☆富士山ライブカメラは、静岡県裾野市にある日本庭園鉄道から(今朝6:00)
★今朝は、天気も回復し良い天気になっている。気温は、11度Cと冷え込んで夜露が降ってもいる。今日は、眩しい程の青空が広がる一日になりそうである。
昨日は、田舎に行き昼食後草刈りをしていた。雲が出て雷が鳴り、急に雨になった。降った雨を見ると、氷が混じっていてビックリ!
慌ててコテージの窓を閉めたのだが、少し窓越しに雨が入っていた。最近は、定期的に雨も降る様になっている。
各地から、キンモクセイの開花の話題が放送されている。先日広島へ行った時にも、アストラムライン沿いを通った時に豪邸の庭から香っていた。どうもキンモクセイは、桜前線とは逆で北から南下して来るそうだ!これは、気象予報士さんの話から知った。
それと先日気が付いたのだが、今年はコテージ付近のキンモクセイが又花を付けてきた。二度咲きの話題が最近、ラジオの放送からも耳にする。植えて十数年経つが、今年の様に二度も花を付けるのは初めてである。何か、キンモクセイも気象の異常に気付いて花を付けたのだろうか?
こちらは、二回も良い香りを楽しめるので嬉しいが・・・
今日の「誕生日の花と花言葉」
・シオン(キク科)
・追憶・遠くの人を思う
☆「きょうの一句」
・晴れ渡る天に紫苑の色を置く 稲畑汀子(ていこ)
(NHK・ラジオ深夜便4時台後半より)
☆今日は何の日(10月15日)
・グレゴリオ暦制定(1582年)
・ドレフュス事件(1894年)
・ゾルゲ事件(1941年)
・北朝鮮による拉致被害者5人が帰国(2002年)
~心に響く366の寸言~
【人間は性情の良し悪し】
情緒の潤滑(じゅんかつ)油が乏(とぼ)しいせいで、
知性も軋(きし)んで円通(えんつう)しない。
この頃は話のわからぬ人間がふえたようである。
しがない者はしばらく置いて、
ちゃんとした指導的立場にある知識人であって、
とんとわけのわからぬ者が少くない。
もっともマキャベリがすでに指摘しているが、
人の頭には三通りある。
その一は、自分ではっきり考の立つもの、
その二は、他人の考がよくわかるもの、
その三は自分の考もなく、他人の考もわからぬもの。
他の所で、彼は又、どうせねばならぬかを自ら知る者は上の人、
次は、他人の善(よ)い勧告を用いる人、
最下は、自ら人に忠告するすべも知らず、
又人の忠告にも従わぬ人間であることを挙げて説いている。
頭の良し悪しというが、
それよりも根本的に大切なことは、
やはり性情の良し悪しである。
我執(がしゅう)の無い、
よく人と打融(うちと)けあえる性情の人は自然に頭が良く、
自分自身知見が立たずとも、
賢者の意見を能(よ)く判断して用いることができるから、
なまじい私見が立つより、
もっと頭の良いことにもなるのである。
『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
★10月15日 松下幸之助[一日一話]
<紙一枚の差>
社会に対する責任ということを同じように考えてやっていても、その徹し方には差がある。一方は「これで十分だ」と考えるが、もう一方は「まだ足りないかもしれない」と考える。そうしたいわば紙一枚の差が、大きな成果の違いを生む。もう十分だと考えると、苦情があっても「ああ言うが、うちも十分やっているのだから」ということになって、つい反論する。けれどもまだ足りないと思えば、そうした苦情に対しても敏感に受け入れ、対処していくということになる。そういうことが、商品、技術、販売の上に、さらに経営全般に行われれば、年月を重ねるにつれて立派な業績を上げることになるわけである。
タイトル:たかきの独りごとパートⅡ
URL:http://blog.goo.ne.jp/takaki_1947
★今朝は、天気も回復し良い天気になっている。気温は、11度Cと冷え込んで夜露が降ってもいる。今日は、眩しい程の青空が広がる一日になりそうである。
昨日は、田舎に行き昼食後草刈りをしていた。雲が出て雷が鳴り、急に雨になった。降った雨を見ると、氷が混じっていてビックリ!
慌ててコテージの窓を閉めたのだが、少し窓越しに雨が入っていた。最近は、定期的に雨も降る様になっている。
各地から、キンモクセイの開花の話題が放送されている。先日広島へ行った時にも、アストラムライン沿いを通った時に豪邸の庭から香っていた。どうもキンモクセイは、桜前線とは逆で北から南下して来るそうだ!これは、気象予報士さんの話から知った。
それと先日気が付いたのだが、今年はコテージ付近のキンモクセイが又花を付けてきた。二度咲きの話題が最近、ラジオの放送からも耳にする。植えて十数年経つが、今年の様に二度も花を付けるのは初めてである。何か、キンモクセイも気象の異常に気付いて花を付けたのだろうか?
こちらは、二回も良い香りを楽しめるので嬉しいが・・・
今日の「誕生日の花と花言葉」
・シオン(キク科)
・追憶・遠くの人を思う
☆「きょうの一句」
・晴れ渡る天に紫苑の色を置く 稲畑汀子(ていこ)
(NHK・ラジオ深夜便4時台後半より)
☆今日は何の日(10月15日)
・グレゴリオ暦制定(1582年)
・ドレフュス事件(1894年)
・ゾルゲ事件(1941年)
・北朝鮮による拉致被害者5人が帰国(2002年)
~心に響く366の寸言~
【人間は性情の良し悪し】
情緒の潤滑(じゅんかつ)油が乏(とぼ)しいせいで、
知性も軋(きし)んで円通(えんつう)しない。
この頃は話のわからぬ人間がふえたようである。
しがない者はしばらく置いて、
ちゃんとした指導的立場にある知識人であって、
とんとわけのわからぬ者が少くない。
もっともマキャベリがすでに指摘しているが、
人の頭には三通りある。
その一は、自分ではっきり考の立つもの、
その二は、他人の考がよくわかるもの、
その三は自分の考もなく、他人の考もわからぬもの。
他の所で、彼は又、どうせねばならぬかを自ら知る者は上の人、
次は、他人の善(よ)い勧告を用いる人、
最下は、自ら人に忠告するすべも知らず、
又人の忠告にも従わぬ人間であることを挙げて説いている。
頭の良し悪しというが、
それよりも根本的に大切なことは、
やはり性情の良し悪しである。
我執(がしゅう)の無い、
よく人と打融(うちと)けあえる性情の人は自然に頭が良く、
自分自身知見が立たずとも、
賢者の意見を能(よ)く判断して用いることができるから、
なまじい私見が立つより、
もっと頭の良いことにもなるのである。
『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
★10月15日 松下幸之助[一日一話]
<紙一枚の差>
社会に対する責任ということを同じように考えてやっていても、その徹し方には差がある。一方は「これで十分だ」と考えるが、もう一方は「まだ足りないかもしれない」と考える。そうしたいわば紙一枚の差が、大きな成果の違いを生む。もう十分だと考えると、苦情があっても「ああ言うが、うちも十分やっているのだから」ということになって、つい反論する。けれどもまだ足りないと思えば、そうした苦情に対しても敏感に受け入れ、対処していくということになる。そういうことが、商品、技術、販売の上に、さらに経営全般に行われれば、年月を重ねるにつれて立派な業績を上げることになるわけである。
タイトル:たかきの独りごとパートⅡ
URL:http://blog.goo.ne.jp/takaki_1947
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