☆富士山ライブカメラは、三ツ峠山山頂から(9:00)
★今朝は、昨日までの雨も上がり、良い天気になっている。気温は、今朝20度Cと高く日中も暑さが戻って来そうである。
昨日は、次男が帰省していたので萩を案内した。天気は、小雨程度だったがとても蒸し暑かった。
萩観光は、東光寺⇒松陰神社⇒伊藤博文旧宅⇒萩城下町⇒高杉晋作旧宅⇒田中儀一旧宅⇒久保田家旧宅等を案内した。
城下町近くの市営駐車場も前回は、整備中だったが奇麗になって有料になっていた。天気が悪いせいか、観光バスも松陰神社で3台・東光寺で1台のみで各地とも観光客の姿は少なかった。
今回変わった事と言えば、伊藤博文旧宅に行った事と久保田家旧宅でガイドさんの説明を受けた。では、昨日の画像を整理して見ましょう!尚画像の説明は、萩市のHPを利用させて頂きました。
毛利家の奇数代藩主が祀られている菩提寺
「東光寺」
・毛利吉就が1691(元禄4)年に創建した大照院とならぶ毛利家の菩提寺。3代~11代までの奇数代藩主夫妻が葬られている。重文の総門、大雄宝殿、鐘楼など、中国風の雄大な建築も見ごたえ満点。毎年8月15日に行われる「萩・万灯会」の送り火では、約500基の石灯篭に灯が入り、まさに幽玄の世界が広がります。木立に囲まれた広い境内も趣深く、萩の歴史に思いを馳せるには最適の場所。
☆学問の神として親しまれている吉田松陰を祀った神社
「松陰神社」
・明治23(1890)年に吉田松陰を祀って建てられた神社。松下村塾改修時に松陰の実家である杉家により私祠として村塾の西側に土蔵造りの小祠が建立された。その後、門人の伊藤博文、野村靖などが中心となり、神社を公のものとして創設しようという運動が起こり、明治40(1907)年、県社の社格の神社創設が許可された。現在の社殿は昭和30年に新しく完成したもの。御神体は松陰が終生愛用した赤間硯と父兄宛に書いた文書が遺言によって納められている。旧社殿は「松門神社」として、松陰の門人であった人々の霊を祀っている。学問の神として信仰が厚く、境内には有名な松下村塾、松陰ゆかりの史跡や展示館などが点在。吉田松陰幽囚ノ旧宅も隣接している。
明治期の日本を確立した初代内閣総理大臣・伊藤博文
「伊藤博文旧宅」
・伊藤博文は、天保12(1841)年熊毛郡束荷村の農家に生まれた。幼名は利助、のち春輔、そして“博文”と改めた。木戸孝允の義弟・栗原良蔵の紹介で松下村塾に入り「なかなか周旋家になりそうな」と吉田松陰の評価を得る。品川御殿山の英国公使館焼き打ちをはじめ、尊攘運動に参加。文久3年(1863)5月、井上聞多(馨)らと英国に密航留学する。明治新政府では参与、兵庫県令などを歴任。明治4年(1871)条約改正のため、岩倉使節団の一員として欧米各国を歴訪。帰朝後、参議、工部卿などの要職を経て明治18年(1885)初代内閣総理大臣となる。以後、4度内閣を組閣。日露戦争後、初代韓国総監となり、明治42(1909)年、枢密院議長として満州訪問の途上、ハルビン駅頭で安重根に狙撃され、69歳でこの世を去った。
旧宅は、木造茅葺き平屋建ての約29坪の小さな家。萩藩の中間伊藤直右衛門の居宅であったが、安政元(1854)年に伊藤博文の父・林十蔵が伊藤家の養子となったため、一家をあげて居住。伊藤博文が明治元年に兵庫県知事に赴任するまでの本拠となった家でもある。
☆伊藤博文別邸
☆長州藩部隊“奇兵隊”結成!幕末の風雲児・高杉晋作
「高杉晋作誕生地」
幕末の風雲児・高杉晋作の生まれ育った家。建物は江戸期より縮小されているが当時の面影をよく残している。敷地内には、晋作ゆかりの品や東行と号した句碑・産湯の井戸などがある。晋作は、天保10(1839)年に萩藩大組士、禄高200石 高杉小忠太の長男として生まれた。藩校明倫館に通う一方、松下村塾に通い、久坂玄瑞と並び松門の双璧と称される。文久2(1862)年、外国に支配される清国(現:上海)を視察し危機感を抱いた晋作は、翌文久3(1863)年に身分を問わない我が国初の軍事組織“奇兵隊”を功山寺(下関市)にて挙兵。討幕戦を勝利へと導くが、肺病が悪化し下関・吉田(現:東行庵)に隠居。慶応3年(1867)結核のため、享年29歳という若さでこの世を去った。
第26代内閣総理大臣田中義一の生誕地
「田中義一誕生地」
・文久3(1863)年、藩士・田中信祐の三男として生まれる。陸軍教導団、陸軍士官学校、同大学校に学び、日清戦争出征後にロシアに留学。日露戦争では、開戦論を唱え満州軍参謀として出陣した。山本権兵衛内閣の陸相を経て、政友会総裁へと就任。昭和2(1927)年、第26代内閣総理大臣となる。翌3月、共産党に対し大弾圧を行い、同年6月には緊急勅令をもって治安維持法を改正するなど反動的政策を行う。対外的には対中国侵略の強硬外交方針をとったが張作霖爆殺事件によって昭和4(1929)年に辞職。享年66歳。
☆意匠・構造・技術に優れた、時代を伝える家
「旧久保田家住宅」
・呉服商・酒造業を営んでいた久保田家は、江戸時代の後期に建てられ、主屋・門・塀・離れが旧御成道(おなりみち・参勤交代の際に大名行列が往来した道)に面し、菊屋家住宅と対峙するかのように立ち並んでいます。
旧久保田家住宅の主屋は、屋根裏に物置や使用人の寝間を設けた「つし二階」を持ち、立ちが高いのが特徴です。幕末から明治前期にかけての建物として、意匠・構造・技術に優れ、酒造業で繁栄した往時の状況もよく伝えており、史跡萩城城下町を構成するきわめて重要な建物です。
☆蒸し暑い中、結構歩いたのでお昼は何処にしょうかと迷った。しかし萩市内に入る前に「道の駅・萩しーまーと」にて休憩をする。基本的には、いつもここで休憩することにしている。新鮮な野菜や奇麗な日本海で獲れた魚介類を観るのも楽しみである。昨日は、さば・いか・のどぐろ・さざえ・かんぱち等が店内に並んでいた。
そのイメージが残っていたので、再度道の駅まで戻って食事した。沖の新鮮な旬の魚貝や、地獲れ野菜など、 しーまーと店舗の自慢の素材を、ふんだんに使用した和風海鮮料理を楽しむ。注文したのは、画像の「漁師のまかない飯1000円」結構ボリュームが有り美味しかった。
夕方は、早めに帰宅し栗拾いや野菜・ゆず・かぼす等を採って早めの夕食。結局久しぶりの二男の帰省で11時頃まで起きていた。今夜は、通常どうり早く寝ようと思ってはいるが・・・
今日の「誕生日の花と花言葉」
・マツムシソウ(マツムシソウ科)
・風情 健気
☆「きょうの一句」
・赤い羽根つけらるる待つ息とめて 阿波野青畝(あわのせいほ)
(NHK・ラジオ深夜便4時台後半より)
☆今日は何の日(10月1日)
・ 第1回ワールドシリーズ開幕(1903年)
・特急燕運転開始(1930年)
・中華人民共和国成立(1949年)
・東海道新幹線開業(1964年)
・常用漢字告示(1981年)
・長野新幹線開業(1997年)
・KDDI発足(2000年)
・道路関係四公団民営化(2005年)
・日本の郵政三事業民営化(2007年)
~心に響く366の寸言~
【気 象】
春には春の気象があり、
秋には秋の気象がある。
人間も独特の気象が出てくれば
出来た人という。
★10月1日 松下幸之助[一日一話]
<法治国家は中進国>
今日、法治国家というのは、だいたい先進国ということになっていますが、私は法治国家は真の先進国とは言えないのではないか、という気がします。是非善悪が何でも法律で決せられる法治国家は、いわば中進国であって、真の先進国、文明国とは、法律がきわめて少なく、いわゆる法三章で治まっていく国、それだけ国民の良識が高い国ということではないかと思うのです。
とすれば、真の先進国になるためには、やはり国民の良識の涵養というものを大いにはかっていかなければなりません。そのことに成功しない限りは、先進国にはなれないのではないかと思うのです。
タイトル:たかきの独りごとパートⅡ
URL:http://blog.goo.ne.jp/takaki_1947
★今朝は、昨日までの雨も上がり、良い天気になっている。気温は、今朝20度Cと高く日中も暑さが戻って来そうである。
昨日は、次男が帰省していたので萩を案内した。天気は、小雨程度だったがとても蒸し暑かった。
萩観光は、東光寺⇒松陰神社⇒伊藤博文旧宅⇒萩城下町⇒高杉晋作旧宅⇒田中儀一旧宅⇒久保田家旧宅等を案内した。
城下町近くの市営駐車場も前回は、整備中だったが奇麗になって有料になっていた。天気が悪いせいか、観光バスも松陰神社で3台・東光寺で1台のみで各地とも観光客の姿は少なかった。
今回変わった事と言えば、伊藤博文旧宅に行った事と久保田家旧宅でガイドさんの説明を受けた。では、昨日の画像を整理して見ましょう!尚画像の説明は、萩市のHPを利用させて頂きました。
毛利家の奇数代藩主が祀られている菩提寺
「東光寺」
・毛利吉就が1691(元禄4)年に創建した大照院とならぶ毛利家の菩提寺。3代~11代までの奇数代藩主夫妻が葬られている。重文の総門、大雄宝殿、鐘楼など、中国風の雄大な建築も見ごたえ満点。毎年8月15日に行われる「萩・万灯会」の送り火では、約500基の石灯篭に灯が入り、まさに幽玄の世界が広がります。木立に囲まれた広い境内も趣深く、萩の歴史に思いを馳せるには最適の場所。
☆学問の神として親しまれている吉田松陰を祀った神社
「松陰神社」
・明治23(1890)年に吉田松陰を祀って建てられた神社。松下村塾改修時に松陰の実家である杉家により私祠として村塾の西側に土蔵造りの小祠が建立された。その後、門人の伊藤博文、野村靖などが中心となり、神社を公のものとして創設しようという運動が起こり、明治40(1907)年、県社の社格の神社創設が許可された。現在の社殿は昭和30年に新しく完成したもの。御神体は松陰が終生愛用した赤間硯と父兄宛に書いた文書が遺言によって納められている。旧社殿は「松門神社」として、松陰の門人であった人々の霊を祀っている。学問の神として信仰が厚く、境内には有名な松下村塾、松陰ゆかりの史跡や展示館などが点在。吉田松陰幽囚ノ旧宅も隣接している。
明治期の日本を確立した初代内閣総理大臣・伊藤博文
「伊藤博文旧宅」
・伊藤博文は、天保12(1841)年熊毛郡束荷村の農家に生まれた。幼名は利助、のち春輔、そして“博文”と改めた。木戸孝允の義弟・栗原良蔵の紹介で松下村塾に入り「なかなか周旋家になりそうな」と吉田松陰の評価を得る。品川御殿山の英国公使館焼き打ちをはじめ、尊攘運動に参加。文久3年(1863)5月、井上聞多(馨)らと英国に密航留学する。明治新政府では参与、兵庫県令などを歴任。明治4年(1871)条約改正のため、岩倉使節団の一員として欧米各国を歴訪。帰朝後、参議、工部卿などの要職を経て明治18年(1885)初代内閣総理大臣となる。以後、4度内閣を組閣。日露戦争後、初代韓国総監となり、明治42(1909)年、枢密院議長として満州訪問の途上、ハルビン駅頭で安重根に狙撃され、69歳でこの世を去った。
旧宅は、木造茅葺き平屋建ての約29坪の小さな家。萩藩の中間伊藤直右衛門の居宅であったが、安政元(1854)年に伊藤博文の父・林十蔵が伊藤家の養子となったため、一家をあげて居住。伊藤博文が明治元年に兵庫県知事に赴任するまでの本拠となった家でもある。
☆伊藤博文別邸
☆長州藩部隊“奇兵隊”結成!幕末の風雲児・高杉晋作
「高杉晋作誕生地」
幕末の風雲児・高杉晋作の生まれ育った家。建物は江戸期より縮小されているが当時の面影をよく残している。敷地内には、晋作ゆかりの品や東行と号した句碑・産湯の井戸などがある。晋作は、天保10(1839)年に萩藩大組士、禄高200石 高杉小忠太の長男として生まれた。藩校明倫館に通う一方、松下村塾に通い、久坂玄瑞と並び松門の双璧と称される。文久2(1862)年、外国に支配される清国(現:上海)を視察し危機感を抱いた晋作は、翌文久3(1863)年に身分を問わない我が国初の軍事組織“奇兵隊”を功山寺(下関市)にて挙兵。討幕戦を勝利へと導くが、肺病が悪化し下関・吉田(現:東行庵)に隠居。慶応3年(1867)結核のため、享年29歳という若さでこの世を去った。
第26代内閣総理大臣田中義一の生誕地
「田中義一誕生地」
・文久3(1863)年、藩士・田中信祐の三男として生まれる。陸軍教導団、陸軍士官学校、同大学校に学び、日清戦争出征後にロシアに留学。日露戦争では、開戦論を唱え満州軍参謀として出陣した。山本権兵衛内閣の陸相を経て、政友会総裁へと就任。昭和2(1927)年、第26代内閣総理大臣となる。翌3月、共産党に対し大弾圧を行い、同年6月には緊急勅令をもって治安維持法を改正するなど反動的政策を行う。対外的には対中国侵略の強硬外交方針をとったが張作霖爆殺事件によって昭和4(1929)年に辞職。享年66歳。
☆意匠・構造・技術に優れた、時代を伝える家
「旧久保田家住宅」
・呉服商・酒造業を営んでいた久保田家は、江戸時代の後期に建てられ、主屋・門・塀・離れが旧御成道(おなりみち・参勤交代の際に大名行列が往来した道)に面し、菊屋家住宅と対峙するかのように立ち並んでいます。
旧久保田家住宅の主屋は、屋根裏に物置や使用人の寝間を設けた「つし二階」を持ち、立ちが高いのが特徴です。幕末から明治前期にかけての建物として、意匠・構造・技術に優れ、酒造業で繁栄した往時の状況もよく伝えており、史跡萩城城下町を構成するきわめて重要な建物です。
☆蒸し暑い中、結構歩いたのでお昼は何処にしょうかと迷った。しかし萩市内に入る前に「道の駅・萩しーまーと」にて休憩をする。基本的には、いつもここで休憩することにしている。新鮮な野菜や奇麗な日本海で獲れた魚介類を観るのも楽しみである。昨日は、さば・いか・のどぐろ・さざえ・かんぱち等が店内に並んでいた。
そのイメージが残っていたので、再度道の駅まで戻って食事した。沖の新鮮な旬の魚貝や、地獲れ野菜など、 しーまーと店舗の自慢の素材を、ふんだんに使用した和風海鮮料理を楽しむ。注文したのは、画像の「漁師のまかない飯1000円」結構ボリュームが有り美味しかった。
夕方は、早めに帰宅し栗拾いや野菜・ゆず・かぼす等を採って早めの夕食。結局久しぶりの二男の帰省で11時頃まで起きていた。今夜は、通常どうり早く寝ようと思ってはいるが・・・
今日の「誕生日の花と花言葉」
・マツムシソウ(マツムシソウ科)
・風情 健気
☆「きょうの一句」
・赤い羽根つけらるる待つ息とめて 阿波野青畝(あわのせいほ)
(NHK・ラジオ深夜便4時台後半より)
☆今日は何の日(10月1日)
・ 第1回ワールドシリーズ開幕(1903年)
・特急燕運転開始(1930年)
・中華人民共和国成立(1949年)
・東海道新幹線開業(1964年)
・常用漢字告示(1981年)
・長野新幹線開業(1997年)
・KDDI発足(2000年)
・道路関係四公団民営化(2005年)
・日本の郵政三事業民営化(2007年)
~心に響く366の寸言~
【気 象】
春には春の気象があり、
秋には秋の気象がある。
人間も独特の気象が出てくれば
出来た人という。
★10月1日 松下幸之助[一日一話]
<法治国家は中進国>
今日、法治国家というのは、だいたい先進国ということになっていますが、私は法治国家は真の先進国とは言えないのではないか、という気がします。是非善悪が何でも法律で決せられる法治国家は、いわば中進国であって、真の先進国、文明国とは、法律がきわめて少なく、いわゆる法三章で治まっていく国、それだけ国民の良識が高い国ということではないかと思うのです。
とすれば、真の先進国になるためには、やはり国民の良識の涵養というものを大いにはかっていかなければなりません。そのことに成功しない限りは、先進国にはなれないのではないかと思うのです。
タイトル:たかきの独りごとパートⅡ
URL:http://blog.goo.ne.jp/takaki_1947
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