☆今日も富士山ライブカメラからは、奇麗な富士山が見えています。(今朝6:00・三ツ峠山山頂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/0c/36fe489e44a033910bef2cd4050051c5.jpg)
☆富士山ライブカメラは、河口湖湖畔よりの逆さ富士(今朝5:58)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/b5/96f9b31ce3881e9fafcb0769c016acac.jpg)
★今日も当地方は、風も無く青空が広がって良い天気になっている。気温は、17度Cでほぼ昨日と変わらない。我が家では、一昨夜からのキンモクセイが今朝も家中に漂っている。
昨日は広島へトンボ帰りしたが、市内の残暑が厳しいのにビックリ!
7時半頃に自宅を出発したのだが、その時間は19度C、途中最も低かったのは芸北町付近で14度C。
それが広島市内に入ると30度Cを超えて来た。そして午後の3時頃に、新幹線口近くにでかけたが何と33~34度Cまで上がっていた。もう真夏を思わせる様な気温で、汗ばむ程だった。「暑さ寒さも彼岸まで」と言うが、「暑さは彼岸から」とでも言いたくなる気温だった。
従って市内を通り過ぎるまでは、車のエアコンなしでは走れなかった。しかし山間部地点では、気温も19度まで下がり自宅付近は24度と快適となる。
今朝のコラムを読んで知ったのだが、明日はあの伊勢湾台風の惨禍から50年を迎えるそうだ!当時は、小学校の高学年で凄い被害が出たと言うことは何か記憶に残っている。(死者・行方不明者5098人)
ほぼ同世代の、当時小学校四年生だった少女の作文が有ったのでご紹介しましょう・・・(伊勢湾台風50年事業実行委員会のホームページより)
ーおそろしかった台風の夜ー
白水小学校四年(当時) 久野美恵子
あの日は、七時ごろからあらしがひどくなりました。おとうさんは、まっくらなへやで、おかあさんと夕ごはんを食べていました。
八時ごろ、まどから外をのぞくと、水がおとなのこしぐらいありました。三十分ぐらいたって、庭を見ようとすると、ちょろちょろどろ水がはいってきたとたん、タタミがふわっとうごきだしてきました。おとうさんが、みんなをかかえて、台所へ行きました。その時、妹の節ちゃんが「おとうちゃん、こわい。」とさけびました。その声が終わりになるとは、思いませんでした。台所へ行くと、おさらやお茶わんが、ガシャンガシャンと、われた音がしました。
おとうさんが「美恵子、はんだいにのれ。」と言いました。その時家は、ミシッミシッと大きな音がして、生きたここちはしませんでした。表口から出るとすぐ、足がつかなくなりました。ものすごい雨と風で、いきのできるのがやっとでした。
お父さんは、私たちをだきかかえて、何もつかまらずに、流れていきました。ふと気がつくとお母さんがいません。私は「おとうちゃん、おかあちゃんがいない。材木の下になった。」とさけびましたが、どうしようもありません。
私は、二度しずみました。二度目にしずんだ時に、思わず妹につかまっていた手をはなしてしまいました。しばらく流されていってそばを流れていた材木にしがみつきました。それから「おとうちゃーん、おかあちゃーん。」と父母をよびましたが、何も返事がありません。ふと気がつくと、私がつかまっている材木にもうひとり男の子がつかまっていました。
私と男の子は、父母の名をよんでいましたが
「もうよんでもしかたがないからやめよう。」
と言うと
「よし今度は、もっと大きな物につかまろうよ。」
と言った。その時、ちょうど近くへ、にわとり小屋のような大きな物が流れて来ました。
「あれにのろう。」
と言って、男の子は、先にのりました。私も続いてのりました。しばらく流されて行くと、材木がたくさんある所へひっかかってとまりました。そこは、千鳥小学校の前で、まだ足がとどきませんでした。あたりを見まわすとまっくらでした。北の方にトラックがあり、のっている人がかいちゅう電とうでてらしていました。私は、「まって、いっしょにいこ。」と追いかけて行きました。むちゅうで、はっていくうちにわからなくなりました。
その時、トラックにのっている人たちは、私のことに気がついてバックして来ました。すぐとびのると、ぐっしょりぬれた服に風があたってすごく寒くなりました。トラックには、大ぜい人がのっていました。シートをかぶってすわっていると、おとうさん、おかあさん、妹たちの事が思い出されてなけてきました。
しばらくすると、水は、だんだんふえて来て、もうすわっていられなくなりました。みんなわ、立ちながらシートをかぶっていました。トラックがとまった所はちょうど電話線が通っていました。こどもは、足がつかなくなっておとなにつかまっていましたが、おとなも足がとどかなくなったので電話線につかまって流されてきた大きな戸のような物をひきよせて小さいこどもをのせました。おじさん方は、「みんな、ねむっちゃあいかんぞ。」「ねむっては、いかんぞ。」などと言ってみんなをはげましていました。ひとりが歌をうたいはじめました。
私も知っている歌をうたいました。ようやく三、四時間すぎたころ、雨はやみ風はとまり、流れもゆるやかになり、水もへっていきました。まだ水があるのでトラックの両がわにある、ういている板や材木をしいてシートをかぶってねたのは、五時すぎだったと思います。
当時 白水小学校4年
「伊勢湾台風-こどもと教師の記録-」より
☆伊勢湾台風-被害状況集計【全国被害状況集計(平成20年度版消防白書より)】
・人的被害 死者(人) 4,697
・行方不明(人) 401
・負傷者(人) 38,921
・住家被害 全壊(流失)(棟) 40,838
・半壊(棟) 113,052
・床上浸水(棟) 157,858
・床下浸水(棟) 205,753
☆今日の「誕生日の花と花言葉」
・オトコエシ(オミナエシ科)
・野生味
☆「きょうの一句」
・月山(がっさん)の空のまろさやをとこへし 小宮山勇(いさむ)
(NHK・ラジオ深夜便4時台後半より)
☆今日は何の日(9月25日)
・ 沢村栄治が日本プロ野球初のノーヒットノーランを達成(1936年)
・2005年日本国際博覧会(愛・地球博)閉幕(2005年)
~心に響く366の寸言~
【先祖を祭る】
若夫婦が自発的に
先祖の祭をする風俗があれば、
その国、その郷土、
その家庭は確かだ。
これに反するを
薄俗(はくぞく)と言い、
必ず享楽的になって
当(あて)にならぬ。
足許から忍び寄る
この危機を見よ。
『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
★9月25日 松下幸之助[一日一話]
<信賞必罰>
“信賞必罰”すなわち、罰すべき罪過ある者は必ず罰し、賞すべき功ある者は必ず賞せよということ、これは人間が存在するかぎり、程度の差はあっても絶対に必要なことであろう。これが行なわれない国家社会は、次第に人身が倦み、やがては必ず崩壊してしまうだろう。国家だけではない。会社、集団、家庭どこにおいても、これは決してないがしろにされてはいけないことだと思う。
ただ、ここで大事なことは、信賞必罰といっても、常に適時適切でなければならないということである。これは微妙にして非常にむつかしいことで、これが当を得なかったならば、かえって事を誤ってしまうことになる。
タイトル:たかきの独りごとパートⅡ
URL:http://blog.goo.ne.jp/takaki_1947
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☆富士山ライブカメラは、河口湖湖畔よりの逆さ富士(今朝5:58)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/b5/96f9b31ce3881e9fafcb0769c016acac.jpg)
★今日も当地方は、風も無く青空が広がって良い天気になっている。気温は、17度Cでほぼ昨日と変わらない。我が家では、一昨夜からのキンモクセイが今朝も家中に漂っている。
昨日は広島へトンボ帰りしたが、市内の残暑が厳しいのにビックリ!
7時半頃に自宅を出発したのだが、その時間は19度C、途中最も低かったのは芸北町付近で14度C。
それが広島市内に入ると30度Cを超えて来た。そして午後の3時頃に、新幹線口近くにでかけたが何と33~34度Cまで上がっていた。もう真夏を思わせる様な気温で、汗ばむ程だった。「暑さ寒さも彼岸まで」と言うが、「暑さは彼岸から」とでも言いたくなる気温だった。
従って市内を通り過ぎるまでは、車のエアコンなしでは走れなかった。しかし山間部地点では、気温も19度まで下がり自宅付近は24度と快適となる。
今朝のコラムを読んで知ったのだが、明日はあの伊勢湾台風の惨禍から50年を迎えるそうだ!当時は、小学校の高学年で凄い被害が出たと言うことは何か記憶に残っている。(死者・行方不明者5098人)
ほぼ同世代の、当時小学校四年生だった少女の作文が有ったのでご紹介しましょう・・・(伊勢湾台風50年事業実行委員会のホームページより)
ーおそろしかった台風の夜ー
白水小学校四年(当時) 久野美恵子
あの日は、七時ごろからあらしがひどくなりました。おとうさんは、まっくらなへやで、おかあさんと夕ごはんを食べていました。
八時ごろ、まどから外をのぞくと、水がおとなのこしぐらいありました。三十分ぐらいたって、庭を見ようとすると、ちょろちょろどろ水がはいってきたとたん、タタミがふわっとうごきだしてきました。おとうさんが、みんなをかかえて、台所へ行きました。その時、妹の節ちゃんが「おとうちゃん、こわい。」とさけびました。その声が終わりになるとは、思いませんでした。台所へ行くと、おさらやお茶わんが、ガシャンガシャンと、われた音がしました。
おとうさんが「美恵子、はんだいにのれ。」と言いました。その時家は、ミシッミシッと大きな音がして、生きたここちはしませんでした。表口から出るとすぐ、足がつかなくなりました。ものすごい雨と風で、いきのできるのがやっとでした。
お父さんは、私たちをだきかかえて、何もつかまらずに、流れていきました。ふと気がつくとお母さんがいません。私は「おとうちゃん、おかあちゃんがいない。材木の下になった。」とさけびましたが、どうしようもありません。
私は、二度しずみました。二度目にしずんだ時に、思わず妹につかまっていた手をはなしてしまいました。しばらく流されていってそばを流れていた材木にしがみつきました。それから「おとうちゃーん、おかあちゃーん。」と父母をよびましたが、何も返事がありません。ふと気がつくと、私がつかまっている材木にもうひとり男の子がつかまっていました。
私と男の子は、父母の名をよんでいましたが
「もうよんでもしかたがないからやめよう。」
と言うと
「よし今度は、もっと大きな物につかまろうよ。」
と言った。その時、ちょうど近くへ、にわとり小屋のような大きな物が流れて来ました。
「あれにのろう。」
と言って、男の子は、先にのりました。私も続いてのりました。しばらく流されて行くと、材木がたくさんある所へひっかかってとまりました。そこは、千鳥小学校の前で、まだ足がとどきませんでした。あたりを見まわすとまっくらでした。北の方にトラックがあり、のっている人がかいちゅう電とうでてらしていました。私は、「まって、いっしょにいこ。」と追いかけて行きました。むちゅうで、はっていくうちにわからなくなりました。
その時、トラックにのっている人たちは、私のことに気がついてバックして来ました。すぐとびのると、ぐっしょりぬれた服に風があたってすごく寒くなりました。トラックには、大ぜい人がのっていました。シートをかぶってすわっていると、おとうさん、おかあさん、妹たちの事が思い出されてなけてきました。
しばらくすると、水は、だんだんふえて来て、もうすわっていられなくなりました。みんなわ、立ちながらシートをかぶっていました。トラックがとまった所はちょうど電話線が通っていました。こどもは、足がつかなくなっておとなにつかまっていましたが、おとなも足がとどかなくなったので電話線につかまって流されてきた大きな戸のような物をひきよせて小さいこどもをのせました。おじさん方は、「みんな、ねむっちゃあいかんぞ。」「ねむっては、いかんぞ。」などと言ってみんなをはげましていました。ひとりが歌をうたいはじめました。
私も知っている歌をうたいました。ようやく三、四時間すぎたころ、雨はやみ風はとまり、流れもゆるやかになり、水もへっていきました。まだ水があるのでトラックの両がわにある、ういている板や材木をしいてシートをかぶってねたのは、五時すぎだったと思います。
当時 白水小学校4年
「伊勢湾台風-こどもと教師の記録-」より
☆伊勢湾台風-被害状況集計【全国被害状況集計(平成20年度版消防白書より)】
・人的被害 死者(人) 4,697
・行方不明(人) 401
・負傷者(人) 38,921
・住家被害 全壊(流失)(棟) 40,838
・半壊(棟) 113,052
・床上浸水(棟) 157,858
・床下浸水(棟) 205,753
☆今日の「誕生日の花と花言葉」
・オトコエシ(オミナエシ科)
・野生味
☆「きょうの一句」
・月山(がっさん)の空のまろさやをとこへし 小宮山勇(いさむ)
(NHK・ラジオ深夜便4時台後半より)
☆今日は何の日(9月25日)
・ 沢村栄治が日本プロ野球初のノーヒットノーランを達成(1936年)
・2005年日本国際博覧会(愛・地球博)閉幕(2005年)
~心に響く366の寸言~
【先祖を祭る】
若夫婦が自発的に
先祖の祭をする風俗があれば、
その国、その郷土、
その家庭は確かだ。
これに反するを
薄俗(はくぞく)と言い、
必ず享楽的になって
当(あて)にならぬ。
足許から忍び寄る
この危機を見よ。
『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
★9月25日 松下幸之助[一日一話]
<信賞必罰>
“信賞必罰”すなわち、罰すべき罪過ある者は必ず罰し、賞すべき功ある者は必ず賞せよということ、これは人間が存在するかぎり、程度の差はあっても絶対に必要なことであろう。これが行なわれない国家社会は、次第に人身が倦み、やがては必ず崩壊してしまうだろう。国家だけではない。会社、集団、家庭どこにおいても、これは決してないがしろにされてはいけないことだと思う。
ただ、ここで大事なことは、信賞必罰といっても、常に適時適切でなければならないということである。これは微妙にして非常にむつかしいことで、これが当を得なかったならば、かえって事を誤ってしまうことになる。
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