れいの如く

朝鮮半島関連の所感を書きます。

「横田滋写真展」

2023-08-13 16:49:32 | 感想文
 久しぶりに拉致事件関係のイベントに行きました。
 8月3日~14日まで日本橋高島屋で行われている「横田滋写真展~めぐみさん、家族と過ごした13年」という写真展です。
 これまで、何度かめぐみさんの写真展には行きましたが、毎回、必ずと言っていいほど新たな写真が展示されているように思います。それだけ多くの写真があるのでしょう。
 筆者は11日に行きましたが、祭日ということもあり、開場早々多くの人々が来場していました。
 会場に入り、筆者の目にまず入ったのはプロの書家によって書かれた横田早紀江さんの短歌でした。娘を思う気持ちがあふれ読んでいて切なくなりました。
 続いてめぐみさんが生まれてから13歳までの写真その他が順番に展示されていました。家族と共に、友人たちと共に過ごすめぐみさんの表情は本当に幸せそうでした。また、写真の中の風景やファッションは昭和40~50年代を映し出していて時の流れを感じました。もう半世紀も経っているのですから。
 めぐみさんの書いた作文や交換日記等も展示されていました。どれもあの時代の小学生、中学生らしいものだなと思いながら見ていきました。中学に入ってしばらくしてからの彼女の写真は存在しません。彼女は、家族や友人たちのもとから“消えて”しまったからです。本来でしたら、部活での活躍、高校入学、大学キャンパスライフ、成人式、結婚、子供の誕生等々、多くの写真が続くはずでした。それを思うとやりきれなさを感じます。赤の他人の筆者ですらこうなのですから、御家族は尚更でしょう。
 その後は、拉致事件の流れについての展示になります。新聞記事やその他資料を眺めながら、その間のことをあれこれ思い巡らせました。
 最後に政府への要望書を記入し、ボードに折鶴貼って~既に多くの折鶴が貼ってあったのでそれだけ多くの人々が来場したのでしょう~会場をあとにしました。
 今回の写真展を企画運営そして当日の受付までされた関係者の方々には本当に頭が下がる思いです。
 担当部署の方々は、こうした方々、御家族そしてこの展示会に来場した人々の思いに答え、一日も早く被害者の全員帰国に尽くして頂きたく思いました。

梁葉津子「冷たい豆満江を渡って」

2021-07-04 21:28:41 | 感想文
 韓国ではもちろんのこと日本でも脱北者の手記は多数出版されていますが、その内容は多様で脱北者の数だけ物語があるといっても過言でないでしょう。
この「冷たい豆満江を渡って」は“「帰国者」による「脱北」体験記”のサブタイトルの通り、日本からの帰還者の脱北記です。
 まず、著者が北へ帰還するようになった経緯から始まり、北での生活そして脱北を決心するまでが語られます。
 いざ脱北を試みたものの一度は失敗します。その後、再度、挑戦し成功しますが、すぐには日本に来られず、しばらく中国に滞在せざるを得なくなります。
 個人的にはこの部分がとても興味深かったです。中国朝鮮族の“脱北ブローカー”の実態や図們拘置所内での様子は初めて知ることが多々ありました。
 万事が整い、著者たちは日本へと旅立つことが出来るようになりますが、その時、同行した日本領事館職員の言葉や態度は冷たいものでした。著者たちを厄介者視しているのがありありと分かりました。
 この部分を読んで、筆者は日本政府は拉致被害者たちを本当に取り戻す気はあるのかと思いました。拉致被害者が自力で脱出し帰国してしようとする時、果たして暖かく手を差し伸べてくれるだろうか、不安に感じました。
https://www.amazon.co.jp/%E5%86%B7%E3%81%9F%E3%81%84%E8%B1%86%E6%BA%80%E6%B1%9F%E3%82%92%E6%B8%A1%E3%81%A3%E3%81%A6-%E3%80%8C%E5%B8%B0%E5%9B%BD%E8%80%85%E3%80%8D%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%80%8C%E8%84%B1%E5%8C%97%E3%80%8D%E4%BD%93%E9%A8%93%E8%A8%98-%E6%A2%81-%E8%91%89%E6%B4%A5%E5%AD%90/dp/4802401175

映画「めぐみへの誓い」感想

2021-06-27 20:37:13 | 感想文
 話題の映画「めぐみへの誓い」、遂に鑑賞しました。本来ですと映画館へ行って観たいところですが昨今のような状況ですのでネット配信を利用しました。
 ストーリーについては、既に御存知のことと思いますので、ここでは筆者の感想を記します。
 まず、扱いに難しい内容を映画化した制作スタッフ、出演者、その他関係者の皆様には敬意を表し、感謝を申し上げます。限られた予算と時間の中で、これだけの作品に仕上げるためには様々なご苦労が多々あったことでしょう。本当に素晴らしいことです。
 ただ、内容的には個人的に気になった点がありましたので少し書いてみたいと思います。
 人々に拉致事件について伝えたいという思いは強く感じましたが、そのためにあれこれ詰め込んで〜田口八重子さんと金賢姫の話等〜内容が散漫になったように思いました。横田さん御一家のことに話を絞った方が、物語がすっきりとして観ている人に分かりやすかったのではないでしょうか、タイトルも“めぐみへの誓い”ですし。
 それと北の工作員に協力する在日の人々の描き方についてですが、もう一工夫すればよかったのではと思いました。
 例えば在日の社長(小松政夫さんが好演)に拉致協力を強要する際、北にいる親族の手紙や写真を見せるのです。親族のために嫌々ながら協力せざるを得ない在日の人々の状況を伝えれば、在日の人々に対する理解も広がると思います。と同時に、この作品を見た人々の映画評の中にあった“映画によって在日に対する偏見がひどくなるのではないか”という懸念も生じなかったでしょう。
 一時期、拉致をテーマとしたドラマやドキュメンタリー番組がTVでもよく放映されたことがありました。この映画が契機となって、拉致事件に関するドラマや映画、ドキュメンタリー等々が再度作られるようになり、この問題に関心が集まるようになればいいと思います。多くの人々がこの問題を風化させてはならないと言うようになれば、事態は動くだろうし、また、北側も何らかの反応を見せるでしょう。
 とにかく一日も早く被害者が全員家族や故郷に戻れることを願い、今後も自身の出来ることをしていきたいと思います。

光射せ!第7号を読んで

2020-05-04 15:11:18 | 感想文
 数日前、星へのあゆみ出版事務所へ行った夢を見ました。忘れ物を取りに来たようなのですが、それ~ストールだったようです~があったのかどうかは分かりません。ただ部屋の中は片付いていて、本棚にはありきたりの日本語の本が並んでいました。
 目が覚めてから何故あのような夢を見たのか考えました。ラジオから流れた萩原編集長の兄上である木津川計先生のインタビューを聞きながら寝入ったせいかも知れません。いえ、「光射せ!」の萩原編集長の追悼号の感想文をまだ書いていないためでしょう。
 ということで同誌の感想を少し記してみたいと思います。
 今回、追悼号を一読して感じたのは萩原遼という人物は実に多様な顔をもっていたということです。
 筆者の知っている萩原遼は、北朝鮮の圧政に苦しめられている人々~国籍・民族問わず~のために戦う元日本共産党員のジャーナリストでした。
 現在では信じられないことですが、70~80年代の日本の朝鮮半島研究者の大半はハングル文が読めませんでした。そうした中で萩原編集長は韓国(朝鮮)語が分かり、現地の資料に目を通して執筆・発表していました。当時の筆者もある程度ハングル文が読めたため、朝鮮半島関係の記事の良し悪しが分かりましたので、この人は“本物だ”と思いました。
 以後、萩原遼は筆者にとって朝鮮関係の唯一の師匠になりました(但し自称“弟子”)。
 しかし、「光射せ」で語られている萩原遼は、詩人であり、文学者であり、芸術愛好者であり、良き弟であり、頼りになる兄であり……筆者の知らない面が多々ありました。
 あと数年、編集長が生きていらっしゃれば、こうした面も知ることが出来たでしょう。
 筆者がこの雑誌に寄稿した文を執筆していた頃は、まだ、気持ちが整理出来ずにいました。編集長は韓国か米国に取材に行っていて、もうじき戻ってくるように感じたのです。それゆえ、“ご冥福を”などとは書けませんでした。
 最近になって、ようやく編集長は今頃、あちらの世界で金正日総書記を突き上げているだろうと思うようになりました。
 と同時に、編集長に聞きそびれたことが多くあることに気付きました。そのことがとても残念です。
 また編集長御自身も言い残したことが多々あることと思います。まさか、こんなに早くあちらの世界に行くとは思わなかったでしょうから。
 よく“心の中に生きている”という表現が使われますが、編集長が亡くなって以後、これを実感するようになりました。朝鮮半島関係のニュースを耳にするたびに、編集長はどうおっしゃっただろうと考えます。筆者の心の中には編集長はまだ生きているのです。

差別と貧困が生んだ「帰国事業」

2020-01-17 15:29:04 | 感想文
 昨年(2019年)は北朝鮮帰還事業が始まって60年、人間でいえば還暦になりますね。それにちなみ昨年11月から在日韓人歴史資料館(東京・港区)にて“差別と貧困が生んだ「帰国事業」”という展示が行われました。この類の展示会は意外に行われないのでこの機会に行ってみました。
 資料館の一角にあった展示コーナーは狭く〜四畳半くらい?〜でしたが、当時を偲ばせる写真等の資料が多数展示されていて見応えがありました。
 井上青龍氏の新潟日赤センターでの人々の様子を写した写真、帰国記念に撮影した写真、いざ出発するときの船と陸とでの別れの様子の写真等々。喜びと期待、不安の表情を浮かべた人々を見ながら、この人々を襲うその後の運命を思うと暗澹たる気持ちになりました。
 写真の他に、関連資料やこれらを解説したパネルも掲示してありましたが、その内容が一様に「日本社会が在日の人々を差別し、それによる貧困から人々は北朝鮮への“帰国”を選択するようになった」という論調になっていました。これには少々疑問を感じました。
皆さまもご存知のように、実情はそんな単純なものではありませんでした。
「差別と貧困」もその一因ですが、その他に当時の社会の雰囲気もありました。軍国主義に懲りたその時代、日本人、在日の人々を問わず社会主義に肯定的でした。それゆえ、現在の言葉でいうリベラルな日本人たちは善意から“社会主義朝鮮”への帰国を支援しました。展示の解説にあったように体制側は厄介者の在日の人々を国外に追い払おうとしましたが、それが全てではなかったでしょう。
ただ、その後、リベラルの人々がこの件について口を噤むのを見ると、個人的にはこのことを主張するのには気が引けるのですが…。
それと当時の民団自身の問題〜これだけ反対したのに日本人からも同胞からも支持されなかったことについても触れてもよかったのではないでしょうか。民団の方々は、自分たちは帰還事業に反対だったと言い続けていますが、ならば何故人々は受け入れなかったのでしょうか。
 今回はスペースの都合で詳細な展示は出来なかったのかも知れません。
 今後、70周年、100周年を迎えた時にも同様の企画が行われると思います。その際は、より多角的な視点での展示になることを期待します。