たかきの独りごとパートⅡ

近況報告(感謝・感動・感心をテーマとし、今年度は家庭菜園が中心予定です。尚、不定期更新とさせていただきます。)

三泊四日の旅日記(1)

2009-07-31 10:42:19 | 日記
☆画像は、関門橋(中国道壇ノ浦SA)7月27日8時頃。ここのSAにて、朝食と休憩で時間調整。九州方面に向かう時は、いつもこの「壇ノ浦SA」を利用する。ここの景色がとても気に入っているし、下関は思い出の多い地でもある。
    ↓

☆7月27日16時頃・忍野八海(7/27)は、残念ながら霧のため富士山は無かった。しかし、ここの湧水はとても奇麗でしたヨ!普段は、富士山ライブカメラでお世話になっている場所だけに愛着を感じた。 ↓

☆富士山五合目付近から(7/27)。ここの駐車場で、初めて当県ナンバーの観光バスを見る。それは、伯太観光のバスでした。富士登山が目的だとおもわれます。この時間、沢山の人が8合目の山小屋を目指し出発されていました。先日の落石事故は、こちら側の斜面では無いとの事。ここのお店は1Fがお土産店で、2Fはレストランになっていた。このお店付近では、中国からの沢山のツアー客の姿が見られた。
最近バスでの、ツアーは久しぶりだった。今回このバスには、41人のツアー客が乗りこんでいた。上は80代の人から、小学生までの幅広い年齢層だった。4日間の旅なので、旅行会社さんのご配慮で毎日席が入れ替わった。初日は、中央部の右席・二日目は、中央部の左席・三日目は最後部右席・最終日は、最前列の右席だった。欲を言わして戴ければ、見晴らしは、最前列→最後部→中央部・乗り心地は、中央部→最前列→最後部の順になるのでは?特に、山道でカーブや凹凸の多い道では後部座席は厳しい。それに、降りる時は最後になるが。これについては、特に急ぐ場合を除き大きな問題とは言えないが・・・
もし、希望が効けば最前列を選びたいと思ったが?
  ↓

☆五合目からの富士山 。確か35~6年前には、この付近に立ったはずなのだが・・・全く記憶にございません!富士山5合目は、標高2305m。ちなみに富士山は、3776mだったと思うが?
   ↓

☆東~京の空♪(昨日の17時頃車内)首都高速湾岸線より。東北自動車道から首都高速湾岸線に入って渋滞していたが、この付近より流れが良くなった。東京では、梅雨も上がり夏の空が見られた。後ここからは、羽田まで20分位だっただろうか!ガイドさんのお話では、通算走行距離が1000キロを超えたそうだ。途中1回の給油をされ、タンクにはドラム缶2本分位入るとか。燃費は、エアコンを入れているのでL(リットル)2~3キロと言う。単純に計算しても5万円前後、それに駐車料と高速料金を入れれば10万は超えるだろうと推測。まあ、何れにしても余計な心配だが・・・ ↓

☆今回お世話になった、帝産観光バス株式会社さんの名前は知らなかった。創立が昭和二一年なので、戦後まもなくである。私よりは、少々先輩である。多分当時は、木炭車では無かったかと思う。幼少時の、木炭車の思い出が微かに残っている。今風に言えば、当時のエコカーと言えるかもヨ!その他全てが、エコ生活でしたネ~!蒔きや薪それに炭の生活、蒔きストーブや石炭ストーブも懐かしい。当時は、原油価格なんか何のその、全く関係ない生活。しかし、当時の冬はとても雪が多くて寒かった。まあ~過去のお話は、この辺にして置きましょうか!次はガイドさんのお話によれば、日本で観光バスを最初に開業された会社という。それに神戸淡路大震災で、高速道で危機一髪寸前に止まり命拾いしたバス。それが、京 都支店の観光バスだったらしい。テレビにも、沢山映ったとか言われていた。ツアーの途中でも、気お付けて見ていたら数台は見かけた。四日間も乗っていたので、今後も気に留めておきたい。我々が乗ったバスは、東京支店の一台のバスだろう。ナンバーまで、まだ記憶に残っている。そのナンバーは、なんと品川「58-64」でした。沢山の観光バスが停まっている時は、この数字を目印としていた。この数字は、いずれも、御縁ある数字なのでとても覚えやすかった。アッ!そう言えば吹き出すような、出来事が色々有ったが・・・又の機会に!
ガイドさんも、ベテランさんで旅に花を添えた。でも、結構大変みたいで好きでないと出来ないお仕事だろう?では、その帝産観光バス株式会社さんの会社概要を!(HPより)
※帝産観光バス株式会社
・会社概要
創立年月日 : 昭和21年1月設立
・資本金 : 1億円
・従業員数 : 628名(平成20年5月1日 現在)
・保有車両台数 : 269台(平成20年5月1日 現在)
  東 京支店  66台
  名古屋支店  30台
  京 都支店  70台
  奈 良支店  26台
  大 阪支店  37台
  神 戸支店  40台
      ↓

★7月の最終日も、曇り空の朝である。平年なら、とっくに梅雨も明けて暑い夏なのだが?当地方の気温は、24度Cで薄日が差してきた。昨日羽田空港に到着した時は、凄く暑さを感じた。朝の軽井沢は、寒いぐらいでエアコンなどは要らない。日光の中禅寺湖や華厳の滝なども、そんなに暑くは無かった。でも、今日の東京は余り暑くは無さそうで有る。
今回の旅の最終日は、昨日5分遅れで羽田空港から福岡空港へ21:05に到着。その後、駐車場に行き、21:36に出発した。それからは、九州自動車道~中国道~小郡IC~R9経由で帰った。自宅には、日付も変わって今朝1時前に無事到着<emoji:smile>(一安心!)
今回の旅は、雨の心配をしていた。しかし、毎日雨が降ったが殆んどが移動中や朝晩だった。従って、傘の必要はないほどで良かった。しかし、霧は標高が千メートルを超えているせいか多かった。
お目当ての富士山も、3合目付近までは霧だった。しかし5合目では、天気も急に変わりお目当ての富士山を見ることが出来た。
前回は35~6年前に訪れたのだが、5合目付近の記憶は全くなかった。又、ライブカメラで良く見ている忍野八海に行けたのも嬉しい。しかしあいにくの霧でここからは、富士山は見えなかった。富士山では、夏山登山を計画された人を沢山見かける。富士山は、近くからよりは遠くからの方が美しいと感じる。8~9合目付近には、少し白い雪が残っていた。
初日は、5時に自宅を出て壇ノ浦SAで朝食を摂った。時間が余りそうなので、ここではゆっくりする。集合時間は、福岡空港のロビーに10時20分だった。結局福岡空港に到着したのは、10時頃。九州道は、福岡ICからは土砂崩れで通行止めになっていた。従ってIC近くは、渋滞で首都高速へ降りる車が多かった。初めて福岡空港を利用したが、ターミナルビルもかなり広い。しかし羽田空港は、さすがにさらに広く、昨日の搭乗口が65番だったのでかなり歩く。萩・石見空港は、確か一番最後に近かった様に記憶しているが?
羽田には、夕方5時ごろだったので出発ロビーは沢山の人だった。我々が利用したANAの便は、往復ともほぼ満席状態だった。特に往路便は、近くには空席は見当たらなかった。席も、3・4・3で1列10人座れる。帰りは49番だったが、まだ少し後ろに席があった。
だから、5~6百人は乗れるのだろう。やはり、大きい飛行機の方が乗りごこちも良い様だ!萩・石見空港から見れば、誠に羨ましい限りである。
今回の旅では、信州は初めてだった。自然の山々や野菜・果物も豊富で良い所と感じた。
又これから、随時思い出した事を投稿して見ようと思っています。
菜園も、雨が多いので気になっている。しかし、今日は疲れを取り明日は孫のお迎えで広島に向かう予定。今日は二の丑なので、再度うなぎでも食べようか!
~心に響く366の寸言~
【理想主義と現実主義】
理想主義は、よほど本人がしっかりしないと空想になる。
どちらかといえば現実主義のほうが間違いが少ない。

その代わり、これが間違うと固陋(ころう)になり、
進歩がなくなる。
少々進歩がなくても確かなほうが安全だ。
だから人間は自然には、だいたい現実主義者である。

そういう意味から、少し危なっかしくても
理想主義者のいるほうが刺激的で進歩があるともいえる。
なかなか人間は難しい。

 『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)

★7月31日 松下幸之助[一日一話]
 <自分自身への説得>
説得というものは、他人に対するものばかりとは限らない。自分自身に対して、説得することが必要な場合もある。自分の心を励まし、勇気をふるい起こさねばならない場合もあろうし、また自分の心を押さえて、辛抱しなければならない場合もあろう。そうした際には、自分自身への説得が必要になってくるわけである。

私がこれまで自分自身への説得をいろいろしてきた中で、いまでも大切ではないかと思うことの一つは、自分が運が強いと自分に言い聞かせることである。ほんとうは強いか弱いかわからない。しかし、自分自身を説得して、強いと信じさせるのである。そういうことが、私は非常に大事ではないかと思う。

★2009年7月31日(土曜日)致知今日の言葉より

母親の愛情のこもった手料理は子どもを健全に育てる

             by 菅原 明子(保健学博士)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿