昨年(2019年)は北朝鮮帰還事業が始まって60年、人間でいえば還暦になりますね。それにちなみ昨年11月から在日韓人歴史資料館(東京・港区)にて“差別と貧困が生んだ「帰国事業」”という展示が行われました。この類の展示会は意外に行われないのでこの機会に行ってみました。
資料館の一角にあった展示コーナーは狭く〜四畳半くらい?〜でしたが、当時を偲ばせる写真等の資料が多数展示されていて見応えがありました。
井上青龍氏の新潟日赤センターでの人々の様子を写した写真、帰国記念に撮影した写真、いざ出発するときの船と陸とでの別れの様子の写真等々。喜びと期待、不安の表情を浮かべた人々を見ながら、この人々を襲うその後の運命を思うと暗澹たる気持ちになりました。
写真の他に、関連資料やこれらを解説したパネルも掲示してありましたが、その内容が一様に「日本社会が在日の人々を差別し、それによる貧困から人々は北朝鮮への“帰国”を選択するようになった」という論調になっていました。これには少々疑問を感じました。
皆さまもご存知のように、実情はそんな単純なものではありませんでした。
「差別と貧困」もその一因ですが、その他に当時の社会の雰囲気もありました。軍国主義に懲りたその時代、日本人、在日の人々を問わず社会主義に肯定的でした。それゆえ、現在の言葉でいうリベラルな日本人たちは善意から“社会主義朝鮮”への帰国を支援しました。展示の解説にあったように体制側は厄介者の在日の人々を国外に追い払おうとしましたが、それが全てではなかったでしょう。
ただ、その後、リベラルの人々がこの件について口を噤むのを見ると、個人的にはこのことを主張するのには気が引けるのですが…。
それと当時の民団自身の問題〜これだけ反対したのに日本人からも同胞からも支持されなかったことについても触れてもよかったのではないでしょうか。民団の方々は、自分たちは帰還事業に反対だったと言い続けていますが、ならば何故人々は受け入れなかったのでしょうか。
今回はスペースの都合で詳細な展示は出来なかったのかも知れません。
今後、70周年、100周年を迎えた時にも同様の企画が行われると思います。その際は、より多角的な視点での展示になることを期待します。
資料館の一角にあった展示コーナーは狭く〜四畳半くらい?〜でしたが、当時を偲ばせる写真等の資料が多数展示されていて見応えがありました。
井上青龍氏の新潟日赤センターでの人々の様子を写した写真、帰国記念に撮影した写真、いざ出発するときの船と陸とでの別れの様子の写真等々。喜びと期待、不安の表情を浮かべた人々を見ながら、この人々を襲うその後の運命を思うと暗澹たる気持ちになりました。
写真の他に、関連資料やこれらを解説したパネルも掲示してありましたが、その内容が一様に「日本社会が在日の人々を差別し、それによる貧困から人々は北朝鮮への“帰国”を選択するようになった」という論調になっていました。これには少々疑問を感じました。
皆さまもご存知のように、実情はそんな単純なものではありませんでした。
「差別と貧困」もその一因ですが、その他に当時の社会の雰囲気もありました。軍国主義に懲りたその時代、日本人、在日の人々を問わず社会主義に肯定的でした。それゆえ、現在の言葉でいうリベラルな日本人たちは善意から“社会主義朝鮮”への帰国を支援しました。展示の解説にあったように体制側は厄介者の在日の人々を国外に追い払おうとしましたが、それが全てではなかったでしょう。
ただ、その後、リベラルの人々がこの件について口を噤むのを見ると、個人的にはこのことを主張するのには気が引けるのですが…。
それと当時の民団自身の問題〜これだけ反対したのに日本人からも同胞からも支持されなかったことについても触れてもよかったのではないでしょうか。民団の方々は、自分たちは帰還事業に反対だったと言い続けていますが、ならば何故人々は受け入れなかったのでしょうか。
今回はスペースの都合で詳細な展示は出来なかったのかも知れません。
今後、70周年、100周年を迎えた時にも同様の企画が行われると思います。その際は、より多角的な視点での展示になることを期待します。