【子育てに線引きとか指導っておかしくない?】
そりゃ、子育てにも模範解答だとか、禁忌だとかの指針はあると思うよ。
でも、体罰に関して「これは体罰にあたります」って事例をあげるのは方向が違うと思うんだよね。
そんなことしてたら、「罵声も体罰」「怒鳴りつけるのも体罰」とか言い出すことになっちゃう。
「そんな悪い子はお母さんの子供じゃありません」
「そんな悪い子は捨ててくるよ!」
このままだと、「こういった恐怖心を与える行為も広義の体罰です」とか言い出しかねないし、親は何も言えなくなっちゃう。
いや、親が困るだけならともかく、「こんなの誰も本気にしてない」「こんなの形骸化した大義名分で、みんな無視してる」ってなったら、体罰も平気でするようになるかもしれない。
子育てに「1対1の回答」~「体罰はOK?→Yes or No」「罵声は体罰に含まれる?→Yes or No」~で対応するから無理がある。
「子供の過ちを糾すこと」っていうのが目的で、その目的を達成するルートを複数示すなり、ルートを考えてもらうようにしなくちゃダメだよね。
体罰は、場合によってはその目的を糾すかもしれないけれど、多くは「怒られた」「叩かれた」「体罰を受けた」っていう恐怖と屈辱だけが子供の心に刻まれて、過ちを糾すという目的を達することができない。
よく体罰を批判する若者が、「自分もよくわからないことで体罰を受けた」「そんなに大したことではないのに叩かれた」「覚えてないってことは大したことじゃなかったんだと思うけど、殴られた」みたいなことをツイッターで呟く。それって、「起こった出来事」「やってしまった過ち」を、体罰の記憶が
上書きしちゃってるんだ。叩かれた恐怖は当然だけど、子供にも自尊心はあるから、体罰をうけた屈辱っていうのが、その出来事を覆い隠すことだってある。
だから、体罰っていうのは効果に限界があるし、乱用するべきじゃない。
そして、体罰っていうのは振るう側(加害者)を正義と思い込ませるから、他人の眼が無いと暴走しやすい。「自分たちが正義だ」って思い込んだポリコレや左派左翼が暴走しやすいようにね。
体罰をするなら、他人の眼があるところでやるべきで、他人の眼があると出来ないなら、やってはいけない体罰なんだよ。