと
人生の悩みと迷い

人生には悩みと迷いがつきものです。
では人はどうして、いつもいつも迷うのでしょうか?
迷いと悩みの原因は自分の気持ちが。よく分かっていない点にあります。

なんとなくは分かってるのですが・・・・
突き詰めると、よく分からない・・・そんな経験がありませんか?
自分がどうしたいのか「自分の気持ちがハッキリ分れば」迷わなくなります。

その為には自分自身と向き合い、本当は自分は何を、どうしたいのか、
「自分の気持ちを確かめる」ために、理想ではなく自分の本音を
確認しなければなりません。
その為の自己分析をお薦め致します。

まず最初に大事なことは、自分自身の問題と向き合う覚悟が、
あるかどうかでしょう。
これは口で言うよりは意外と難しく、人間は嫌なことを
様々な理由をつけて先延ばししようとするからです。

しかも問題を何としても解決したいという気持ちがなければ、
いくら地位や、学歴、知識があっても、何の役にも立ちません。

能力の本質は「問題解決能力」にあると思います。
いくら知識があっても自ら行動を起こして、目の前にある問題を
解決できなければ、何の役にも立たないのです。

自分の「問題解決能力向上」のために、努力を惜しんではいけません。
自分を育てるのも、鍛えるのも結局は自分自身なのだと思いませんか。
自己成長の為に学ぶための時間と労力、自己投資の為のお金も
惜しんではいけません。

人生に対する姿勢

結局、人は誰かに依存してるだけでは、何も実現しません。
誰かが「やってくれるのを待っている」待ちの姿勢では、
結局、事情と環境にただ押し流されるだけです。

自分から何かしなければという危機感と、何とかしたいという
切実な気持ちが必要です。

自分は自分であり「誰も私に代わってくれる訳ではありません」、
私の人生を変える事が出来るのも、ダメにしてしまうのも、
そして飛躍させるのも、結局自分自身なのです。

※幸せな人生を願っているあなたを「温かく応援します」が
 私からのメッセージです。
 人生を豊かにするためには、自分が成長することが
 一番の 近道ではないでしょうか。


加減の分かる人

2015-07-15 | 最近心に感じたこと
加減が分かるかどうかは、
個人の力量に深く関係しています。

料理でいえば火加減。
もちろん味加減も、調味料やき微妙な塩加減一つで料理が
生きる場合もあれば、台無しになることもあります。

お風呂では湯加減ではないでしょうか。
お湯の温度が熱過ぎたら入れませんし、服を脱いでから
ぬる過ぎと気付いても手遅れです。

それがもし寒い冬場なら、さぞかしがっかりすることでしょう。
このように「ちょうどいい」温度を調整出来るかどうかは、
入る人の満足感に大きく影響します。

親や教師が子供を叱るときや、褒める時でもタイミングや加減が、
子供の心の成長に影響します。
親や教師が思いっきり褒めることはいいと思いますが、
自分の感情のままに、手加減することを忘れて、
思いっきり叱ってはいけません。
子供の心が壊れてしまうかも知れないからです。

勿論、これは大人でも同じで、何かを指摘するときや、
注意するときでも相手の心の器や精神状態を考慮した上で、
加減を調整しましょう。
そうすれば人間関係での失敗を、大幅に減らすことが出来ると思います。

特に人間関係では何を言ったかも重要ですが、
それ以上に「どのような口調、どのような態度で言ったか」の方が、
ひっかかりやすいと思いませんか。
これも加減の問題です。

週に3回の透析では、痛みのある、なしの穿刺は患者に
とって重要です。
更に血液をうまく引けるかどうかも、微妙な針の刺し加減に
かかっています。

あらゆる点において微妙な加減で、バランスが取られているのだと
覚えていてください。
これを忘れた瞬間に雑になり、手抜きにも繋がりやすいからです。

いい加減とは、どうでもいいという意味でのいい加減ではなくて、
ちょうどいい加減、ちょうどいい具合を調整するという
ことではないでしょうか。、

人は心を満たす為に生きている

2015-07-10 | 最近心に感じたこと

テレビで大食いの番組を見かけることがあります。
誰でも美味しいものを沢山食べたいと思うものです。

確かに沢山食べたら満腹感を得られるでしょうが、
果たしてそれだけで人の心は満たされるでしょうか。

世の中には食べることが大好きで、食べ歩きを趣味に
しているような人がいます。
また日頃溜めこんでいるストレス解消のために食べている人もいます。

しかしながらストレス解消のために食べている人は、
食べても食べても、中々満たされた実感がありません。
そこでもっと食べたら、今度こそ満たされるのではないかと思って、
また食べる。
その結果はどうなるでしょうか。
ストレスは殆ど解消されずに、ただ太るだけ・・・かも知れませんよ。

そりゃそうでしょう。
お腹がすいている時に、美味いものを適度に食べたら、
心も満たされますが、心を満たい時に、大食いしたとしても、
それはただ単にお腹が満たされただけで、
心が満たされることとは、根本的に意味が違います。

いくら大食いしても、美食家と言われるまで美味いものを食べたとしても、
残念ながらただ太るだけではないでしょうか。
自分の辛い気持ちを慰めるために食べるなら、多少の慰めになるくらいで、
何も得られないどころか、カロリーオーバーになって
糖尿病予備軍になるだけです

ここには心の満たし方と、お腹の満たし方に対する、
大いなる勘違いがあります。

人が心を満たす為には、何よりも先に心の葛藤=ストレスを解消
しなければなりません。
そもそもストレスは誰にでもあるものですが、原因は人それぞれ違います。

ストレスが継続し、その蓄積が我慢の限界にまでくると、今度は自分が誰かに
ストレスを与えながら我慢を強るようになります。

全ては心が満たされていないために起こる現象です。
大人も子供も何ら変わりはありません。
大人は長く生きている分だけ、ごまかしが上手になっているだけです。

心を満たす為には、何よりも我慢を強いられている原因を除去するか、
出来るだけ減らさなければなりません。
その方法は次の通りです。

①怒りの発生源、怒りを自分にぶつけてくる人は誰か?
 ストレス源は誰か?⇒怒りをぶつけてくる人から離れるか、
 適度な距離を保って、被害を軽減することです。
②理不尽な我慢はスグに止めてください⇒我慢は納得できるものだけにしましょう。
 理不尽なことに我慢強くある必要はありません。
 我慢強いと自負している人ほど、他の人にも平気で我慢を強いて
 しまいやすくなるからです。
③自分の気持ちをちゃんと受け入れてくれる人=受容能力の高い人は
 誰でしょうか。
 周りにいるかどうか探してみてください。
 「無条件に優しくしてくれる人」が、1人くらいはいるものです。
④自分と気の合う人は誰でしょうか=好く共感する人は「気が合う人」です。
 ただし、「聞いたことを誰にでもしゃべってしまう人」には注意も必要です。
 それは共感ではなく単なる興味本位の人かも知れないからです。

ストレスが限界まで来ている状況下では、自分で解決できる段階を
超えているかも知れないので、誰かの助けが必要です。
誰もいない場合は、次第に気力が失われて「やる気」を喪失します。
「何もやる気がしない」という、気力とやる気の低下は危険信号が
点滅しているレベルだと気付いてください。

その次の段階は溜め込んだ怒りを、今度は自分が周囲にまき散らす、
クレーマーとか、いや~な奴の出現になりかねません。

そうならないためには、「嫌なことは止め」
「好きなことを思いっきりやること」を心掛けて下さい。
旅行・趣味・スポーツ・運動・散歩・遊び・ハイキング・温泉・
映画・音楽・・・など、何でもいいのです。

嫌なことばかり一杯やってきたので、心が満たされず気力が
低下しているとしたら、今度は好きなことを一杯やってみてください。
自分の心が満たされるようになると、自然に人にも優しくなれるのです。

特に「思い残してきたこと」があれば、それにチャレンジすることを
お薦めします。
ただし、酒が好きだからと言って、酒ばかり飲んではダメですよ。

「やりたかったことを確実に行動」に移し、少しずつでも心を充電いけば、
心が満たされた分だけ自然に笑顔も出てくるのではありませんか。
そのうち共感する相手も見つかるようになるでしょう。


人生は心を満たす為にある

2015-07-08 | 最近心に感じたこと
人生は心を満たす為にあります。
自分の心が満たされていなければ、
愛する人の心を満たして上げることはできません。
自分の心が満たされていてこそ、人の心をも満たして
上げられるのです。

自分が幸せを感じてないのに
どうして人を幸せにして上げられるでしょうか
自分が幸せだと思えているからこそ
人にも幸せを分けて上げられるのはありませんか。

辛く悲しい人生を味わってきた人は
辛さのあまり、怒りで心が歪んでしまうことがあります。
同じ辛い体験でも 理不尽な辛さや
同じように叱られても 理不尽に叱られたのでは 
怒りは確実に増大します。

しかし沢山の苦労を体験したからこそ、
人に優しくなる人もいます。
辛く悲しい人の気持ちが、分かるようになったからでは
ないでしょうか。

では一体その違いは、どこにあるのでしょうか。

理不尽な我慢は、どんな時でもすべきではありません。
理不尽な我慢を強いられると、心が傷つき
次第に壊れてしまうからです。

納得したことを我慢するのであれば、
人は忍耐できるようになっています。
逆に理不尽な我慢を強いられたときは 
不満が蓄積されてしまいます。

やがて心は怒りで震え、マグマだまりが拡大します。
そして限界になった時には、激しい爆発が生じて、
火口付近にいた人から吹き飛ばさてしまうでしょう。

さて、我慢と怒りが自分に向かうとどうなるのでしょうか。
我慢や怒りの爆発は自己破壊となり、必ず病気を引き起こします。
怒りが心に向かえば、自己否定と自己卑下などつながり、
自信を失い、やがて気力を喪失することになります。
それをいつまでも放置すると「心の病」となるでしょう。

では怒りを外に向かって発散させたら、どうなるのでしょうか。
怒りを他者に向けると、一瞬にして相手を破壊し 
傷つけることとなります。
怒りの感情からは否定的な言葉と行動しか出てこないからです。

ひどい場合は暴言を吐き、暴力まで振るいかねません。
怒りの放置は全ての不幸の原因、始まりだからです。

怒りの持つマイナスの力は強大で、全てを滅ぼすパワーが
あることを忘れてはなりません。

このような問題に直面したとき、あなたは今までの人生で、
どのように解決してきたでしょうか。

私からの解決の糸口は、次回のブログで提案します。